第21話 家族との決別



「さて、伊織を連れてさっさと帰りたいところだが、――どうやら来客らしい」

「……っ! 梨々子……」

「あらー? お姉さま、どーして縄を抜けてらっしゃるの?」


 現れたのは、梨々子と使用人たちだった。


 伊織は、思わず十夜の陰に隠れる。


「大丈夫だ」

「…………」


 十夜が後ろ手に伊織の頭を撫でる。



 梨々子は、つかつかと前にでてきた。


 そして十夜の顔を見ると、少し驚いた顔をして――うっすらと笑みを浮かべた。


「……お姉さま、その方はどなた? ……ずいぶんなイケメンとご一緒なのね」

「…………梨々子」

「ねぇあなた! もしかしてお姉さまを不憫に思って助けてくださったのかしら? あいにくお姉さまはあの羊垣内の令嬢でして、これくらいなんともないのよ。そうね、あなたなかなかかっこいいし、よかったら今晩私と――」

「断る」

「……はい?」

「……お前が、羊垣内梨々子だな」

「あら? 光栄ですわ。私の名前を知ってらっしゃるなんて――」

 

 梨々子は、まだ状況が理解できていない。ニコニコと笑っている。

 

 十夜の目に、怒りの色が浮かんだ。

 

「お前が! 伊織をいじめているのか……! 伊織は危うく命を落とすところだったんだぞ!」

「え!? ちょ、なんなの!? お姉さまはいっつも死んでなんかないし! ちょっと、お姉さま!! この人はなんなの!?」

「きゃ……!?」

 

 梨々子が急に伊織につかみかかり――

 十夜がその手を払い落とした。


「伊織に触れるな」

「なっ……!?」

 

 梨々子は手を押さえながらうろたえている。

 

 その時、

 

「梨々子!」

「お、お父さま! お母さま!」

「ふん。揃ってお出ましか」


 森の木立がまた揺れて、現れたのは、父と継母、それと使用人たちだった。

 伊織の父が前にでる。

 

「……誰だ! 貴様は……!?」

「男……っ! 伊織、お前、やっぱり男がいるのね!」 


 月明かりに照らされた森の中で、十夜と伊織の家族は対峙していた。



「どこのどいつだか知らんが、娘から離れろ……!」


 父がつかつかと前へ歩いてきて、


「――……九頭竜……」


 それが誰だか分かると、驚愕の表情とともに明らかにうろたえた。


「栄介さん? あの男は何者なの?」

「……これはこれは。九頭竜家の若さま。…………今日はどういったご用件で? ……妖怪の見回りですかな?」

「いいや。伊織を――娶りに来た」

「……!」

 

 十夜は、父をまっすぐ見据えて言った。


「彼女はご実家にいるとずいぶんしんどいようだ。このまま九頭竜家が貰い受ける」

「……あいにくですが。うちの伊織にはもう縁談が決まっているもので」

「鳥飛田だろう」

「ほう。さすが九頭竜家。情報がお早いようで」


 十夜は苛ついた顔で言う。

 

「あれは正式には決まっていないと聞いたが」

「だからといって破談にはできない。まだ結納はさせていないが……もうすでに、鳥飛田家には多額の借金を肩代わりしてもらっているんだ」

「……借金? お父さま、今借金って言ったの?」

 

 梨々子が聞くが、父は答えない。

 

 十夜は冷たい目をして父を見た。


「知るか。彼女には関係ないだろう」

「家のために働くのが娘だ! 伊織が羊垣内が育てた!」

「伊織は、俺がもらう」

「だめだ!」

 

 言いながら、父の頭に羊の巻き角が現れる。

 そして、懐から呪符を取り出すと、素早く宙に放る。

 放られたそれは、ぽぅ……と光ると、父を取り囲むようにずらりと空中に並んだ。

 

「ふん……」


 十夜の右手に――青い炎がともる。

 

「はっ!」

 

 父の気合いとともに、呪符が一斉に十夜に向かって飛んで行く。数百枚の紙は十夜に貼り付こうとして――一枚たりとも届かなかった。

 すべて、十夜の周囲にまるでバリアでもあるように静止する。

 

「なっ……!?」

「たわいもない」

 

 そして、十夜の手から放たれた炎により

 

 ボォォ

 

 と簡単に燃えてしまった。



「そ、んなばかな……! 火で燃えるような呪符ではない……!」

「普通の火ではない。妖術には妖術だ」

 

 それから十夜は、指をついっと動かした。


「ぎゃあああっ」

 

 突如、父の腕が燃える。

 

「栄介さんっ」

「お父さまっ!」

 

 継母と梨々子が、父に駆け寄った。

 

「…………」

 

 十夜が腕を下げると、火は消えた。

 父はだらりとぶらさがった腕を庇うようにして立つ。

 ふらふらとして見せた父は、……次の瞬間ニヤリと笑った。


「……まだだ」

 

 十夜の背後に、呪符が現れる。

 隠し球を仕掛けていたようだ。

 

 しかし、


 それらは十夜にたどり着く前に地面に落ちた。


「なっ……!」

「ふん……」



 梨々子が、目を丸くする。

 

「お、お父さまがこんなに簡単にやられるなんて……」

「龍の腕を使うまでもないな」

 

 十夜が言った。

 

「こんなざまで羊の当主とは嘆かわしい。羊垣内栄介。お前を今後の定期会合への参加を禁ずる。そして、羊垣内梨々子の跡継ぎも剥奪する」

「な……っ!?」

「ちょっとあなた! なんですの? 羊垣内は梨々子しかいないというのに……!」

「そ、そうよ! 私が後を継げなくなったらうちはどうなるの!?」

 

 十夜の下した断罪に、三人が食ってかかる。

 しかし、十夜の半径一メートルには入れない。見えない力で足止めされている。


 十夜はきつい口調で言った。


「それと。今後一切、伊織に近付くことを許さない」

「なにを馬鹿なことを! 伊織はうちの娘だ!」

「そ、そうよ! お姉さまがいなくなったら、妖怪討伐はどうすればいいの!?」

「もうお前達に討伐依頼がくることもないだろう」

「……っ!」


 梨々子が、唇を噛んだ。


「なんだ。お前も戦うか?」

「ぐ……っ!!」


そこへ、新たな足音が――ふたつ。


「なんだ。何事なのか」

「若さま、これは……」


 やってきたのは、猿城寺ヤシロと、巳沼啓介だった。


「いやー若さまってば、巳沼の調査隊より早く飛んで行ってしまったので、驚きました。……羊垣内の調査はできたみたいですね」

「俺は、そこで巳沼に会って、……羊垣内の問題だと聞いたから」


「ヤシロさまぁっ!」


 梨々子の顔が、ぱあっと明るくなる。


「そ、そうよっ!! 私は猿城寺ヤシロさまと婚約するんだから!! いくらあんたが序列一位の龍の家でも、序列三位の猿の家をコケにすることは許されないはずよっ!! ヤシロさまっ!! 私を助けて!!」

「断る」

「えっ……!?」


 梨々子は、ヤシロの顔を見た。

 ヤシロは、淡泊な表情をしている。


「……先ほどからの話、少し聞いていた。俺は、お前の盾になってやるほど、お前のことが好きではない」

「え……っ? な、なにそれ……? ヤシロさま……?」

「婚約する前で良かった。父には話しておく」

「ヤシロさま……!」


 梨々子が体を震わせたが、ヤシロはもう梨々子を見ていなかった。


 ヤシロは、十夜に向かって言う。

 

「『猿』からも、異論はない」

「そうか」


 十夜は涼しい顔で言った。


「では、羊垣内梨々子の次期当主は剥奪ということで。次の”羊”は会合で決めておく」

「そんなことが許されるの……!?」

「お前達が伊織にしたことの方が許されない!」


 十夜がピシャリと言うと、梨々子は体をぶるりと震わせた。

 

 十夜は、伊織の手を引く。


「いくぞ。伊織」

「は、はい……十夜さま」


「待て! 伊織!」

「……!」

 父に呼び止められ――伊織は振り返った。


「お前は、父と――羊垣内家を捨てるのか! 育ててもらった恩を忘れて――……!」

「……! お、お父さま……。わ、わたしは、……」

「悔しいっ! 全部お姉さまのせいだわ……! お姉さまだけが幸せになるなんて、許せないっ!!!」


 梨々子が、伊織に掴みかかる。伊織が父に気を取られている間に、そばに来ていたのだ。

気付いたときには、伊織は梨々子に胸ぐらを掴まれていた。

 梨々子が叫ぶ。


「なんでなのっ!! 私の未来を奪って!! なんなのよっ!!」

「り、梨々子……っ!!」

 

 伊織は、梨々子の手を押し返そうと腕に力を込めた。

 しかし、梨々子はなかなか剥がれない。

 


「お姉さまのくせに! お姉さまのくせにっ!!」

「…………っ」


 伊織は、黙ったままぐいぐいとその手を押し返す。

 ふたりは少しの間もみ合い、

 


 そして。


 パァン。

 と、乾いた音がして。


 梨々子の頬を平手打ちした。


「ハァ……ハァ……ハァ……!」


 梨々子に反撃したのは今までで初めてで、伊織は動機で息を切らす。

 その一回は、勇気の一回だった。


 梨々子は、なにをされたか分からず、呆然として頬を押さえている。

 まさか、姉が反撃してくるとは夢にも思わなかったのだろう。



過呼吸になるほど、肩で息をする。

 そんな伊織の肩を、十夜がそっと優しく抱いた。


「十夜さま……」

「よく、頑張ったな」

「……はい」



 伊織は、家族に向き直る。

 


「わたしは、もう、羊垣内には戻りません……。今まで、育ててくださって、ありがとうございました……」



 そうして、深々と御辞儀をしたのだった。


 騒がしい夜が、終わりを告げる。


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