第23話 出雲そば(割子そば)

 おそば屋さんは、出雲大社の近くにたくさんあるらしい。前述したように、あまりガチガチに決めておかない自由旅を標榜した今回の旅なので、入るお店を決めてはいなかった。決めているのは「割子そば」を食べる事のみ。

 出雲そばの食べ方は、初日に食べた「釜揚げそば」の他に「割子そば」というのがあって、この2つが代表的である。割子そばというのは、3段の赤くて丸い器に、それぞれそばが入っているもの。盛りそばと同じような感じだ。だが、食べ方には特徴的なルールがあって、つゆを1段目にかけて食べ、余ったつゆを2段目にかけて、という風につゆを次々リレーしていくようなのだ。盛りそばと言うよりぶっかけそばだが、最初から3つにつゆを分けて掛けるよりも、つゆが少なくて済むという事なのだろうか。

 お土産を買った場所から、駅の方へ向かって歩きながらそば屋を探した。探すまでもなく、あちこちにあるのだが、やっていない。閉まっている。来た時にはまだ開店時間になっていないのだろうと思ったが、12時半過ぎに開いていないという事は、今日は休業という事だろう。やっぱりオフシーズンだからだろうか。土日にだけやっているとか?店ごとに調べていないから、こういう時には当てが外れる。

 後から考えたら、先ほど見た神楽殿の近くにあった商店街の方に行ってみればよかったのだが、どんどん駅の方へ歩いて来てしまった。まさかない?と焦り始めた頃、幟旗を見つけた。「出雲そば」という旗を。

 通りに幟旗が出ていたが、矢印も書いてあり、通りから少し路地を入った所にお店があるらしい。私はもう安心していた。これで出雲そばが食べられる事は間違いない。

 店を見つけた。営業中だ。だが、どうも思ったのと違う雰囲気。なんというか……喫茶店?いや、スナック?もしくはバーみたいな。いずれにしてもレトロだ。とにかく店に入ってみた。店内は静かだったが、意外とお客さんがたくさんいた。カウンターがあり、テーブル席がいくつかあり、店の奥には一段高くなったところに座敷席があった。座敷席には誰もいない。テーブル席は満席だ。椅子はいくつか空いているが、テーブルは空いていなかった。

 店員のおばちゃんが、

「奥へどうぞ。」

と言ったので、私は座敷席へ歩いて行った。靴を脱いでいると、テーブル席の一番後ろにいたおじさんが、

「今出ますから、ここへどうぞ。」

と言って立った。でも、もう靴を脱いでしまったし、おばちゃんが奥へって言ったのだから……。せっかくのお申し出なので迷ったが、結局座敷席へ上がった。大きいちゃぶ台が2つある。そのうちの1つのところの座布団に座った。足を投げ出すと疲れが取れる。うちはちゃぶ台生活なので、これが一番落ち着くのだ。

 正面には小さいテレビがあり、NHKが流れていた。ちょうど連続テレビ小説が始まった。店員のおばちゃんがお水を持ってきてくれた。早速「割り子そば」を注文した。

 程なくしてそばがやってきた。朱塗りの丸い器と、徳利に入れられたつゆ、割りばしがお盆に乗ってきた。丸い器の一番上には、薬味が入ったやはり朱塗りの薄い入れ物が乗っている。薬味の器は3つに区切られていて、刻み青ネギ、刻みのり、もみじおろしがそれぞれ入っている。なかなか見栄えは良い。きれいだ。

 他のテーブルでは、天ぷらそばを頼んでいる人が多い様子だった。なるほど、そういうメニューもあったのか。よく見ないで決めてしまった。ほらね、決めておくと融通が利かないのが私の悪い癖なのだ。決めた事は絶対。こうと決めたら滅多に曲げない。それは良い時もたくさんあるのだが、自由でいい時には足かせになる。

 さあ、薬味の器をどかし、そばとご対面。薬味をそれぞれ3分の1ずつくらい乗せ、つゆを掛けた。つゆは少し多めの方が美味しいので、ほとんど全部掛けた。ほんの少しだけ残しておいたが。

 そしてそばをすする。うん……ん?まあ、まあかな。コシとか香りとか、あんまり感じないな。私がかつて乾麺の出雲そばを家でゆでて食べた時の衝撃を、今は感じられない。昨日の釜揚げそばは、すごく美味しいと思ったのに。今日の気候で、冷たいそばが美味しくないわけがないのに。もしや、やはりガイドブックに載っているようなお店は美味しいが、載っていないようなところはそうでもないという?いや、出雲そばに慣れてしまって、感動がないとか?それとも、単に私の好みではないというだけなのか。決してまずいという事ではない。感動がないというくらいのもので。こうなると、他の店の割子そばも食べてみたくなる。が、無理だな。

 因みに、家で出雲そばをゆでた時の話をしよう。金融系の商品で、何か郷土料理の一品がもらえるという物があった。その時に、そばなら食べるだろうと思い、乾麺のそばを選んでおいたのだ。それが出雲そばだった事には全然気づいていなかった。家に送られてきた頃には、私が出雲そばの存在を意識し(日本三大そばの1つだと知った)、出雲に行く事を決めていた。せっかく初めての出雲そばを旅行先で食べようと思っていたのに。でも、とにかく食べてみた。夫がいなかったのだが、旅先で買って来るからいいや、という事で子供たちと3人で食べたのだ。その時に、他のそばとは全然違う形状で、とても美味しいと思ったのだった。つけそばで食べたのだが。

 1段目を食べ終え、2段目を出し、薬味を乗せ、1段目に残っていたつゆをジャジャッと掛ける。本当にこの食べ方で合ってるよな?他のお客の事はよく見えないが。ガイドブックにそう書いてあったのだからいいよな?そして3段目。残しておいた徳利内のつゆも全て掛け、食べ終えた。

 足りない。そりゃそうだ。肉がないわけで。でも、肉は夕飯に食べればいいだろう。それよりもデザートだ。うん、それだ。

 店を出ようと思ったが、その前にトイレに行っておきたい。普通なら、貴重品だけ持って、荷物は置いてトイレに行くものだが、今はたくさんのお土産がある。1人だとこういう時に困る。治安の良い日本だ。全部置いて行ってもきっと大丈夫だろう。でも、店員さんも時々引っ込んでしまっていないし、ちょっとだけ心配だ。何しろ見知らぬ土地だし。まあ、東京都心の店だったら余計に心配だが。

 というわけで、とにかくポーチと全てのお土産を持ち、靴を履いた。トイレは靴を履いていく所なので。全てトイレに持っていくか。できれば店員のおばちゃんの近くに置いて行きたいが、と思った。

 店員のおばちゃんは店の出口付近にいた。

「ちょっと、トイレに行って来ていいですか?」

と私は言った。この後の会話の展開次第では、荷物をここに置いて行っていいですか?と聞くつもりだった。カウンターには誰も座っていないので、そこに置くのもありかと。だが、

「は?」

おばちゃんはそう言った。は?「は?」ってなんだ。ダメだ。もう、何も言えなかった。大荷物を持ったまま、トイレに行った。全然広くない、普通の自宅のトイレのようなところで、荷物の置き場所なんてなかった。仕方なく、すべての荷物をドアノブにかけて用を済ませた。ドアノブが壊れなくて良かった。何しろ日本酒の瓶やそばが重くてヒヤヒヤだった。

 トイレから出て、お金を払って外に出た。

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