1話 オーガ、人族に転生する
視界が眩しい。
雨が降っていたはずなのに、頭上は晴れ渡り、目の前には荒野ではなく、見渡す限り人族の住む建物の屋根が広がっている。
俺もその屋根のひとつにいて、片手には人族が食べる小麦粉のかたまりが握られていた。
何がなんだかわからずにいると、足元から人族の声がした。両側を建物に挟まれた横長の空間に、人族が大勢群れている。
「これが、街というやつか」
俺が声を発したはずなのに、聞き慣れない高い声が聞こえた。試しに「あー」と声を出す。やはり、俺の声ではない音が喉から鳴った。
首筋をさわるとなめらかだ。
「……え?」
加えて腕や手は骨張っていて細い。
どういうことだと顔をぺたぺたと触れば、首筋同様頼りない皮膚に覆われていた。
どうやら俺は人族に生まれ変わったらしい。
状況を受け入れた途端、腹が、ぐぅと鳴った。
俺が手に持っている小麦粉のかたまりは『パン』という人族の食べ物だ。
口に含むともそもそとしていて、うまく飲み込めない。
口の中でパンを転がしていると、下界の人垣が急に騒がしくなった。
人族どもは一台の馬車へ手を振っている。馬車に乗っている人物を目にした瞬間、俺はパンを落とした。
そこにいるのは、若い人族の雌だ。長い金髪が馬車の動きに合わせて揺れ、青い瞳は力強い光を放ってる。
「アルティミシア……」
腹に穴があき、虫の息であった彼女はそこにはいない。俺はパンを捨て、屋根の端ににじりよった。
「うわっ。貴重な食いもん落とすなよ、もったいねえだろ」
俺の足元で人族の仔どもが、小麦粉のかたまりを奪い合っていた。どいつもこいつも薄汚れた衣をまとい、肌が垢で黒ずんでいる。
俺は彼らに構わず馬車を視線で追い続ける。馬車は歓声を浴びながらゆっくりと道を進んでいた。
見事、争奪戦に勝った仔が、口を開く。
「お前、王族に興味あんの?」
「アルティミシアは王ではない」
「アル……? 誰だよそれ……? てか、オルグ、お前、いつ喋れるようになったんだよ」
「オルグとは誰だ」
「え、お前、馬鹿は馬鹿でも、自分の名前忘れちゃおしまいだろ」
『オルグ』と名を呼ばれた瞬間、俺ではないモノの記憶が脳裏を駆け抜けた。
『オルグ』は両親を魔獣に殺され、恐怖で声を失い、親亡きあと、目の前の仔らとともに孤児院と呼ばれる巣で生活をしている。
人族の生態についてはアルティミシアから少しばかり聞いている。
聞いているだけで実際に目にするのは初めてだ。
俺は馬車と仔らを交互に観察した。
「お姫様に興味あんのか?」
食料争奪戦の勝者である仔はパンを飲み込み、馬車の進む先を見つめた。
俺は頷く。
すると「物好きだな」と仔は肩をすくめ、「特別にこのイアン様が教えてやろう。ベアトリクス王女は齢十五にして剣の腕は騎士団長と互角らしいぜ。英雄再来。ステルラ帝国安泰ってな」
「お陰で、兄貴のジェラルドが妹のベアトリクスにビビッて暗殺を計画しているって噂もあるよなあ。まあ、オレたちには関係ないことだけど」
アルティミシアに似た女、ベアトリクスは終始笑顔で、人族どもに手を振り続けている。俺は彼女が見えなくなるまで大通りから目を離さずにいた。
俺の記憶の中の彼女と、遠くに消えていく彼女は瓜二つである。
魔獣である俺が人族に転生しているのだ。
アルティミシアは死んでおらず、名を変え生きているのではないかと思い至る。
もしくは俺と同様、記憶を持ったままベアトリクスという女に転生したのではないか。
どちらにしても彼女に会って確かめたい。
「そういや、来週からベアトリクスが孤児院で剣術指導するとかババアが言ってたな。あーあ、俺、孤児院出ようかな」
「毎日盗み成功してるオレらならよお。いっぱしの傭兵団つくれんぜ。オルグ、お前もイアン傭兵団に入れてやるよ。グズでのろまなお前は荷物持ちだ。近いうちに帝都を出て……」
「孤児院にいれば、ベアトリクスに会えるのか?」
俺がイアンの言葉を遮ると、仔どもたちは顔を見合わせた。
ジッと仔らの顔から目をそらさずにいると、
「……会えるんじゃねえの?」
仔のひとりが答えた。
ならば話は簡単だ。俺は孤児院に戻るべく、屋根から飛び降りた。
「……え、おい!」
「オルグが頭おかしくなった!」
「人が集まってくる前に、お前ら、逃げるぞ!」
頭上で仔らが騒いでいる。
暗くて細い道に着地した瞬間、パキリと軽い音がした。
「……」
俺はまじまじと足を見下ろす。足首がありえない方向に曲がっていた。
この程度で骨が折れるのか。
人間の身体の脆さに感心するも、その後に続いた激痛に、それどころではなくなった。
脆弱な肉体を嘆いても仕方がない。
幸運にも、魔力を操ることはできたので、額に脂汗を滲ませながら、俺は身体を丸め折れた骨を修復するのことに集中した。
なんとか立てるまでに回復させたあと、屋根を見上げるも、仔らの姿は見当たらない。
街中にある井戸で水を汲み、飲んだあと、桶に貯めた水面を覗き込む。
縮れた黒髪がうっとうしく、なんども掻き上げるも視界にだらりと垂れ下がった。
揺らめく水面には、幼い人族の仔がいた。
目には光がなく、どんよりと濁っている。
これが俺?
なんとも生命力に欠けた風貌だ。
牙や爪はなく、高所から飛び降りただけで骨が折れてしまう身体でどうやって、いままで生き残ってきたのか、疑問でしかない。
魔力はそこそこ有しているが、この身体で魔術を使用すれば、誤ってみずからの身を吹き飛ばしてしまう。
しばらく魔術はこの身体を強化するのに使うしかない。
個で生きていくためには、力が不足している。人族のなかで暮らすには、俺の知識では心もとない。
足を引きずり孤児院に戻ると、崩れかけた門扉の前に、が立ち塞がっていた。
「イアンたちはどうしたのですか?」
屋根の上にそんな名の仔がいたなと思い至る。
やつらがどこへ行ったかは把握していない。俺は首を横に振った。
「埃まみれで怪我をして……また盗みを働いたのですね。次はないと言ったはずですよ。約束を守れないのなら、出て行きなさい」
老いた人族の雌の後ろから、小さな人族の仔らが顔を出した。
老いた雌は孤児院を統べる者で、『オルグ』は群れのきまりを何度も破っている。
ベアトリクスと会うためには、ここに留まる必要がある。
追い出されてはたまらない。
俺は老婆にむかって頭を下げた。
「ごめんなさい」
俺が口をきくと、老婆は目を見開いた。老婆の足もとに引っ付いている仔らも顔を見合わせ同じような表情をしている。
「オルグあなた、いつから声が出るようになったのですか?」
「パレードを見ていたときに、出るようになりました」
「ベアトリクス殿下生誕祭のパレードですか?」
俺が頷くと、老婆は俺の肩に手を置き、
「殿下がお見えになった際、お礼を申し上げないとね」
と、涙目で言った。
ベアトリクスが孤児院を訪ねる話は本当のようだ。
あとは彼女がアルティミシアか否かをどうやって見極めるかだが……。
「本当に、よかったわね」
老婆は俺を抱き寄せた。死期の近い生き物特有の
「人は誰でも間違いを犯すものよ。これから償っていけばいいの」
腹が減れば獲物を狩る。イアン含め『オルグ』は狩りをしただけだ。それの何が悪いのか、俺にはよくわからない。
俺は老婆が離れるまで微動だにせずにいた。
孤児院に人族の成体は年老いた老婆しかいない。
人族の観察に加え、どの程度まで力を出しても問題ないのかを検証するには、孤児院はうってつけの場である。
幼い仔らに教えを請い、食事の用意をしていたときのこと。仔の一人が雨水を貯めた樽から水瓶に中身を移し替え台所へ運んでいた。
「樽ごと、運ばないのか?」
「大人が四人がかりでも持ち上がらないもの。アタシじゃ絶対持ち上げられないわ」
なるほど、樽の大きさは仔の背丈ほどもある。
彼らでは持ち運ぶことはできないが、『オルグ』ならどうか。
見た目は変えないまま、俺は腕に魔力を集中させた。筋力を強化し終えた俺が樽を両腕で抱え持ち上げると、仔は目を丸くする。
「え! うそー! すごーい!」
ずっしりとした重さで腕が軋むが、折れる気配はない。
問題があるとすれば。
「……前が見えない」
「ふふっ。アタシが目になってあげる。ついてきて」
雌の仔は機嫌よく笑い、俺の横で指示を出した。
俺はよろよろと左右に揺れながら歩を進める。
なんとか台所にたどり着き、床に樽をおろす。両腕の内側は青く鬱血していた。
人族の外皮は鍛えることができない。ゆえに布や金属で身体を覆うのだ。
魔獣の頃のような身体の使い方をしていては、あっけなく死んでしまう。
「オルグって力持ちだったんだね。大人になったら帝国騎士になれるんじゃないの?」
「帝国騎士?」
雌の仔は目を輝かせ、俺を見上げた。
「そう! 騎士様はね、他の国から帝国に入ってきて、私たちの家を奪おうとする悪い人をやっつけるんだよ」
生物を殺す者。俺は勇者や英雄を思い浮かべた。奴らが殺すのは魔獣だ。人族は殺さない。
騎士とやらが殺す相手は人族のようだ。俺の記憶では、人族は同族を殺せば群れを追われていた。
「人が人を傷つけていいのか?」
「わたしたち帝国人を守るためならいいんだよ」
群れを守るためならやむを得ず、ということなのか。アルティミシアから聞いていた話とは食い違っているが、それもベアトリクスに問いただせばいいことだ。
「騎士にはどうやってなるんだ?」
「わかんない。院長さまに聞いてみれば?」
大樽を担いで以後、幼い仔らは俺に俺の後をついてくるようになった。
一方でイアンをはじめ屋根の上にいた成体に近い仔らは、屋根から飛び降りた俺を化け物だと孤児院中に言いふらした。
さっそく元魔獣だとバレたかと思いきや、イアンや数人の仔ら以外は、だから何だと言わんばかりに、
「オルグが魔獣だって? 人を襲わないんだからありえないでしょ」
「オルグ、アタシたちが困ってたら助けてくれるもん。魔獣なんかじゃないよ」
「イアン、お前ら人のこと言えんのかよ。露店で盗み働いて孤児院に迷惑かけてさ。お前らのほうがよっぽど魔獣だわ」
口々に俺を庇い、最後にはイアンたちを責め立てた。
俺を遠巻きに睨んでいたイアンたちは、しばらくすると孤児院から姿を消した。
老婆は巣立っていったイアンらを心配し、暇を見つけては帝都中を探し回っている。
俺が人族に生まれ変わってから半月ほど経ったある日の昼下がり。
孤児院の前に豪華な箱馬車が止まった。
馬車から降りてきたのは、ベアトリクスだ。
孤児院の前庭に集められた俺たちを、青い瞳が頭の先から爪先まで値踏みする。
俺たちの前を歩く度に、ひとつに結わえた金髪がゆらゆらとたなびいた。
ベアトリクスは、アルティミシアより幾分か幼い。
人族はみずからに似た仔を残す。ベアトリクスはアルティミシアの仔なのかもしれない。
青い瞳と目があった。
「お前、いい目をしてるわね」
ベアトリクスは木剣を俺に投げつけた。
受け取ったはいいが、俺は剣を使ったことがない。
「私と同じように構えなさい」
ベアトリクスは両手で木剣の柄を握ると、素早く上下に振った。鋭い風音がし、ベアトリクスから数メートル離れた庭の隅の木の枝が折れた。
「さすが姫様」
ベアトリクスの背後にいる軍服をまとった人族の雄どもが手を叩く。彼女は自慢げに胸を張った。
俺は見よう見まねで木剣を両手で構える。
軽く木剣を地面へ振り下ろすと、砂埃とともに地面に亀裂が走り、庭の片隅にある畑を襲った。
土がえぐれ、収穫前の野菜が宙に舞う。
「あ――! オルグが畑、壊した!」
「院長せんせいに怒られるぞ!」
仔らはきゃっきゃ、きゃっきゃと騒いだ。
ベアトリクスがやってみせたように、風圧で木の枝を折ろうとしたのだが、目算が外れた。
人の指先は細かな作業にむいている反面、力の調整が難しい。
少し気を抜くと、すぐさま暴走してしまう。
手指を開いたり閉じたりしていると、視線を感じた。
ベアトリクスが唇を噛みしめ俺を睨みつけている。
一方、背後の軍服どもはお互い顔を見合わせていた。
「……」
人族に生まれ変わって間もない俺でもわかる。
これはあまりよい状況ではない。
ベアトリクスが大股で俺に近づいてくる。腰に手を当て、かがむと俺の顔をまじまじと見つめた。
「お前、名は?」
「オルグです」
青い瞳に俺の顔が映り込む。
アルティミシアと同じ色だ。
これだけ似ているのだ。アルティミシアの記憶を持っているに違いない。
問題は記憶を持っているのか、どうやって確かめるかである。
正直に俺から正体を明かしたとしても、ベアトリクスにアルティミシアの記憶がない場合、俺は魔獣の記憶を持つ人族として、殺されてしまうだろう。
まずは信頼関係を築かなければならない。
ベアトリクスの出方を待っていると、彼女は突如、ハッとした様子で自身の胸元に手をあてた。
そして木剣ではなく、腰に下げたレイピアを抜いた。
まさかの戦闘態勢に、俺は身体を低くし身構える。
「姫様! お待ちください」
軍服たちの制止に、ベアトリクスは眉をつりあげる。
「なによ。私が負けるとでも言いたいわけ?」
「い、いえ。しかし本日は慈善活動として孤児院を訪問しているのです。子どもに怪我をさせてしまえば、陛下の面子が潰れてしまいます。それに帝位継承権に響きますので、どうか、剣をお納めください」
ベアトリクスは悔しそうにしながら、剣を鞘に収めた。俺に背をむけ「……まずは素振りから始めるわよ」と声を低くして孤児院の仔らに指示を出した。
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