第27話 坂嶺葉子という女


 <犬飼いぬかい竜太郎りゅうたろう




 窓からの日差しを浴びながら、時計を見る。


「お昼ごろってそろそろか……?」


 数時間前に来たメッセージを見返す。




 氷ヶ峰ひょうがみね【大人しく寝てなさい。お昼ごろ、お見舞いにいくので】




 もちろん俺は、即返信した。


 【お見舞いはいらない】、と。


 しかし、そのメッセージにあいつからの返信はなく、既読すらつかなかった。


 氷ヶ峰ひょうがみねこおりは一度決めたことは絶対に誰に何を言われようと翻さない。


 しかし、この部屋にくるのか……。


 この前みたいに猫屋敷ねこやしきさんも春出水はるでみずさんもいない。


「本当にお見舞いだけで帰ってくれたらいいが……」



 まぁ、ないだろうな。

 何か面白イベントとでも思ってるのだろう。


 俺は熱発している身体に鞭打って最低限の掃除をした。




 ────────────────────



 それから少しして、チャイムが鳴る。



 玄関まで歩き、覗き穴を見ようとすると、ゴンゴンゴン!と扉を殴る音が聞こえる。


 ……見るまでもない。


 この堪え性の無さは、氷ヶ峰ひょうがみねこおりで確定。

 嫌な気持になったので少し待つ。


 すると、チャイムとゴンゴンゴン!がに鳴る。


 こいつ……両手使って……。



「おい殴るな」



 俺は言いながらおそるおそるドアを開ける。

 もちろんすぐに入れる気はない。


 “ネゴシエーター・ドラゴン”である俺の交渉力を見せてやる。



「……犬飼くん。どうしてチェーンをしてるの」



 少し開いたドアの隙間から、じっと氷ヶ峰ひょうがみねが俺の方を見てくる。


 上はグレーの薄手のニット、下は秋色のチェックのミニスカート。

 ニーハイにロングブーツを履いている。


 カーディガンを羽織っているが、寒そうだ。

 今日は10月にしては気温が低い。



「いや、俺、風邪だからさ。感染うつしたら悪いし……」


「早く入れて」



 手に袋を持ってる。何か差し入れ買ってきてくれたのか。

 正直驚いた。そんな気が使えるとは。


「それ、貰おうか……?」


「うるさい。早く入れなさい。入れないと叫ぶわよ……すぅ~~~ッ」


「ま、待て。開けるから」


 俺は慌ててチェーンを外し、ドアを開ける。


 “ネゴシエーター・ドラゴン”、敗北。


 滑り込むように入ってきて、ずかずかと廊下を進む氷ヶ峰ひょうがみねを恨めしそうに見る。


 仕方ない。


 危なかったんだ。こいつはあそこで本当に叫ぶタイプの女だ。

 交渉も何もあったものじゃない。


 氷ヶ峰ひょうがみねを追って俺も部屋に戻る。


 すると、威勢良く入ってきた割には、所在なさげに立ってる氷ヶ峰ひょうがみねがいた。


「なぁ……」


「待って。しゃべらないで。病人なんだからベッドで寝てて」


 おいおい。

 俺から喋る権利も奪うのか。


 まぁ、正直俺も熱と息苦しさで意識が朦朧としている。

 もう知らん。寝てしまおう。


 ベッドに入り、横になり布団を被って眠ろうとする。



 しかし…………視線が気になるな。


 目閉じてても感じるって相当だぞ。


 俺がゆっくり目を開けると、やはりそれを感じた通り、氷ヶ峰ひょうがみねがけっこう近い距離で大きな目をじっとこちらに向けていた。


 こえーよ。


 あとこのローベッド、高さが絶妙なので、俺の頭元にしゃがんでる氷ヶ峰ひょうがみねの下着が見えそうっていうか見えてるんだが。ミニスカートのこと忘れてんのか。

 何とか見ないようにして、声を出す。



「…………な、何かあるのか?」


「し。だまって」


「んむ……」


 細く白い人差し指が、俺の唇を抑える。


 ひんやり感じるのは、外の寒さが残っているのか。

 氷河系よろしくもともと体温が冷たいのか。


 俺は大人しく黙り、もう疲れたので本格的に寝入ることにした。

 今度こそ完全に目を閉じる。

 少しして、雑な手つきで俺の首元まで布団をかけてくる氷ヶ峰ひょうがみね


 俺は、意識が落ちる直前に思ってしまった。

 意外にも、体調が悪い時に誰かが傍にいるというのは、悪くないかもしれないと。


 それがたとえ氷ヶ峰ひょうがみねであっても。




 ────────────────────



 <氷ヶ峰ひょうがみねこおり>




「………………ねた」



 良かった。何も喋らず寝てくれた。


 私は、竜太郎から退職届の件や、猫屋敷ねこやしきくるみの専属になる話の件など、聞きたくない話題が多すぎた。


 だから話したくない。でも看病はしたい。


 じゃあ黙らせて看病しようということにした。なった。

 名案。さすが私。


 私は、いくら見続けても飽きない竜太郎の寝顔から視線を外し、カバンに手を入れる。


 取り出したのは、白を基調とした花柄の可愛いエプロン。


 その昔、私が風邪を引いたときに、親友の────坂嶺さかみね葉子に作ってもらった卵うどんを竜太郎に食べさせるのだ。


 あれは美味しくて、安心する味だった。

 竜太郎にもそういう気持ちになってほしい。


 だけど、ちなみに私、料理なんてしたことない。


 でもたぶん出来る。見たことあるから。


 とりあえずキッチンに立つ。


 「……道具がたくさんあるわね」


 これ、男の一人暮らしにしてはモノが揃いすぎなんじゃないの。分からないけど。

 まぁ細かくて凝り性な竜太郎らしいか。


 袋からうどんと卵を取り出す。


 そして適当に小さい鍋を取り出し、水を入れてガスを点火させる。


 沸騰するまでそれを見ながら、私は高校時代のことを思い出していた。


 まさに今から作る卵うどんを食べた日のことだ。




────────────────────




 ────ここは、高校の保健室。


 私は高校一年生だった。


 体調を崩してこの部屋でベッドに沈んでいたら、誰かがきた。


 「もー、こおりちゃん。またサボり? ……と思ったけど本当に体調悪そうだにゃ」


 にゃ? この……坂嶺さかみね葉子という同級生は、保健室に常駐してる女だ。

 ハツラツとした印象を受けるショートカットと笑顔が眩しい。


 ただその元気な印象とは反対に、身体は病弱で保健室登校している。らしい。

 詳しいことは私もしらない。

 

 「きょうはほんとにしんどい」


 私はかすれた声で答えた。

 家に帰りたくもないのでしばらくここにいたかった。


 「ふーん。じゃーあたしが元気の出るものを作ってあげようワン」


 今度は犬だ。この人はこう適当にしゃべることがよくある。


 「……」 


 私は返答しなかったけど、なにか始めるつもりだ、と思った。

 ベッドから離れていく葉子を注意深く見る。


 私はこの坂嶺さかみね葉子に出会って日が浅いが、だんだん特性が分かってきていた。


 その特性とは、、だ。

 

 「この冷蔵庫にはねぇ……あった! うどん!」


 勝手に教師用の冷蔵庫を漁るのはどうかと思うが、ちゃんと食べ物が出てきたことに少し安心した。


 それから葉子は小鍋に水を入れて火にかける。


 「しょうゆ~、おさけ~、み・り・ん~。そして和風だし! 決め手の和風だし!」


 手際よく材料を入れていく。


 「そんでそんでうどんさん入れて~~………水溶き片栗粉! 優しさのとろみん!」


 ……それにしても楽しそうに動く人だと思った。

 いい匂いがしてくる。

 食欲なんて無いと思ってたけど、お腹がぐぅと鳴るのが分かった。


 私は、気づいたら壁に枕を立てかけて、ベッドに座っていた。


 料理を終えた葉子がお盆にお椀を乗せてこっちに来る。


 「お待たせ~……って起きてるじゃん」


 きょとんとした顔で葉子が言う。


 「あんなに騒がれたら寝てられない」


 私は当たり前のことを冷たく言った。


 「ごめーん……ってなぁにその、キラキラ期待した目! かーわーいーいー」


 は? キラキラなんてしてない。


 「はやく食べたい。はやくして」


 私はいつものごとくペースを乱される感覚に陥る。

 まぁ、最近は慣れたけど。


 椅子をベッドの近くに持ってきた葉子と二人でうどんを食べる。


 「……葉子も食べるの」


 「食べるよ!! 二人で食べた方がおいしいでしょ!!」


 そういう問題なのかと思った。

 それにしても。


 「おいしい。こんなにおいしいうどんは初めて」


 「そうでしょう~卵ととろみが良いでしょう~」


 満足げな葉子。


 「葉子のことだから変な料理になると少し思った」


 「あのねぇ、私は食へのこだわり凄いの。食べれるって一番の幸せなんだからね」


 「ふーん」


 それから二人して食べ終わると、食器を片付けたあと、葉子はベッドに入ってきた。


 シングルベッドに二人、私たちは向かい合って横になり、うとうとしている。


 「ふふふ」


 すると葉子が突然にやけながら笑った。


 「どうしたの? 機嫌いいわね」


 「いやー、ごみんごみん。今日ここに来る前のこと、思い出し笑いしちゃった」


 「なに。言い聞かせなさい。子守歌のように」


 私は横になっていても顎を上に反らして言う。


 「いや偉そうな子供!? 我儘お嬢さまみたいなこと言って! いや、こおりちゃんは本当にお嬢さまか……」


 「いいから。で、何があったの」


 「冷たいよ~しくしく……こおりちゃん、あーた一緒のクラスの犬飼竜太郎って知ってる?」


 「知らない」


 私は、生徒に興味がなかった。

 それがクラスメイトだとしても。

 ふと……この坂嶺さかみね葉子が同じクラスだったら少しは教室も楽しかったのだろうか。

 そんなことを思った。


 「そっか。あたしね、初めて出会ったよあんな人」


 「告白でもされたの」


 「ううん。あたしは見てただけなんだけどね……」


 それから、葉子は今日何をしていたか教えてくれた。


 なんと、葉子はあるいじめられっ子を助けるため、ガラの悪い上級生に直談判しにいったというのだ。


 何でそんな危ないことを、と思うが葉子はそういうことを平気でする。


 「葉子、そのいじめられっ子は大事な人?」


 「いや別にぃ? そいつはどうでもよくて……あたし一回会ってみたかったんだよね不良ってやつに」


 「また危ないことして……」


 「不良なのに学校くるのって面白いじゃん気になるじゃーん」


 あらゆる物や人に興味がある興味津々女だ。 


 「で、その不良が面白かったの?」


 「ううん、面白かったのは、犬飼竜太郎」


 さっき言ってたなその人。

 あ、今になって思い出した。


 「なんかそういえばクラスにいたわね。いつもムスっとしてる人かしら」


 「あ、そうかも! でね、その犬飼くんがねぇ、色々あってその不良たちと喧嘩になるんだけど……」


 「色々が気になるけど……不良って何人いたの?」


 「流れはあたしもよく分かんない。不良はね、なんと12人。犬飼くんは仲間もなし」


 葉子がおっそろし~って顔をつくりながらそう言う。


 「その犬飼くんはボロ負け?」


 「うんボロ負け。袋叩き。彼、格闘技やってるのかな、何人か倒してたけどね。さすがに人数差が大きかった」


 「かわいそう」


 私はそう言いながらも、あのクラスでムスっとしている男子が喧嘩しているところが想像できなくてリアリティがなかった。


 「でもね、面白いのはそっから。普通さ、喧嘩に負けたらなんていうか、しゅーんとなるでしょ? 身体もプライドもめちゃくちゃにされて、立ち上がれないものじゃん。顔も血だらけでさ」


 しゅーんとなるってのが難しかったけど、何となく言いたいことは分かった。


 「うん。痛そう」


 「でもね、犬飼竜太郎は言ったの。『ぜってー負けねぇからな』って」


 「……負けてるのに?」


 馬鹿な人だなと思った。現実が見えてないのかな。


 「そう。ボロボロの顔で言ってた。不良先輩たちも最初は笑ってたよ。でも……」


 「でも?」


 「犬飼くんは『俺は絶対に勝つまでやめない。だから勝負を始めた瞬間、』って……ふふふ。息もたえだえなのにっ 目が死んでなかったっ」


 「ふーん」


 私は、嬉しそうな顔の葉子を見ながら、眠くなってきていた。

 体調はすっかり良くなってるようだ。


 瞼を落とすように目を閉じる。


 「あたし、犬飼竜太郎と友達になりたいなぁ」


 葉子の柔らかい声と、肌がシーツに混ざっていくような感覚が心地よかった。





────────────────────





 ────そして現在。竜太郎の家のキッチン。

 料理が出来上がっていた。


 私はあの時一度見ただけの葉子の味を完全に再現していた。


 早く竜太郎に食べてほしい。


 お椀を竜太郎のベッドに持っていこうとした。


 だけどそこで、机に置かれた本がふいに気になった。

 お椀を置いてその本を観察する。


 付箋がたくさんついていて、ぱらぱらとめくると何度も折り曲げられたようなあとがある。


「内容は……経済? えふえっくす……?」


 これって、やっぱりそういうことなのか。


 この前の、祖父である氷ヶ峰ひょうがみね冷厳れいげんの謝恩会での出来事を思い出す。


 霧島きりしま凛空りくに突き付けられた、竜太郎の退職届────。



 それ以来、私は上手く竜太郎と話せずにいた。

 口を開けばマネージャーを辞めたいなんて言われる気がして、怖かった。


「竜太郎は、経済の会社に転職するんだ……」


 よたよたと歩きながらつぶやく。


「経済が憎い…………」





────────────────────




犬飼いぬかい竜太郎りゅうたろう



 ……なにかいい匂いがするなぁと思った。


 すると、誰かの声が聞こえる。


 「経済が憎い…………」


 氷ヶ峰ひょうがみねだ。そういえば家にきてたんだった。


 で、こいつ経済が憎いのか。スケールでかいな。怖いぜ。


 それにしても何分くらい俺は寝ていたんだろうか。

 体感ではそんなに経ってないとは思うんだが。


 「あ、りゅ、犬飼くん……おはよう」

 

 「ああ……それ、作ってくれたのか?」


 美味しそうな卵うどんが目の前にあった。

 可愛らしいエプロンを着けてるのを見るに、そういうことなんだろう。


 「うん、食べて元気だして」


 「あ、ああ」


 正直怖かった。

 勝手にキッチン使われてることはもはや気にしないが、これちゃんと食べれるんだろうな。


 だが一口食べて、杞憂だと分かった。


 「どう?」


 「美味しい」


 素直にそう言った。


 「でしょ」


 得意げな氷ヶ峰ひょうがみね


 「朝は喉が痛くて何も食べれなかったから、沁みるよ。お前、料理できるんだな」


 「……良かったわ。食べ終わったらもう口を開かず寝なさい。すぐ眠りなさい」


 だから何で俺にしゃべらせたくないんだこいつ。

 態度が軟化してんのかしてないのか分からなくなるんだよ。


 でも、口調こそキツイが俺に褒められて照れてるのが分かった。


 最近はこの隙のある感じが、新たな氷ヶ峰ひょうがみね。の魅力だなと俺は感じ始めていた。


 完璧じゃなくていいと、少し前までと真逆の道が見えてきた。

 頭で今後の方向性について考え始めると、やる気が出てきた。


 風邪も治りそうな気がする。氷ヶ峰ひょうがみねのおかげだ。


 だから、黙ってと言われていても口を開いた。

 



 「これだけ言わせてくれ。俺は勝つ気だからな」



 冷厳れいげんのジジイに。


 CD300万枚という壁に。


 俺は、氷ヶ峰ひょうがみねから帰ってくる言葉は「しゃべらないで」だと分かっていて、そう言った。


 しかし、帰ってきた言葉は。



 「当たり前よ。勝つまでやめないんでしょ?」



 意外にも、かなり俺好みで良かった。










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