11話 森の中の神殿

 白銀竜の飛び去った方角をしらみつぶしに探すこと半月。

 帝都から馬車で三日ほどの距離にある森林地帯に白銀竜が出現したらしく、俺たちは、森林地帯を目指すことにした。

 道中の箱馬車内でベアトリクスと向かい合うも会話はない。

 心地よい馬車の振動に眠りに落ちてしまった俺は、前世の夢を見た。



 懐かしい夢だった。

 前世でアルティミシアと穏やかに話せた機会は、片手で数えるほどしかない。

 ぼんやりと余韻よいんに浸っている俺に、ベアトリクスは、「居眠りなんて、下僕失格ね」と、鼻を鳴らした。


「……すみません」


 夢から目覚め、俺は自身が『オルグ』であることを思い出す。

 箱馬車の規則正しい振動が相も変わらず、尻から伝わってくる。


 ベアトリクスは窓の外を睨んでいた。

 街道の片側に森が、もう一方には果樹園や畑が広がっている。

 竜退治に向かっているとは思えない平穏な光景だ。


 ベアトリクスの膝には黒い箱が置かれている。

 仮面を封じていた箱だ。

 仮面はガントレットと同様、装着者の魔力を吸う。

 どれぐらいのスピードで魔力を奪うのだろうか。

 すでに、小竜、いや白銀竜は息絶えているかもしれない。


「トカゲが心配なの?」

「心配、ですか」

「随分仲良くなっていたじゃない」

「そうですか」

「冗談を言い合っていたわ」


 心なしかベアトリクスの声がとげとげしい。

 魔獣嫌いな彼女のことだ。俺と小竜が会話をしている場を目にするだけでも気に障ったのだろう。


 ふと疑問が頭をもたげる。

 ベアトリクスはなぜ箱から仮面を出してしまったのか?

 

「殿下、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」

 

 ベアトリクスは窓枠に頬杖をついた。

 俺は言葉を続ける。


「なぜ、あの場で箱から神器を取り出されたのでしょうか」

「……お前に教える義理はないわ」


 顎をそらしてベアトリクスは言い切った。


「小竜に同情されたのですか」

「忌々しい魔獣にどうして私が同情しなくちゃなんないのよ」


 小竜は仮面のことを友人だと言ってはばからなかった。

 その熱意に負けて……なんてことはないかと俺は思い直す。

 ベアトリクスは生ぬるい感傷に流されるようなたちではない。

 たとえば小竜と何か取引した結果、仮面を奪われてしまったと仮定したほうがまだ納得できる。

 神器を回収することよりも魅力的な提案を小竜にされたのだろう。

 俺はそこまで考えて、だからどうだというんだ、と我にかえった。

 ベアトリクスの思惑を知ろうが知るまいが、神器を回収する上でなんの支障もない。


「やっぱり魔獣は魔獣に心を開くのね」

「俺は人間です」

「信じて欲しければ、行動で示しなさい」


 それはそうだ。

 ベアトリクスの望みを叶えるため、この身を盾にして守る。

 そうでなければ、俺はアルティミシアに顔向けできないのだから。


 そうこうしているうちに、森の入り口に馬車が到着した。



 馬車で進めるのは森の入り口までだ。


「おかしな森ね」


 ベアトリクスはレイピアを器用に振って、行く手を阻む蔦を切り落とした。

 かなり音を立てて移動しているが、生き物どころか魔獣の気配さえない。

 鬱蒼うっそうと茂る草木が陽の光を遮っているため、周囲は薄暗く、地面は湿っている。

 俺は背負った荷物を落とさないよう、慎重に歩を進めた。


 道なき道を進み続けること、半日。

 森に入ったとき頭上にあった太陽は、今ではすっかり地平線へ沈みかけている。


 ベアトリクスが自身の胸元から顔を上げた。

 彼女の視線の先には、窪地があり、その中心に石造りの神殿がひっそりとたたずんでいる。


 夕陽に浮かび上がる神殿の入り口とは対照的に、神殿内は暗闇に包まれていた。

 俺がランプ片手に足を踏み入れようとすると、ベアトリクスが俺の肩を押しやって前に出る。

 ベアトリクスのミスリルアーマーが肩に当たった。対して俺の装備は革鎧だ。ミスリルが革鎧に当たると鈍い音がした。


「殿下、明かりを」


 ベアトリクスはペンダントトップを一瞥いちべつしたあと、俺からランプを受け取った。


「……ぐずぐずしてないでさっさと行くわよ」


 金髪をひるがえし、迷いのない足取りで奥へと進んでいく。

 教会の時と同様、俺は置いて行かれまいと彼女の後を小走りに追った。



 神殿の深くに潜れば潜るほど俺の前世の心臓はベアトリクスの胸元で輝きを増す。

 最深部と思われる階層に到着した今、太陽のような輝きを放っていた。


「ここが最深部のようね」


 アーチ型の入り口の先――広間から、ひやりとした冷気が流れてくる。

 薄く氷の張った広間の中央には、石造りの台座があった。

 氷の床に体重をかけても割れなかったので、俺たちは足を滑らせないよう細心の注意を払い、台座へと近づく。

 台座にオーガを模した仮面がいた。

 ベアトリクスは腕組みし、空っぽの眼窩がんかを見据えている。


 息を吐くたびに白い息が漂う。

 神殿の外といわず、この広間のほかに氷が張っている場所はなかった。

 魔獣は発する魔力によって周囲の環境を変えることができる。皆が皆できるわけではなく、上位魔獣に限られるので、この広間は白銀竜の巣で間違いないだろう。


 大事な友人をほったらかしにして、部屋の主はどこへいったのだろうか。

 

 小竜に変化してどこかに隠れているんじゃないかと、思い付きで広間を見渡していたら、険しい顔のベアトリクスと目が合った。


「お前、ここに来るまでに何回、私の邪魔をしたか言ってごらんなさい」


 先ほどまで浮かない顔で仮面を見つめていたので、何やら考えているとは思っていたが、まったく心当たりのない叱責に言葉が出てこない。


 神殿の浅い階層で、俺たちは、小型の魔獣――ゴブリンやスライムに襲われた。

 狭い通路ではベアトリクスはレイピアを振るえない。そのため俺が先陣を切って蹴散らした。

 俺は仕事を全うした。

 けれど、ベアトリクスは機嫌が悪い。

 俺は首をかしげる。


「己の身くらい守れるわ。いちいち私を庇わないで」


 どうやら俺に守られたのがお気に召さなかったらしい。ベアトリクスの目的は神器を集めることだ。手段など二の次で目的を果たせばいいのに。


「殿下に何かありましたら、民が……孤児院のみんなが悲しみます」


 口に出した瞬間、ベアトリクスが不機嫌そうに顔をしかめた。見たことのある表情だ。

 教会に行く道すがら、殿下おひとりの身体ではないと言って、彼女の機嫌を損ねてしまったことを思い出し、俺はしまったと息を呑む。


「……その言い方は卑怯よ」


 ベアトリクスはふいと、俺から顔をそらした。

 ん? 腹でも痛いのか?

 怒るだろうと身構えていたのに、肩透かしをくらった。


 念願の神器を前にして、ベアトリクスはいつまで経っても仮面に手を伸ばさない。

 俺は台座から仮面を取り上げた。

 ベアトリクスは何も言わない。

 よく見れば仮面のふちに霜が降りていた。白い結晶は擦っても落ちない。


「仕掛けの類はないようね」


 どうやら俺に触らせて、安全を確認していたらしい。いつものベアトリクスだ。体調が悪くないようでなによりである。

 ベアトリクスは俺の手から仮面をひったくり、被った。

 

「なっ!」


 俺はすぐさまベアトリクスの顔から黒い獣の面を剥ぎ取る。


 ベアトリクスは青い瞳を丸くした。


 ガントレットは俺の腕から外れなくなったのだ。

 白銀竜が仮面をはずせたからといって、油断は禁物である。

 魔力のない彼女が身につけたら、最悪、死に至るかもしれない。

 全身から汗が噴き出す。心配する俺をよそに、ベアトリクスは挑発的に微笑んだ。


「いい顔してるじゃない。まるで人のようね」

「……」

「魔力量の多い竜でも外せたのよ。魔力のない私に神器が取りつくはずがないじゃない」


 気を抜けば、人族とは思えない唸り声を発してしまいそうで、俺はグッと唇を噛みしめた。

 無鉄砲なところは忌々しいくらいアルティミシアに似ている。

 ベアトリクスは何が面白いのか、笑みを絶やさず、

「地上に戻るわよ」

 と、俺の手から仮面を取り上げる。


 魔獣との戦闘より体力を奪われた気がした。

 うつむいたまま彼女の後を追っていたら、ミスリルに覆われた背中にぶつかる。


「殿下。どうされ――」


 ベアトリクスは笑顔を凍りつかせ、レイピアの柄に手を置いた。アーチ型の入り口に白い霧が立ちこめている。

 俺たちが入り口に到着した時にはなかった霧だ。

乳白色のもやから姿を現したのは、銀色の鱗を纏った魔獣――仮面を奪った白銀竜だった。



 

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