第15話 事情を知ってるのは俺だけ。だからペアを組みたかった。

 太陽がちょうど真上に来ている中、体操服に身を包んだ俺は運動場に立っていた。


 先週の金曜日と同じように、教師はホワイトボードを教室から引っ張り出してきてペンを滑らす。

 と言っても、ホワイトボードに書かれたのは『パス練習』の一言だけなんだけれども。


 チラッと少し離れたところにいるペア――西原のことを見やると、何気ない笑顔で山口さんと話しているのが視界に入る。

 そして視線を逸らし、ボールが入っている籠へと歩き出す。


 今となっては、西原と山口さんが話していてもなんとも思わない。

 前までは感じていたモヤがなくなり、女子同士の会話ぐらい普通にするだろ、的な感覚になった。


 籠から前回と同様、柔らかめのボールを拾い上げ、踵を返す。

 そして西原の方へと向かおうと――


「白崎!今日は俺とやるぞ!」


 突然目の前に現れたのは、相変わらずの元気さを披露する宝田。

 見るからに空気がパンパンに入っているボールを脇に挟んで仁王立ちしていた。


「……パス練のペアは交代できないぞ」

「そこでなんと!さっき聞いてきたんだな!先生にペアの交代はありかどうか!」

「さいですか。んじゃ俺はペアが居るんで」


 この反応を見れば、先生がどんな言葉を返したかなんて大体の察しが付く。

 だから俺は逃げ出すように宝田を避けて進もうとしたのだが、


「ちょいまて!今日のペアは俺だぞ!」


 通り過ぎようとする俺の肩をガシッと掴んでくる宝田は、また俺の前に回り込んでくる。


 そして今度は逃さんぞとばかりに目をジッと見つめ、俺の手にあるボールを抜き取った。


「うわっ、やらか」

「……まぁ、諸事情があるからな」

「もしかして硬いボール蹴れねーのか?」

「蹴れるよ。けど足痛いから」

「あーね?なら今から拷問だな!ガハハ!」

「……すまんが俺にはペアが――」

「だから俺がペアだって!」


 高笑いする宝田の手を払い除け、また隣を通り過ぎようとするのだが、一瞬にして捕まってしまう。


 別に宝田とボールを蹴り合うぐらいならいいんだぞ?

 でもこのクラスで西原の身体のこと知ってるやついないだろ。それが心配なんだよ俺は。


「というか、この前先生がペアは変えんなって言ってたろ」

「前は前。今日は今日だ!ってことでよろしくな!」

「んな自己中な……」


 ポイッと柔らかいボールを投げ、籠の中に入れる宝田は俺の肩を組み、これまた楽しそうに高笑いしながら歩き出す。


 もちろん乗り気じゃない俺は抵抗しようと試みるのだが、筋力差というものがあり、宝田の身体はびくともしない。


「……今回だけな」


 ため息交じりにそう口にした俺は、尻目に元ペアである西原の事を見てみる。

 すると、そこには山口さん――ではなく、マッシュでセンター分けの、いかにも爽やかイケメンがそこには立っていた。


「あ、ちなみに白崎のペアって西原さんだったよな?」

「……そうだが」


 俺と同じように西原……の隣りにいる男に目を向ける宝田に言葉を返す。

 さすれば、胸を撫で下ろすのが横目に見えた。


「ならよかった。俺の元のペアが坂間でさ、最近坂間と西原さん仲いいらしいから」

「その坂間ってやつ、男か?」

「お?珍しく食いついたな」

「いいから教えてくれ」


 いつの間にか宝田のことだけを見ていた俺は、逆にズイッと顔を寄せる。

 そして肩を掴み、前後に揺らす。


「おぉおぉ……酔うって……酔う……」

「いいから教えろって」

「今あの女子――多分西原さんの隣りにいる男子だよ」

「……なるほど」


 いやまぁ分かってたけど。

 宝田の視線から大体は分かってましたけども。あの男だってことは分かってましたけども。


 せっかく無くなっていた心のモヤが再度溢れ返ってくる。

 内側から湧き上がってくるような、外側から刺激されるような、言葉で言い表せない感情が俺の体を襲う。

 無性にあの男を追いかけたくて、夢中で西原のことを見たくて。


「どしたよ?暗い顔して」

「なんでもない」

「いやいや絶対嘘だろ。慰めてくださいの顔してるぞ?」

「してねーよ。いいからやんぞ」

「お?乗り気になったか?やっとサッカー部に入る気になったのか!」

「ちげーよパス練だよ」


 極力西原のことを見ず、宝田の顔を見て話す。

 最後に見たのが西原と……坂間の笑顔というのがなんとも心に残って仕方がないが、うん、忘れよう。


 大きくため息を吐いて熱を放出し、宝田との距離を取る。

 この前の西原とは比べ物にならないほどの距離を開ける……というよりかは開けさせられ、ざっと25メートルぐらい。


「んじゃ行くぞー!」


 遠くから聞こえてくるその声とともに、宝田は浮かしたボールを飛ばしてくる。


「ん……っと」


 右足をタイミングよく引き、ボールの勢いを殺して足元に留め――れずに、少し前に弾かれてしまう。

 こっちは素人なんだから少しぐらい手加減してくれ?


 願わくばこのボールに怒りを込めて蹴り飛ばしたかったのだが、変な感情を込めると明後日の方向に飛びかねない。

 だから無心でボールを蹴り返す。


「ナイスボール!上手いぞー!!」

「どうも」


 絶対に聞こえないであろう言葉を返し、次のパスに備える。


「――行くよ、西原さんー!」


 突然隣から聞こえてくる声に、無意識に目を向けてしまう。

 そうすれば、10メートルほど距離を開けている2人の姿が視界に入った。


 坂間が蹴るボールの音から察するに、俺達が今蹴り合っているボールと同じぐらいの硬さ。

 そしてそのボールは西原の遥か右側にズレてしまう。


「ごめんー!ちょっとズレたー!」


 ちょっとズレた?あれが?

 白と黒の六角形のボールはコロコロと転がり、緑色のフェンスへと当たる。


「大丈夫〜」と言っているのだろう。口をパクパクとさせる西原は、長袖の体操服と共にボールへと向かって走った。


「白崎ー!よそ見すんなー!」

「ん、あぁ……すまん」

「あぁ?なんつって?」

「すまんー」

「あー?あー、おけー!」


 うん多分あれ聞こえてないな。

 腕で丸を作った宝田は、再度浮かせたボールを蹴ってくる。

 そんなボールを、また勢いを殺して止めようと――


「あ……」


 ――足の前でバウンドしたボールは、俺の太ももに当たることなく後ろにすっぽ抜けてしまう。


「なにしてんだ白崎ー!」

「だからこっちは素人だって……」


 なんて愚痴をこぼしながらも手を合わせ、会釈して申し訳ないことを表明する。

 そして宝田に背を向け、一応駆け足でボールを追いかけた。


 ……あまり炎天下で走りたくないんだけどな。

 そう思いながらも俺の意識は自然と、ボールを地面に置いた西原へと向いた。


 ボールを勢いよく蹴るためか、助走をつける西原はぎこちない足取りでボールを蹴る。

 だが、当然のようにボールは飛ばず、地面を転がって、案の定西原と坂間の真ん中らへんで止まってしまった。


「ボール止まってんじゃんー!」


 なんて、ケラケラと笑う坂間は腰に手を当て砂を蹴りながら言葉を紡ぐ。


「ボールはこう、力強く蹴るんだぞー!」


 こくこくと頷きながら、その場に留まるボールに向かって走る西原。


 そんな西原の表情には微笑みがあり、異性の友達とのサッカーがそれほどまで嬉しいのか、と思えるほどに苦しい顔なんてひとつとしてない。


 俺の時は楽しくなかったのか?なんて怒りも覚えるが、まともに話せない異性とボールを蹴り合っても楽しくないのは自然の摂理で、この怒りも自己中なものだ。


「……んにしてもあっついな」


 おでこに手を当て、目を細めながら燦々とする太陽を見上げれば、これまた手加減無用と言いたげに笑っている。


 首元には水滴が流れ、服が背中にへばりついて気持ち悪い。

 ハタハタと服を仰いでみるが、送られてくるのは熱波だけで、決して涼しいとは言えない。


「なに黄昏てんだー!さっさとしろー!!」

「なんであいつはあんな元気なんだよ……」


 遠目から見ても分かるほどに、太陽顔負けの笑顔を見せる宝田は大きく手を振っていた。


 こっちは帰宅部で、まともに外にすら出てなかったんだぞ。というか、黄昏てたんじゃなくて休憩な?

 多分暑さで俺の沸点が下がっているのだろう。


 小さなことで苛立ちが湧き上がって、無性に怒りをぶつけたくなる。

 うん、暑さで苛立ってるだけだ。

 決して西原のことではない。


 なんてことを自分に言い聞かせながらボールを拾い上げ、今度は正確性を重視しない怒りを込めたパントキックをお見舞いしてやる。


 さすれば、宝田の頭上を通ったボールは――カシャーンッという音を立てて柵にぶつかった。


「パス練習だぞ!その蹴り方はダメだろ!」


 なんとか耳に届く宝田の声とともに見えるのは、腕を上げて反抗してる姿。

 ボールを取りに行くことに怒っているのではなく、俺の蹴り方に対して怒っているその姿からはサッカー愛すら感じてしまう。


「すまんー」


 一応謝罪の言葉を返す俺は、やおらに歩く。

 無限に取られていく体力を少しでも回復するために、息を整えながら。


「――ごめん!またちょっとズレたわ!」


 なんて言葉が聞こえてくる方に顔を向ければ、ボールがこちらへと勢いを増して迫ってくるのが視界に入った。


 浮き球の状態で、まるでシュートのような強さで。


 慌てて左足を引いてボールの勢いを殺す俺は、思わず坂間の方を見てしまう。

 このボールでちょっとだ?なに言ってんだあいつ。


「ご、ごめん……。ありがと……」


 タッタッタッと砂埃を立てながら走ってくる西原は、俺の前に立ち止まるや否や、膝に手をついて肩で呼吸をし始める。


 若干頭がフラフラしていて、それを支えるように手を付いているようにも見えるが……こいつ大丈夫か?


「俺は別にいいけど、大丈夫か?」


 ボールを持ち上げながら言う俺に、西原は小さく頷く。


「大丈夫……。心配しないで……」


 どこか強がってるようにも聞こえるその言葉を口にした西原は顔をあげるが、膝に手は着いたまま。

 顔や首の至るところに汗が流れていて、なんなら顔色が青っぽい。


 杞憂だと言いたいのか、西原の顔には微笑みを貼り付けているが、それは苦笑と何ら変わりはない。


 確かに目の奥からは『楽しい』だとか『もっとやりたい』だとかの感情が感じられる。

 けれど、それはあくまでも願望に過ぎない。


「ちょっと休め」

「…………やだ」


 まるで子どものように口を尖らせる西原はそっぽを向き、そして俺の手にあるボールを見た。


「頂戴。ボール」


 そんな言葉を口にしながら身体を支えていたはずの腕をこちらに伸ばしてくる西原。

 そうすれば、気のせいかと思っていた頭の揺れは目に見えるものになり――


「――あっ、おい!」


 願望はあれど、身体はその願いに応えられなかった。


 突然として身体の力が抜けた西原は目を閉じ、俺の方へと倒れ込んでくる。

 慌ててボールを落として西原を支える俺は軽く肩を叩き、意識があるかどうかを確かめるのだが、


「おい。おい!」


 どんなに叩いても、揺すっても言葉が返ってくることはなく、座っていない首だけが揺れる。


 辺りを見渡せば、心配そうにこちらを見てくる生徒たち。だが、決してこちらに駆け寄ってくることはない。


 当然その中にも坂間がいて、心配そうな目をするだけでこちらに駆け寄ってくる様子なんて一切ない。


「クソッ……」


 なんて言葉を残した俺は、西原を抱いて走り出す。

 辺りから飛び交う女子の歓声なんてクソ喰らえ。

 こっちは一大事なんだよ!


「先生!西原が倒れたんで保健室連れて行ってきます!」

「は?さっさと行け!」

「行きますよ!」


 保健室を勢いよく指差す先生に言葉を返し、転ばない程度のスピードで保健室へと向かう。


 なんでこいつは言わなかったんだよ。自分の体が弱いって。

 自分の体のことなんだから自分が一番知っているはずだ。


 事前に病弱なことを説明して、近い距離でのパスやら休憩を挟むだのの対策をすれば良い。


 まぁ今回それをしなかったからこうなったんだけども!

 こいつはほんと馬鹿だ!男子とのボール回しがそんなに楽しかったかよ!


 なんて愚痴を心の中だけで零す俺は、足で勢いよく保健室の扉を開けた。

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