第60話 無力
「きゃーー!!」
「人がはねられたぞ!!」
「こっちも!早く!救急車!」
悲鳴と怒号が響く。
朦朧とする意識とボヤける視界の中、人々が右往左往、行き交っているのが、まるで映画のシーンのスローモーションのようにゆっくりと流れ、耳鳴りで音がボヤけて聞こえる。
そして、徐々に戻ってきた視界の先、誰かが道路の真ん中に横たわっているのが見えた。
ピクリとも動かず、アスファルトに無造作に四肢を伸ばしていて、その身体から、少しずつ血が広がっていくのが分かった。
横たわる人に、高齢の女性が何かを叫びながら近づいて来ていた。
――
「ああ……ああっ!瑞穂!瑞穂ッ!」
瑞穂がおばあちゃんと呼んでいた人だ。
せっかく小綺麗にしているのに雨で濡れてしまうではないか。
その高齢女性は雨に濡れるのも構わずに、倒れて動かないその子にすがるように膝をついた。
それを引き剥がそうと、タクシーの運転手が高齢女性の両肩を掴んでいる。
俺はダラシなく地面に両足を投げ出し、背中をガードレールに預けたまま、動けずにその状況をぼんやりと眺めていた。
俺はあの時……突っ込んでくる車を避けてはいない。
「あ……う……」
あの時、俺は…………
瑞穂は…………
そんな……ウソだろ……
何でそんなことすんだよ
何でお前が倒れているんだよ!
痛む身体を無理やり引き起こそうと
地面に手をつく
頭がクラクラして視界が歪んだ
「翔太郎ー!!」
「ショウタロくん!」
父さんとユキノ先輩だろうか
走ってこちらに近づいて来る人影が見える
違うんだ
俺はいい
俺は大丈夫だから
瑞穂の周りに人集りができて
俺の視界から瑞穂を遮った。
それが他人の見せ物になっているようで
すごく嫌で
俺がなんとかしなきゃって
不自由な身体を動かそうとするんだけど
うまく身体が動かなくて
父さんがそれを止めるんだ
*
長いのか短いのか、時間の感覚は分からないけど、救急車や消防車などの緊急車両が次々とやって来て、野次馬が交差点の周囲を埋めた。
瑞穂のそばにいたかった。
でも、救急車で運ばれていく瑞穂に近づこうとしても父さんに止められ、救急隊の人にも止められ。
瑞穂のおばあさんは取り乱しながらも、瑞穂の母親に電話をしている。すぐに救急隊の人に呼ばれて、救急車に乗り込んでいった。
俺は頭と背中を打って朦朧としていたので、念のため救急車で病院に運ばれることになった。
俺のことなんて、どうだっていいのに……
救急車の中で父さんが、本当に辛そうな顔をして俯いていた。
「父さん……ユキノ先輩は?」
「北川さん、だったよな……帰ってもらったよ。落ち着いたら連絡を入れてやれ」
「……分かった。父さん、あのさ……」
俺は、父さんに今回のことを説明する義務がある。
父さんは救えた。
おそらく父さんはもう大丈夫だろう。だから話さなければならない。
「翔太郎……お前がいろいろ抱えていることは何となく気付いていたよ。母さんもな。今回のことについては、医者とちゃんと話して、お前自身に問題がないと分かった時でいいから。その時に説明してくれ」
「父さん……」
父さんは俺の言葉を遮った。
父さんも混乱している。
これ以上は情報多寡になってしまうのだろう。それに俺にも気を遣ってくれている。
父さんを救ったつもりだったのに、こんなに傷つけてしまうなんて……
「俺は……とんだ親不孝者だな……」
思わず、そう、口から溢れていた。
と、
カバッ
救急車のストレッチャーに並んで座っていた父さんが、俺を抱きしめた。
「俺を……俺を助けるために翔太郎は頑張っていたんだろう?そうなんだろ?だったらそんなこと、言うな……!」
「!!」
父さんは、苦しそうに、絞り出すように、そう、言った……
何で
何で分かるんだよ
俺、まだ、父さんに何も言ってないよ
何一つ説明なんてしてないよ
「うん……俺、頑張ったんだ……でも、でも、今度は瑞穂が……それじゃダメなんだよ!もう誰も失いたくないのに!!」
どうしてこうなった
ひとつ掴んだと思ったのに
なぜ別のものがこぼれ落ちる
俺は何のためにここにいるんだ
そんな感情が一気に溢れ出てきて
嗚咽と涙になって零れ落ちた。
父さんは何も言わずにただ黙って俺の肩を抱き続けた。
*
搬送された病院は、俺の主治医がいる市立病院だった。
瑞穂を乗せた救急車も到着していたから、瑞穂もここに運ばれたのだろう。
その後、俺はいつものようにCTスキャンやMRIなどの検査を行って、これまたいつものように入院することになった。
運んでもらった救急隊の人に聞いたんけど、俺と瑞穂の他に救急車で運ばれたのは、例のあの暴走じいさんだけだったとのことだった。
じいさんはじいさんで大怪我を負ったけど、どうやら意識ははっきりしているらしい。
瑞穂のおばあさんや父さんたちの証言から、事故の実態も徐々に分かってきた。
瑞穂はおばあさんが遊びに来るということで、駅まで迎えに行っていた。
前世界線では、父さんが事故を起こした日、同じ場所にいたと言うことは瑞穂から聞いてはいなかったが、近くで事故が起きたということは話していたかもしれない。
また、前世界線では、じいさんが運転していた軽自動車が事故を起こした時に、事故車に目を奪われて脇見運転していた30代くらいの女性の車は、ガードレールにぶつかるという自損事故を起こしただけだった。
しかし、現世界線での俺の行動により、じいさんは誰も傷つけることは無くなったが、今度はじいさんの事故が原因の脇見運転手による二次災害で女性の車が対人事故を起こしてしまった。
瑞穂の意識は戻らない
俺が退院するその日、懇意にしている看護師さんにこっそり頼んで特別にICUに入れてもらうことができた。
正直、今の瑞穂に会うことは物凄く勇気がいる。
でもこのまま帰る気にもなれなかった。
何より、謝りたかった。
それが瑞穂に伝わらなかったとしても……
カーテンで区切られたそのスペースにあるベッドに瑞穂は横たわっていた。
全身包帯に巻かれ、さまざまな医療機器に繋がれている。
俺は、愕然とした。
病室に響く機械音が、追い討ちをかけるように俺を絶望感に浸らせる。
俺はベッドから少し離れたその場所から、それ以上近づくことができなかった。
まるで前世界線の父さんと一緒じゃないか……
何をしていたんだ俺は……!
なんて無力……
俺のしていたことは、全部、無駄だったんだ……
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