沙羅の羅紗は修羅ならば 

九十九 千尋

一話 女旅芸人と悪漢? 茶屋にて乱闘騒ぎを起こし候

1-1


 江戸の終わりは急に訪れた。

 異星から現れた異邦人たちにより地球は“開国”されたためである。そうして明治が始まり早四十二しじゅうあまりふたつの年が過ぎ。異星の技術で人工培養された木材を材料とした木工サイボーグ技術が大衆に一般技術として普及してなお、人々はあくせくと明日のために生きていた。


 そんな世界の片隅、江戸への旧道を下る道すがら、旅芸人の娘であるスエは立ち寄った小さな茶屋にて、そこの女将に詰め寄られていた。


「千二百アースドル」


 女将が口にするそれはスエの茶屋での飲み食い代である。素直に払えば、いや払えれば何も問題にならないのだが、スエには支払えるだけの金銭が無かった。


「ご、ごめんなさい! 財布を落としていたことに気付かなくて!」


 人の往来の最中にあって、質素な一張羅が汚れることも顧みない見事な土下座をスエは決め、額に土付けて茶屋の女将に願い出る。女将の顔の木工デバイスが観音開きに開き、中から般若のような顔が現れる。


「千二百アースドル。びた一文負けらんないよ!」

「ひぃ」


 茶屋の女将の圧により意図せず変な声が押し出されたスエが、必死に自身の着物のあちこちを探り、荷物である行李こうりを開けて中を探す。

 行李の中には様々な物が、ある種几帳面に押し込められている。携帯食料としての乾パン、味噌玉を包んだ笹の包み、手を付けてある水筒一本と手と付けていない水筒が二本、そして汚れた松笠模様の手ぬぐいに包まれた何かの工具。それを急ぎとあって乱雑に取り出してスエは財布を探す。

 しかし財布は見つからない。

 スエが必死に、何とか事態の解決を図ろうとしていると、そこに誰かが声をかけた。


「もし? 失礼ながらお荷物の中を拝見しましたが、あなたは伽羅倶利からくり装具士の方でしょか?」


 スエが顔をあげると、襤褸ぼろを着た少年が、行李の中を指さして、そこに立っていた。

 その少年が着ている襤褸はよく見れば袈裟けさ、所謂坊主の召し物であった。だが幾分かサイズが合っていない物にも見える。まして僧にしては剃髪がなされていない、つまり髪の毛をそり落として居なかった。背中には何か長い物を藍色の布に巻いて担いでおり、他に荷物らしい荷物は無い。身なりこそ汚い少年だが、汚れてなお顔立ちには目を惹き離さぬものがあることをスエは感じた。

 つまるところ、泥に汚れて襤褸を纏った美少年の僧侶が急に話しかけてきた、という状態だ。突然の状況にスエの頭は固まりかけたが、目の前で微笑みかけながら首をかしげる少年に何とか言葉を絞り出す。


「あ、いえ、本業は違いますけど。でもそんじょそこらの人よりは心得があります。旅芸人なもので、自分で自分の体をメンテナンスする必要があるんで。え、旅芸人に見えない? ならば一つ見せましょう!」


 そういって、彼女は人目も気にせず一張羅を脱ぎ捨てる。

 するとその木工デバイスの肌の上に様々な極彩色の花々が映し出され、細いその体を彩っていく。立体映像でその四肢に直接映し出される花々は、彼女の踊りに合わせるように舞い、色とりどり花が体を離れて宙に零れ溢れて流れる。凛として強く、艶やかに美しく、足先から指先、髪の先に至るまで魂の込められた踊りに、茶屋に居合わせた他の客や通りすがりの者まで足を止めて見入る。

 ほんの一小節だけのその踊りに、拍手が巻き起こる。巻き起こった拍手を聞いてスエは初めて恥ずかしそうに、はにかみながら自身の一張羅で体を隠した。


「本当はもっと高性能な伽羅倶利からくりであれば、花の香りも付けれるんですけど。お粗末でした」


 すると先ほどまで、物理的に険悪な顔で見ていた茶屋の女将が一転して、これまた物理的に微笑んだ。


「すごいじゃないか! 踊りには詳しくないけど、今のがすごいってことはあたしにだって解る」


 だが女将の顔は今度は人工表情筋を使って曇った。


「でも払ってもらわないとあたしも困るんだよ。伽羅倶利からくり装具でも芸の一品でも、金に換えてもらうしかないかもしれないね」


 そうだった、と頭を抱え始めたスエに、先ほどの僧侶の少年がにこやかに申し出る。


「事情はなんとなく分かりました。では、ここは僕が立て替えますので、あなたはこのお茶屋で稼ぐのでどうでしょう?」


 稼ぐとは? とスエと女将の両名が少年を見る。


「先ほどの踊りによって、この旧道を行き来する人々が足を止めました。つまり、御客を呼び込む演目に使えるのではないか、と。いえ、あくまで提案でしかないのですが」


 なるほど、とスエは縋る様な目で女将を見る。ため息交じりに女将は少年に質問を返す。


「で、建て替えるって言ったって、あんたこの娘よりよっぽど身なりは……アレじゃないか。払えるのかい?」


 まじまじと怪訝そうに見る女将に、少年は頷いて自身が背負っている藍色の布に巻かれた長い物を差し出す。深く濃い青色の布が取り払われると、そこからは刀が現れた。長さにしておよそ四尺、約百二十センチ。象牙を思わせる白くもうねりある拵え。金に縁どられた見事な鍔。何より目立つのは決して抜くことまかりならぬといわんばかりに巻きつけられた黒々とした蜷局巻く鎖。

 それは正しくは大太刀と言われる物であり、おおよそ人に扱える大きさではない物である。しかし見るからに見事な彩色装飾細工の数々。金銭的な価値は間違いなくあることは誰の目にも明らかであった。


「こちらであれば、大抵は釣りが発生するほどの金に替えられましょう。これを質に入れれば金銭を工面できるはずです」


 襤褸を纏っているにもかかわらず、素人目に見ても豪勢な業物の大太刀。

 スエは思わず聞いてしまう。


「君、何者なの?」

「いえ、名乗るほどの者でもございません。が、金銭の貸し借りとあれば身元は明らかにしなくてはいけませんね」


 少年は微笑みを崩さずに、凛と鈴の成る様な声で名乗る。


「ここより遠くは沙羅しゃら寺よりの旅の僧。号はラシャと名乗らせて頂いております。ある鬼を追っての旅路の者です」

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