女神の箱庭
たいら
零
その昔、人間には生えない歯があったらしい。
上下左右、奥歯のその向こうの歯茎の下で、ある者は立ったまま、ある者は横になって長い間眠りについている。自分の生まれた意味も、その無用の哀れさも知らないままに。
しかしそれらは眠りながらも少しずつ成長して、やがて健康な同類たちと、その大いなる宿主を脅かす存在になるという。レントゲンには、胎児のごとき健やかさと、しかし育ち切った頑健さが或るいびつさを白く落とす。
そして多くの場合、それらはものを一度も噛むことなく取り除かれる。我の生きた証を刻まんとばかりに痛みと腫れを残して、銀のトレーに転がるころにはもう乾いている。
今から数百年前は、ほとんどすべての人間が顎の奥にその小さな骨を隠し持っていたのだと、タブレットの文字は語る。今の人類には、そのものがなしい子どもの姿はない。5G回線のように遅々とした進化の歩み。長い年月を経てようやく、遺伝子は不必要を学び、咥内の片隅に眠る白い影は姿を消した。
愛読する三流雑誌のページを閉じ、人差し指の薄い爪の先が画面を暗くする。すかすかとした肋骨の隙間を、住み慣れない匂いがくすぐっては逃げていくのが、部屋を覆うほの暗い深夜と相まって鬱屈した気分を生み出しそうだ。
軽いからだをベッドに横たえれば、有用性など塵芥ほどもなさそうな雑学記事に脳が重い。
いったい、新人類は誰から。
四本の合間にだんだん三本の人間が生まれはじめ、割合を増やし、そしてまた一本と減り、数百年。誰も最初のひとりを見なかった。「いま」の人間たちに少量の絵具が混じるように、「つぎ」が溶け込んで、やがてその色を支配する。支配するころにはまた次の絵具がじんわりと滲み始めている。
目を閉じると、静けさが反響した。瞼の裏で四角い残像に文字が浮かんでは消え、円かな眠りを呼び寄せる。やがて呼吸が、一定のリズムで枕に滴る。眠る間際に、いつもの顔が自分のために微笑んだ。
ゆるやかな退廃と、蚕食。進化という現象の、すべて。
今垂れ落とされたのは、なに色?
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