第8話 化け物
危急を告げる鐘の音というのは人の心を掻き立てる。また、そうでなければ警鐘の意味は無いのだが––。
農業区画の端へ辿り着き、採掘区域へ近づけば近づくほどにパニックの様相は大きくなっていた。
「こっちだ!居住区画まで向かえ!」
「先生!こっちで血を流した人が!」
怒号や悲鳴が飛び交う中、警備部隊は何とかの誘導を行い、人々は支え合いながら採掘区域から少しでも離れていく。
その警備部隊にしても状況を完全に把握することは出来てないようで、ひとまずクリーチャー襲撃におけるマニュアルに従うことで何とか
「大丈夫。額が切れて血が出ているだけだ。今、血止めする」
牧童の男の血を拭き上げ、無窮の鞄からと軟膏を取り出す。
「警備部隊の指示に従うんだよ。避難先でシズカ先生が緊急の診療所を立ち上げてるはずだ。頭に異変を感じたら診てもらうんだよ」
「ありがとうございます。先生」
手早く処置を終わらせると、群衆に向かって叫ぶ大斧を持った兵士にドミトリは近づいた。
「一体何が起こったんだ?」
「わかりません。詰所に走り込んで来た男はうわ言のように、化け物が出た、化け物が出たと繰り返すばかりで––って、あんた!どこに行くんだ!」
男の肩をぽんぽんと叩き、走り出すドミトリに新米兵士は慌てて声をかけた。
「大丈夫!僕は医者だ!」
農業区画を超えた先に広がるのは畜産地区。定命の者達の避難を優先させる為、囲いの中にはまだ鶏や豚が居残っていたが、順次、兵士達が農業区画の方に誘導し始めている。
その畜産区画を超えた先に採掘区画があるのだが––怪我を負っている者が多く、自分で歩ける者は救護所へ送るよう指示を出し、重傷の者だけ応急処置を行っていく。
「もっと火の槍を持って来い!」
「怪我人は後ろへ下がれ!」
前線は怒号が飛び交っている。
「怪我人を見せてくれ!」
ドミトリは大声で叫び、引きずられるように連れられてきた男に処置を施す。
「まるで地獄だな」
ドミトリの背後からトッドが声をかけた。
「何をしている」
ドミトリが折れ曲がった脚を元に戻すと、空を裂くような甲高い声が耳を突いた。
「何って、助けにさ」
添え木をし、包帯できつく縛り上げている最中も、ドワーフの大の男は子供のように涙を流しながら、懸命に痛みをこらえていた。
「君に何が出来る。邪魔なだけだ。逃げろ」
男を支えている男に指示を出し、ドミトリは進んでいく。
「俺について何も知らないだろ。役に立つかもしれんぜ」
こんな状況であってもトッドは薄ら笑いを忘れない。
「戦えるのか?武器は?それとも魔術師か?」
「あいにくどれでも無い。喧嘩は苦手でね」
ドミトリは大きな溜息を吐いた。
「おいおい、こんな俺でもあんたの手伝いくらいは出来るぜ。アンタ1人じゃ回らないだろ?」
「……僕の指示に従え。危なくなったらすぐに逃げろよ。いいな」
歓喜の口笛を吹くトッドに苛立ちながらドミトリは先に進んだ。
実際、トッドの言うことには一理があったし、何より、この男が心の中に引っかかる。慌てふためいてもおかしくない状況であるはずなのに、この男は涼しげに口笛なぞを吹いている。
「ラッキーだな。本当は診療所でアンタとよく話したかったんだ。ここにはあの怖いお嬢さんはいないし、アンタとじっくり話ができるな」
「お前……何を言って––」
再びの爆音。そして音の主が2人の前にその全貌を表した。
「おい……嘘だろ……」
さすがのトッドも言葉を失う。
それは巨大な金属の塊––いや、金属の生命体だった。
6本の腕を持つ蜘蛛のような自律人形。
その頂点にある髑髏の如き鋼鉄の仮面をもたげ、咆哮で坑道を揺らし、暗い
「バ、馬鹿野郎!!そいつに炎は効かねえ!」
人形に向かって火球を飛ばしたり火の槍を投げたりする警備部隊に向かってトッドが大声で叫びながら飛び出していく。一瞬、自律人形に気を取られていたドミトリも慌ててトッドを追いかける。
「コアだ!胸の部分にあるコアを壊さないとソイツは止まらねえ!」
トッドの声は届かない。
誰かのイタズラかそれとも彼を覆って隠していたのか。首元には巨大な黒い布が括り付けられていて、それをマントのようにはためかせては各々の腕を振るう。その度に、ドワーフや人間、あるいはエルフがお手玉のように跳ね上がり死体の絨毯が出来ていく。
「土だ!土属性の魔術師はいねえのか!巨大な物理攻撃で押し潰すんだ!」
さっきまで軽薄な笑みを浮かべていた男と同じ男とは思えない程、懸命に声を振り絞るが彼の声は届かない。ただ走っているだけでは間に合わない。
「クソッ」
トッドは人形に向けて手をかざした。一瞬、人形の動きが止まる。何かに縛り付けられたようにそのカラダは小刻みに震えている。
「今のうちに逃げろ!」
機械の動きが止まった一瞬の静寂––その刹那にようやくトッドの叫びが響きわたる。
兵士達は蜘蛛の子を散らしたように一斉に駆け出す。が、トッドの健闘も虚しく見えない縛りは振りほどかれ、人形は再び雄叫びを上げる。
トッドはもうなりふりかまっていなかった。
腕を掌を天に向け持ち上げると、人形の足元が揺れ、わずかに隆起し始める。人形の方も危機を察知したのか、飛び上がり、坑道の壁面にへばりついた。
「ここからじゃ遠すぎる!もっと近づかないと!」
「僕が援護する!君は人形に集中してくれ!」
トッドの盾になるようドミトリは前に立ち、逃げてくる兵士達を掻き分けながら人形へ走り寄っていく。
トッドが腕を振るたび、巨大な岩石の塊が人形めがけて飛んでいく。人形の方も岩壁を蛇行しながら巧みにかわし続け、塊は虚しく砕け散っていく。
「クソッ、向こうが有利過ぎる!」
警備部隊のほとんどはもう、人形の近くから逃げ切っていた。とはいえ、多くの定命の者達が暮らすこの坑道を大きく破壊するわけにもいかない。
「僕がアイツの動きを止める!」
トッドの横に並びながらドミトリは言った。
「止めるって……何をする気だ?」
岩塊を飛ばしながら、トッドは訊ねた。
「大丈夫だ。君は止めを刺すことだけを考えてくれれば良い。もし僕がダメになったらこれを」
そう言うとドミトリは鞄の中からヒビ入った白い角笛を見せ、鞄をトッドに押し付けた。
「これを吹いてくれ。シズカやローラに僕の体を診せないでくれ。頼んだぞ!」
それだけを言い残し、ドミトリは走るスピードのギアを上げた。
かつて世界最速と謳われた雷の魔術師バラミア、かの如きスピードでドミトリは駆け抜ける。
あっという間に畜産区画を駆け抜け、採掘部の入り口、ちょうど人形の構える場所に到達する。
その間もトッドは岩塊を飛ばし人形を牽制していたが、突然、人形の視線が自らの真下へと向けられた。
その隙をトッドは見逃さない。トッドが飛ばした岩の槍は人形の右腕の一つを撃ち抜いた。とはいえ、人形の体を作る金属は硬く、人形の体を地に落としたのみである。
「おい!ふざけんな!」
思わずトッドは呟いた。くしくも彼の認識する人形への術式有効射程圏内に入ったところであった。
見上げる彼の目に入った景色––それは人形がトッドを掴み天へと掲げている様であった。
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