【木漏れ日の読書】

鷹川安世(たかがわ あんぜ)

Episode.1 【余白の愛】についての考察

 小川洋子氏著『余白の愛』を読了。

 突発性難聴を患った主人公が速記者Yと出会った日を境に、彼の指に惹かれて意識を絡めとられていく。作中で紡がれている文章表現、描写が美しく静謐で、物語が終始細やかな霧雨の中で見え隠れするような、とても幻想的な作品。


 この作品を再び読み始めたころ、突発性難聴というワードがSNSでトレンド入りを果たしていたことを思い出す。なんとタイムリーなと思いつつ、あらためて突発性難聴について少し調べてみることにした。

 突発性難聴とは、突然片側の耳(両耳の場合もある)が聞こえが悪くなる感音性難聴のことを指す。耳鳴りやめまい、吐き気、耳閉感を伴うこともある。その原因として、ストレスや過労、睡眠不足、不規則な生活が挙げられるが、正確な誘因はいまだ解明されていないという。

 主人公である『わたし』も、この突発性難聴を患う。彼女の症状は主に耳鳴り、そして日常のどんな些細な音でも、何十倍にも膨れ上がるというもの。


 今を生きる私たちの周りには、様々な音が溢れている。朝起きてカーテンを開けたときのレールの音、キッチンで調理器具や食器を出し入れする音、家電製品の動作音。家の中だけでも実に様々な音に囲まれながら、私たちは生活を営んでいる。外へ一歩踏み出せば、それらとは比べ物にならないほど、外の世界は大小様々な音で溢れ返っている。


 私は想像してみた。もし仮に、私が主人公と同じ立場になったのならば、私の耳や聴覚に対する認識はどのように変わるのだろうか。普段当たり前に機能していたものが突然その機能性を失う。それを補うように、他の五感が発達するとしたら。


 この物語の主人公は、視覚と触覚によって、聴覚の異常を無意識に補わせようとしていたのではないだろうか。難聴を患っている間に出会った速記者Yの指に、主人公は惹かれた。指の細やかな描写は視覚が成せる業であるし、実際にYの指に触れて感触を味わうことができるのは、手に備わった触覚があるからこそ。


 けれど、Yの指というかなり局地的な存在に執着しつつも、Yという一人の存在に対しての描写は終始曖昧なままだ。どんな顔をしているとか、どんな服装をしているとか、所々描写はあるものの、彼の指以上に細かくは書かれてはいない。


 ここでこの作品の表紙に注目しておきたい。ぼやけた灰色と茜色が曖昧に混ざり合った中で、それとは対照的に、何か水滴のようないくつもの丸い粒がはっきりとした輪郭で描かれている。

 個人的な解釈として思うのは、これは雨粒が流れる部屋の窓ガラス越しに、雨の降る夕方の曇り空を眺め見たときの視界の一部、それを切り取ったとある場面であるということ。


 前者──つまり灰色と茜色の曖昧な色彩は、主人公が否応なしに置かれていた現実の世界。はっきりとそこに存在しているはずなのに、彼女にとっては特別意識を向けるものではない。それに対して後者──つまり輪郭のはっきりとした雨滴のような丸い粒は、Yの指を指す。彼女が特別に意識を向け、その存在や輪郭を深く味わうのに値するからこそ、焦点がここに合っている。


 私たちが窓ガラスの向こうに意識を向けるとき、外に広がる景色を見るか、窓ガラスについた雨粒を見るかで輪郭がはっきりとするものが異なってくる。


 主人公を取り巻く世界を曖昧でファジーなものにすることで、Yの指の描写が殊更に際立つ。物語は細やかな霧雨の中に包まれて始まりを迎えつつ、終わるときもそっと儚く消えていくような、そんな幻想的な作品だった。

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