第35話(1)エスガバレー埼玉オーナー
じりじりと窓から建物が揺れている姿が見える。気温が高いのだろうと想像しつつ俺はベッドの方に視線を移した。
目の前には、俺の親父であったはずの男が頭部に包帯を巻いて病院のベッドに横たわっている。右腕から伸びる点滴から察するに、食事は口にしていないのだろうということは医療知識がない俺でも理解することが出来た。
ふと、花を活けようと思い花瓶に触る。
何故気が付かないのかと思ったが、俺はこう見えて抜けている方だと自分自身再理解したうえで淡々と用意をこなしていく。
花屋に見繕ってもらった花を花瓶にいけると殺風景な景色に彩が生まれる。寂しい部屋に彩が生まれたことで親父の血色が少しは良くなるかと思ったが、植物人間状態の親父は当然変化するわけがなかった。
パイプ椅子に腰を落としながら、無言で見つめる。額辺りに包帯が巻かれた親父が生きていることを証明するのはピッピッと形式的な音を鳴らす機械だけだ。
心臓でも触ってみようか、いや、触って命に影響が出たりしたらだめだ。
じゃあ、どうやって確認すればよいんだろうか。わからない。
俺はあまりにも無知で、知らないことが多すぎる。
もっと、もっと、学んで、自分自身の強さを上げなきゃいけない。
それを実現するには、一人だけじゃ力を身に着けることが出来ないだろう。
そんな風に焦りを感じていると、病室の扉が開く。
姿を見せたのは、サングラスに黒コートをまとったロン毛男、Mr.Jだ。
「ハロー、豆芝ボーイ。お父さんのお見舞いとは健気だねぇ」
「健気ってわけじゃねぇよ。ただ、男のけじめとしてやった方がいいって思っただけだ」
「ふぅん、そうかい。ミーにはけじめとかよくわからないねぇ」
「……それで、何のために来たんだ? 俺と雑談するためか?」
「フフッ、そういう余裕があればよいんだけどねぃ。生憎、余裕はないさ。だから、今日は一人の人物を紹介しようと思ったのさ」
Mr.Jの言葉とともに、二人の人物が姿を見せる。
ネイビーの濃色スーツに白カットソー、黒ズボンをまとった黒長髪と琥珀色の瞳を持つ女性だ。もう一人はガタイの良い黒人で、スーツを着ていた。
女性は俺を見るや、俺の前までやってきて自己紹介を始める。
「豆芝君、初めまして。私、エスガバレー埼玉のオーナーを務めている
「ど、どうもっす……」
初音と名乗る人物の綺麗な立ち姿を見た俺は自然と同じことをしなければと思い、椅子から立ち上がった。手渡された名刺は頭を下げて受け取り、顔を戻す。
「ふむ……君は、彼よりも相当しっかりしていそうだね」
「彼、っていうのは……?」
「君と同じように選手兼コーチを務めているプロ選手がいるのさ。元Fリーガーの得点王っていう経歴を持っているから、指導者としての力をつけさせたら面白いんじゃないかと思ってね」
「そうなんですか。因みに、選手としては出場させているんですか?」
「いや、させていないよ。来るべき時まで、コーチに専念させるつもりさ」
「……ちょっと待ってください、得点王を取ったのに使わないんですか?」
「あぁ、それに全体練習にも参加させていないよ」
楽しげに話す初音の言葉を聞いた俺は思った。
何言ってんだ、この人と。
得点王に輝く選手を出さない理由なんて存在しない。
選手として出場させれば、チームに多大な貢献をするだろうし、選手自身の知識を他選手に共有出来る様にすればより強くなれるだろう。
それなのに、この人は得点王を高校サッカーのコーチとして浪費している。
意味が分からない。それに一体、何の価値があるというんだ。
俺が悶々と疑問を募らせていると、初音が口を開く。
「豆芝君。チームを強くするにあたって、最も重要なことは何だと思う?」
「……全員の弱点を潰しながら長所を伸ばす。そして戦術理解を浸透させる。これによって、チームが強く出来ると思います」
「なるほど。確かに理に適っているね。けどさ、それって結局のところ優秀な選手が集まったからという結果論に過ぎないと思わないかい?」
「……どういうことですか?」
「君のいう理想論は、選手が指導者の言葉を完璧に理解して提示する練習を怪我せず完璧にこなすことが前提になっている。つまり、君基準でしか物事を見れていないってことだよ」
「俺基準で、ですか……? そんなことは、ないと思うんですけど……」
俺が困り顔で言うと、初音は腕を組みながら言う。
「豆芝君。君はサッカーで相当優秀な成績を残してきた。それは君自身の実力もあるが、それ以上に学べる環境があったこと、そして――君にやる気があったことが関係しているはずだ。全員が、君の様にサッカーが大好きで、サッカーに対してどん欲に取り組もうという姿勢を持っている。そのように考えてはいないのかい?」
俺は、何も言い返すことはできなかった。
初音のいうことは事実だったからだ。俺には、サッカーという点でしか人に勝てる箇所がなかった。それ故に、俺はチーム内で誰よりも貪欲にサッカーの知識を吸収し自らの力にしていた。
けれど、二子石の選手たちはどうだ。
金銭的に困っている素振りもなければ、プロにならなきゃいけないというガッツも見られない。強豪から見れば数人だけやる気のある、お遊び連中に見えるだろう。
「豆芝君。君の理想は同じ方向を向く人間じゃないと達成することが難しいだろう。だが、君は自らの目的を教えることは難しい。だったら、どうすればよいと思う?」
「…………わからないっす」
初音は俺に笑いかけながら回答を述べる。
「豆芝君。今の君に必要なのは相手をより深く理解することだ。例えば、相手がどのような食べ物が好きか。それを知っておけば会社の接待とかで相手の好みに合わせたお店に連れていくことが出来る。人間っていうのは、最初から情報を持った人物だけが勝利できるんだよ」
「…………つまり、俺は練習を厳しくするなってことですか?」
「落ち着きなよ、豆芝君。今のはほんの例えだよ」
「……そうっすか」
「ほら、不服そうな顔をしない。相手を委縮させかねないから。それと目上に対してはそれなりに敬意をもって話を聞く姿勢は重要だよ。私は君のことを知っているから良いけれど、堅物な上下意識を持つ人間だとトラブルの元だからね」
「……わかり、ました。ありがとうございます」
俺はロボットみたいに身体をガチガチにしながら頭を下げる。
「ははっ、聞き分けがよくて良かったよ。まぁ、そんな感じでさ。これからは相手をより深く見るようにしてみなよ。君が選手としてまたピッチに立つことがあれば――もしかしたら、オファーをかけたくなるかもしれないからね。いやむしろ……今からでもオファーしていいならするぐらいさ。おい、マーキス。持ってきて」
「かしこまりました、初音様」
初音はマーキスと呼ばれた黒人のカバンに入っていたファイルの紙を一枚取り出して見せてくる。そこに書かれていたのは、プロC契約と書かれた紙だった。
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