7話 神器の正体とベアトリクスの野望
階段を降りた先には、土壁の通路が伸びていた。
左右に脇道があり、まるで迷路のようだ。
「こっちよ」
入り組んだ狭い道を、ベアトリクスはスカートの裾が汚れるのも
数分歩いただけで、俺は方向感覚を失った。
孤児院の地下に、王宮へ繋がる道があったとは……。
俺はベアトリクスの背後で、首をめぐらせる。
「人魔大戦の頃に使われていた避難所跡に、孤児院は設立されたのよ」
長い金髪が、ほっそりとした背中の上で、右に左にと揺れている。
俺は毛先を目で追いながら、
「人目につかず王宮へたどり着ける道があっては、殿下をはじめ、皇帝家の方々の身が危うくなるのではありませんか?」
ベアトリクスは「愚問ね」と鼻を鳴らした。
「王宮側には、魔術障壁が施されているの。皇帝一族や英雄アルティミシアの血を引く者から許可を得た者のみ、出入りができるの。と言っても、地下道の存在を知っているのは、私と陛下だけなのだけれど」
「なぜそう言い切れるのですか?」
「お前が自身の正体を明かすのなら、教えてもいいわよ」
肩越しにベアトリクスは口角をあげた。
俺が魔獣であるという疑惑は晴れていなかったらしい。
「俺は人間です」
「あらそう。神器を半日以上装着できるほどの魔力を有する人間はそういないのだけれど……まあいいわ。そのうち私がきっちり正体を暴いてあげるから覚悟なさい」
通路の両側にはところどころに穴があいていて、中をのぞくと部屋になっている。
ベアトリクスは結局、話をそらしたまま、手前の一室に消えた。
土をくり抜いた空間に重厚な家具が置かれている。
ベアトリクスは棚に飾られた人形を手に取った。埃でうっすらと黒ずんでいる。寂しそうな横顔を入り口から覗いていると、「何してるのよ。早くいらっしゃい」とベアトリクスが眉をひそめた。
小走りでベアトリクスの前にたどり着き、
ベアトリクスは一つ咳払いし、厳かに告げた。
「そのガントレットは皇帝家に伝わる三種の神器のひとつ。
「……」
俺は黒光りしている両手を見下ろした。
つまり、俺は前世の屍を
ガントレットを引っ張ったり、揺さぶったりする。軋み音は鳴るものの、びくともしない。
「子どもらしい仕草もできるのね」
ベアトリクスは口元に指を添え楽しそうに笑う。
その表情は悪戯が成功して喜ぶ孤児院の仔らに似ていた。
笑うほど俺の様子はおかしかっただろうか。
軽やかに笑うベアトリクスを疑問を込めた眼差しで見つめる。
「言いたいことがあるのならいいなさい」
ベアトリクスは機嫌よさげに胸の下で腕を組んだ。
俺はベアトリクスのブーツのつま先をしばし見つめ、
「憎んでいる敵を、どうしてこの世から消し去らなかったのか、不思議に思いました」
「まあ当然そう思うわよね」
ベアトリクスは部屋の隅にあるベッドに腰を落ち着け、両手で頬杖をついた。
「……五百年前、英雄アルティミシアは
正確には、
俺は素直に頷く。
「伝説の魔獣を討ち取っても、人魔大戦は終わらなかった。人族は戦に勝つため、
心臓を失ってもなお、俺の身は充分な魔力を蓄えていたらしい。魔獣や人族を見境なく喰らっていたからだろう。
俺の死骸は細かく切り刻まれ、剣や鎧などに生まれ変わり、人族に勝利をもたらした。
大量のアイテムが生成されたとベアトリクスは語っているが、皇帝家が所有する神器は三種だ。
「残りの神器はどこにあるのですか」
「皇帝家が所有する以外の神器って意味かしら。分からないわ」
「?」
「魔族との戦いが終結した後、人族の国家同士で領土争いが起こったの。戦争末期に神器は散逸。以後五百年間、表舞台に上がってきていないわ」
どこかの国が隠し持ってるかもしれないわね、と
ベアトリクスは両手のひらを上にして肩をすくめた。
「とにかく皇帝家が所有するのは三種よ。これがその一つ」
ベアトリクスは首に下げている鎖をたくしあげた。
ペンダントトップが、ドレスの胸元で明滅を繰り返している。
「
「魔獣の心臓……」
一目見た瞬間、前世の俺の心臓だと確信したが、さも今その事実に気づいたフリをして神妙に頷く。
「アルティミシアは
……ん?
俺が心臓を取り出す前後、アルティミシアは虫の息だった。当然その場で死んだはずだ。
しかしベアトリクスは、さもアルティミシアが俺の死後に生きていたと言わんばかりの口ぶりである。
「……アルティミシアはオーガと戦って死んだんですよね?」
「英雄アルティミシア――ステルラ帝国建国の母は天涯孤独だったのよ。人魔大戦中に、彼女が死んでいたとしたら、陛下を含め皇帝家は長年に渡って民を欺いてきたことになるわね。……何よその間抜けな顔は。冗談の通じない下僕ね。正真正銘、皇帝家はアルティミシアの血を引いているから安心なさい」
俺はてっきりアルティミシアの他に血族がいて、ベアトリクスはその末裔だと思い込んでいた。
そうか生きていたのか。
俺は
アルティミシアは幸せな余生を過ごせたのだろうか。
知りたい。しかし今はアルティミシアの――彼女の血を継ぐ者を守り抜くことを優先するべきだ。
そのためには、一刻も早く、ベアトリクスと信頼関係を築かなければならない。
これ以上神器に関係ないことを口にして、不審感を煽るのは得策ではない。
「話を戻すけれど、ガントレットの製作者は
ベアトリクスの手の中、ペンダントトップは、まばゆい輝きを放ち続けていた。
神器は身につけた者の魔力を奪う。
であれば。
「殿下は
武具であれば、戦闘時に身につけるだけでいい。
しかし装飾品として肌見放さず持っていては、魔力を吸われ続け、命を縮めることになる。
「あら、私を心配してくれてるの? 優しいのね」
ベアトリクスは唇を歪め、
「
「え?」
「そんなに意外かしら」
「いえ……」
ベアトリクスは眉尻を吊り上げた。
アルティミシアは
彼女の血を継ぎながら、魔力を持たないとは、不思議なものである。
「……では残る一つは」
「百年前から行方知れずだったわ」
何やら意味深な言い回しである。
話の続きを待つ。
ベアトリクスは得意げに口角の端を上げた。
「帝都に巣くう盗賊団が持っているという情報を、一ヶ月ほど前に得たの。兵力が足りず足踏みしていたのだけれど、動ける目処が立ったわ」
青い双眸がガントレットを凝視している。
「誠心誠意、戦わせていただきます」
「下僕のお手本のような奴ね。ねえ、私がどうして神器を集めているか、知りたいでしょう?」
知らずとも協力するつもりであるが、ベアトリクスの考えを頭に叩き込んでおけば、彼女が今後どういった行動を起こすのか予測を立てやすくなる。
俺が頷くと、ベアトリクスは上機嫌に顎をそらした。
「皇位継承権を持つ者が行方知れずの神器を、父上――陛下に献上すれば、次代の皇帝として認められるの」
ベアトリクスは人族の長になりたいらしい。
そもそも長の仔であるのだから、その地位を望んで当然である。
「殿下が皇帝になられるために、この身を捧げます」
「玉座に興味はないわ」
ではなぜ神器を取り戻そうとしているのか。
「兄上を皇帝にさせないためよ」
ベアトリクスは天井を睨んだ。
兄妹は長らく対立しているという噂は事実のようだ。
何が原因で仲違いをしているのか、俺が知る必要はない。俺はただただ彼女の剣や盾役に徹すればいいのだ。
俺は跪いたまま頭を垂れた。
「余計な詮索をしないなんて、優秀だわ。だからといって私はお前が魔獣と無関係だなんて思っていないから。私を油断させて首を取りたいなら、精々励みなさい」
ベアトリクスは傲慢に宣言した。
「殿下の御心のままに」
「……顔をあげなさい。公平じゃないから言っておくけど、孤児院が襲われたのは私のせいなの」
ちらりと上目遣いをすれば、ベアトリクスは俺から顔をそむけていた。
「兄上は私が孤児院を訪ねることを良く思っていらっしゃらないの」
五年前からベアトリクスは、俺が棲む孤児院だけでなく、帝都全域の孤児院で剣術指導を行っている。
戦いの心得があれば、成人してのち、冒険者や帝国騎士団、貴族の私兵など働き口を選べる。
野生の獣で例えるなら、ベアトリクスはその場しのぎで餌を与える母親ではなく、狩りの仕方を教える優秀な母親である。
「はたから見れば、私は民に媚びを売っている偽善者なのだそうよ。兄上と顔を合わせれば必ず嫌味を言われるわ」
「殿下がそのような悪罵に屈せず、己の信念を貫かれているので、俺たちは武術を学ぶことができています。孤児院のみんなは、殿下に感謝しています」
ベアトリクスは「お前、よくわかってるじゃない」と毛先を指に巻き付けながらにっこり笑った。
悪戯を思いついたときにアルティミシアも同じような表情をしていた。
血のつながりは馬鹿にできない。
「……民あっての国でしょう。そう思わない?」
他者を慈しむ心根もそっくりだ。
俺はベアトリクスの目をのぞきこんだ。
彼女は片眉をぴくりと動かす。
アルティミシア、そこにいるんじゃないのか。
問いただしたい衝動を何とか抑え、俺は「おっしゃるとおりです」と言葉を絞り出した。
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