第19話 妖怪の森で  


「嫌です……! やめてください……! わたし……!」

「いつものことじゃない。頼んだわよ、お姉さま!」


 伊織と梨々子は、森の中にいた。討伐要請があったポイント付近だ。


 そして伊織は――木に縛り付けられていた。一本の太い木の幹に、太い縄で体を括られている。

 縛り付けているのは、使用人たちだ。暴れる伊織を押さえ込み、縄をかけている。 

 その様子を、梨々子は呪符を広げて扇ぎながら見ていた。


 伊織は、梨々子に嘆願する。

 

「やめて……! 梨々子……! これ、わたし嫌なの……!」

「大丈夫よ! いつも大丈夫だったじゃない?」

「梨々子……!」

「お姉さまはいつも通り、妖怪どもの餌として活躍してもらうわ。今回の出現した妖怪どもは人を襲うらしいの。だから、闇雲に探して歩くより、出現ポイントに餌を置いておびき寄せる方が――遙かに効率的だわ♪」

「やめて……。やめて、ください……。許して、梨々子……」


 伊織の頼みを、梨々子は聞く気が全くない。


「嫌ぁねぇお姉さま! 私、いつもちゃあんとお姉さまにまとわりついている妖怪どもを祓っているじゃない!」


 梨々子は、たびたびを行う。のだ。

 そして、妖怪はすぐには現れないため、梨々子はいつも伊織を放置して数時間休憩しにいく。その後、確実に妖怪がやってきているだろう時間にもどってくるのだった。


 つまり。

 その間――伊織は妖怪に襲われてもひとりで耐えることを強いられていた……。


「梨々子……! 妖怪がくるのは、怖いの……! だから、お願い……!」

「えー? お姉さまってば、仮にも羊垣内のくせに、妖怪が怖いのぉー?」

「お願いします……!」


 梨々子は言った。


「私たちは、少々のことじゃあ死なないわ。無能なお姉さまだけど、私の呪符のおかげで、ちゃあんと今日まで生きてるでしょう?」

「でも……!」

「準備できた?」

「はい」

 使用人が答えると、梨々子は満足そうに頷いた。



 梨々子は、適当な切り株に座ると頬杖をついた。


「そういえば。ねーぇ、知ってるぅー? お姉さまが嫁ぐ酉の家――あささまってぇ、鳥飛田家の落ちこぼれらしいわよー?」

「急に、なにを…………」

「なんでも、鳥飛田家始まって以来の凡才なんですって。でも、ご兄弟が女ばかりで。一応跡は継げるみたいだけど――形だけって噂。実質は長女のユウコさまが実権を握るでしょうね」

「………………」

「どうせお互いの落ちこぼれ同士を押しつけ合ったんだわ! あ、でもお似合いかも! あらお似合い! 良かったわねぇお姉さま! お姉さまの価値は、もう政略結婚しかないのよ。……あら? そうね、妖怪の餌ってのもあったわね! あはは!」

 

 梨々子はそう言って、カラカラと笑った。

 使用人たちは伊織を完全に縛り終わり、木から離れた。


「梨々子、縄を……外して……」

「はあ? 嫌よ」


 梨々子は、伊織を無視して、使用人に尋ねる。


「今回の妖怪の大きさは?」

「はい。100センチ程度の、人より小さい中型の妖怪です。ろくろ首のような長い首と、真っ黒い胴体を所持しているとのことです」

「そ。出現時間は?」

「昼夜問わず、現れるようです」

「襲われた人は?」

「取り憑かれると生気を吸い取られ、半日のうちにごっそり痩せてしまうようです。――被害者は、もう10人にものぼるとか」

「ふーん。お父さまも呼んできた方が良いかしら」


 梨々子はそう言って、


「それにしても、」


 と、笑みを浮かべながら、木に呪符を貼っていった。

 

「お姉さまのような鶏ガラ女が取り憑かれたら、どうなっちゃうのかしら? 骨と皮だけ? くすくす!」


 罠の呪符を貼り終わると、梨々子はひらりと手を振った。


「じゃあね、お姉さま。またあとで会いましょう。今日のはちょーっと強そうだから、大変かもしれないけど。夜にはお父さまを連れてきてあげるから」

「そんな……! 夜までなんて……! 梨々子……! お願い……!」


 伊織の言葉に耳を貸すこと無く、梨々子は使用人たちを連れて去って行った。



 あとには、伊織がひとり残された。



「うう……っ。嫌……。どうしてこんな……」


 これから妖怪がやってくるのだと思うと、ぞっとする。

 伊織は、涙を流した。




 ***





 それから、何時間経っただろう。

 日は落ちて、あたりは暗くなり始めている。

 伊織は、変わらず木に括られていた。

 抜け出すことは、できない。

 

「…………」


 食事も、水分も与えらていない。伊織は、ぼうっとして、幹にもたれる。



 わたしの希望は、いつだって叶わない。

 諦めて過ごしているけれど、でも、だって、どうすればいいの?


(こんなことなら、やっぱりあの日、死んでおけば……)


 伊織は、ぼうっとした頭で思った。 


 梨々子の話した、――鳥飛田朝人の話を思い出す。

 話だけでしか知らない、縁談の相手……。



(わたし、……知らない男の人と、結婚するんだ……)



 結婚――その言葉は、伊織の胸に重くのしかかった。

 以前なら、希望の言葉だったかもしれない。


 しかし。


 結婚後は、出戻ることも死ぬこともできないだろう。

 やはり、あの時が――あの夜が――一番のチャンスだったのだ。


 そう思った、その時だった。


 ――ガサ。


 ――ガサガサガサ。


 草が揺れる音がして、

 

「……っ」


 伊織は息をのんだ。


「…………」


 音のした方を注視する。


 ガサ、ガサ、ガサリ。


 伊織の額を、汗が滑る。


 ガサ、ガサガサ。


 音はだんだん大きくなっていく。


 そして。


 木の陰から、ヌッと大きな体躯の赤肌の大男が現れた。ゆうに二メートルはあるだろう。

 その大男は頭には角を生やし、大きな目をギョロリとさせた。ボロ布を纏い、太い棍棒を持って歩いている。

 それは、人ならざるもので。

 しかし、梨々子たちの言っていたターゲットの妖怪とは、ずいぶん風貌が違う。


 ――鬼だ。

 直感で、すぐにそう思った。


(ひっ……!!)


 伊織は、悲鳴のような声を押し殺した。


 ――鬼。妖怪の中で最も上位で、最も討伐が難しい存在だ。滅多に姿を現さないため、ほとんどの人間は鬼を見たことはない。

 祓い屋たちが普段討伐しているのは、もっと弱い妖怪たち――今回梨々子に依頼が来たような――だ。

 非力な伊織では、太刀打ちできる相手ではない。


(どうしてこんなところに鬼が……! ……ううん。お父さまが、最近この辺にでるって言ってた……!)


 心臓が、バクバクと鳴る。冷や汗が止まらない。


 しかし、伊織の体は木に縛り付けられていて、どうすることもできない。



 鬼の口が、ゆっくり開いて、


「イイ ニオイ ダァ……」

「……っ!?」


(しゃべった……っ!?)


 声にならない叫びを出しながら、伊織はガタガタと震えた。


 人語を話す妖怪を、伊織は初めて見た。



 ガサリ、ガサリ、鬼は一歩ずつ草を踏んで、ゆっくりと伊織に近付く。



(嫌……! 怖いっ! 怖いっ!)



 伊織は、思わず目を瞑った。




 ――人生は、なるようにしかならない。


 伊織は常々そう思って生きてきた。


 自分の力でどうにか出来ることは少なすぎて、手の届く範囲はあまりにも狭い。反論や反抗をしたところで、敵わないし、叶わない。

 今日だって。どんなに頼んだって、梨々子は決してやめてはくれなくて。

 決定事項にされてしまったら、自分がなにか言ったところで、どう変わるでもない。


 いつも、いつもそうだった。


 台風がすぎさるのを待つ雑草のように、日々を過ごしていくしかなくて。



(そう、だから、もうどうにもならない……わたしは……。わたしは…………)




 伊織がうなだれると、胸元から一枚の折りたたんだ紙がパサリと地面に落ちた。


「……これ、は……」




 十夜からの、手紙だ。縛られる時に暴れたので、入れていた位置がずれたのだろう。

 手紙が開いて――文面が見える。



 ――『伊織 辛くなったら呼んでくれ これからも助けになろう――十夜』



「……っ! …………十夜、さま……」


 伊織の目から、涙の粒が後から後からこぼれる。

 もう、涙なんて枯れ果てたと思ったのに。


 伊織の脳内に、十夜の顔が浮かぶ。

 

 あの夜――湖で抱きしめてくれた、十夜さま。

 優しく手を引いてくれた十夜さま。

 話を――どんなに遅く紡いでも、じっと聞いてくれた十夜さま。

 彼の真剣な青の瞳が、伊織の心をまっすぐ射貫いて、一日たりとも忘れられない。

 

(たった数日、いっしょにいただけなのに……)


 彼の大きな手のひらがそっと、熱があるのかと額に触れたこと。

 はじめて「いい、能力だ」と褒めてくれたこと。……はじめて無能だと笑わなかった、十夜さま。

 喫茶店へ連れて行ってくれた十夜さま。

 お風呂あがりの――少し跳ねたくせっ毛の先にある、雫。

 朝起きたときの、温かな体温。

 そのすべてが、――今までで一番、優しくて、温かくて。




「……っ。十夜さま……っ。あ……会いたいです……っ」


 伊織の目から、涙が零れる。ぽたぽたぽたぽた、どんどん零れる。




 鬼は、伊織に向かってゆっくり歩いてくる。その距離はもう五メートルもない。鬼が口を開くと、白い息が「コォォ」と音を鳴らしながら漏れた。



 伊織は、――力なく笑った。



(十夜さま、わたし、わたし、あなたのことが、好きでした。優しいあなたはきっとあの夜、わたしじゃなくても助けたかも知れません。でもわたしにとっては、あなたがはじめてで、あなたが今まで出会った誰よりも優しくて、だからわたし、あなたに惹かれてしまいました。釣り合わないって、分かっていました。だから――お屋敷をでました。でも、やっぱり会いたくて。今、会いたくて、最後に、最期に目に焼き付けるなら、あなたの顔がよかったです)



 今まで、いろいろな願いを諦めてきた。


 叶いっこない願いなら、初めから願わない方が良いと、そう思ってきた。

 十夜にも、家族にも、弱い願いを――叶わなくても諦めが付くものを、話してきた。



 しかし、伊織は、生まれて初めて、本当の願いを口に出す。



「十夜さま……っ。わたし……、本当は諦めたくなんかない……っ! ずっと十夜さまといっしょにいたかった……っ。会いたいです、十夜さま……っ!」


「――呼んだか?」

 

「…………へ…………っ?」


(ああ、ついにわたし、十夜さまの幻聴まで聞こえるように――)


 その思った、その時。




 バゴォォォン!!

 

 と大きな音がして、熱風が巻き起こる。

 熱を帯びた土煙が舞い上がり、伊織は咳き込んだ。

 目の前にあった木がなぎ倒され、木片は周囲に飛び散っている。

 もくもくとした土煙が上がったままで、何も見えない。


 (な、なに……?)

 

 伊織は、おそるおそる薄目を開ける。

 

 土煙の中、ひとりのシルエットが浮かんで――


「伊織。お前を、助けにきた」


 九頭竜十夜が立っていた。


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