第720.5話 忠元は、陰謀の実行に躊躇うも……
天正14年(1586年)1月下旬 尾張国清洲城 斯波忠元
母上は、源次郎の同行については暫し考えると言われて、この部屋から出て行った。よって、残ったのは俺と喜太兄ぃと喜兵衛だが……何とも言えない沈黙の時間が訪れる。
なぜなら、源次郎の同行の裏にある企ての実行を……俺は躊躇っているからだ。
「殿……今更後には退けませぬぞ?すでに、京極殿は動いており……」
「わかっている、喜兵衛。わかってはいる。だが……」
三法師様暗殺計画があるかのように伏見城の奥に噂を撒き、お鈴の方を精神的に追い詰めて吉法師様の命を奪わせる……。
俺が天下を得るためには、その方が好都合だという事は喜兵衛から聞いて承知している。それゆえに、一度は進めてもよいと許可も出した。今、喜兵衛が言ったように、伏見に残っている竜子も動いてくれている。
そして、源次郎を母上に同行させるのは、その仕上げの策を竜子に伝え、証拠を上手く隠ぺいする役割を担わせるためだ。場合によっては、買収した侍女たちを始末する事も含めて。
「先程の嘘と言い、その御様子だと……やはり、気乗りしませぬか?」
「あ、ああ……」
だけど、憎むべき信忠の息子とはいえ、幼子の命を奪う事に抵抗がないわけではないのだ。大体、そのようなことをすれば……天下を得たとて、母上に顔向けできない……。
すると、俺の気持ちをわかってくれたのか……喜太兄ぃが「ならばやめますか?」と言ってくれた。
「西村殿!そ、それは……」
「喜兵衛殿だって、本当は乗り気ではございますまい。もちろん、某とて同じ事。ですが、それでも進めようとされるのは……一度計画が動き出した以上、もう後には退けないからではございませぬか?」
「……いかにもその通りだ。しかし、西村殿。今更止めてどうするつもりか。中途半端なこの状況でやめれば、逆に殿の御身に災いが振りかかろうぞ」
「そうですな。全くもってその通り。それで、殿……如何なさいますか?」
すでに企ては実行に移されている。ここで中途半端にやめれば、事が露見して……潰されるのは俺の方になる。その時は、無関係な母上とて巻き沿いになるだろう。
「……つまり喜太兄ぃは、俺に幼子の命と母上の命のいずれを取るのかと問うておるのだな?」
「い、いや……そこは普通にご自身の命というところでは?」
「ま、まあ……母上が誰よりも大好きな殿らしい解釈ですが……それで、どうなされますか?このまま続けるのか、それとも西村殿が申された通り、お止めになられるのか」
進むか、それとも退くか。吉法師様には悪いが……母上のお命に比べたら塵芥だ。そう考えたら、進めるより他はない。俺は改めてこのまま進めることを決めた。
「なんか、決め方があれで、吉法師様に申し訳ないな……」
「そうですな……。でも、殿らしいと言えばらしいですね……」
二人はそういうが、こうして決めた以上はより効果的に利益を得られるように考える。そして、その一つが……吉法師様の後釜に我が子・万福丸をねじ込むことだ。
「あの……殿、流石にそれは無理筋では?」
「吉法師様がお鈴の方に殺されたら、流石に三法師様もそのままというわけにはいくまい。いや……そうでなくてはならん」
そして、世継ぎがいなくなったところに、万福丸を信忠の娘・幸姫様の婿に送り込む。万福丸は女系とはいえ上様の孫だし、この条件ならできなくはないかもしれない。
「喜兵衛殿、どう思われますか?」
「ま、まあ……実現すれば、我らにとっては言う事はないので、よろしいのでは?」
もちろん、果実が熟して落ちるのをただ待つつもりはない。俺は安土に向かう源次郎の役目にもう一つ追加する。それは、上様の側近たちを抱き込むことだ。事件が起きたら万福丸を将軍継嗣に推すよう、傷心の上様に囁いてもらうように……。
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