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私と如月さんは繁華街へと向かう。
私が遊びに行くなら、ゲームセンターでUFOキャッチャーで遊ぶとか、カフェでお茶とお菓子を頼んで延々とだべることだけれど、それだったら如月さんのスランプは治らないよなあ。
結局考えて向かったのは、とあるビルだった。
そこのビルはオーナーの趣味なのか、どの階にもアクアリウムが展示されている。待ち合わせやデートスポットでも時間を潰すのにちょうどいいほど、種類がある。
私が見せたものに、如月さんはメガネをくいっと押し上げると、食い入るように見始めた。
「……ここは全然通ったことがなかったけど」
「あれ、この辺りにもたしか画材屋さんありましたよね?」
「画材屋に行くときは直接行くから、このビルは通らない」
「なるほど……」
この繁華街一帯のビルは、全部渡り廊下で繋げてあるから、適当にビルに入って知らない店を見に行くのが楽しいはずなのにな。
でも絵を描くっていうのって、なにも吸収しないでできるものなのかな。あれだけ綺麗な絵を思い返しながら考える。
お父さん曰く「絵を描くには、見るもの全てに興味を持たないと駄目」らしい。
「空の青と海の青は全然違う。同じ色に見えるとしても全然違う。そういうのをずっと観察して色を使い分けないと、仕事になんてならない。手癖だけに頼っていたら、いずれ枯渇するから。天才って呼ばれている人は、土壌としていろんな色彩を見られる環境にいたから、それを組み合わせて絵を描いているんだよ」
前にそんなことを聞いたことがある。
そう考えると、如月さんは手癖……というか、才能頼りで絵を描き過ぎて枯渇してしまっているような気がする。
あくまで私が聞きかじった話で思っているだけだけれど。私は如月さんが食い入るように水槽を眺めているのを見ながら、一応尋ねてみる。
「なにか飲みたいものありますか? 買ってきますよ」
「……なら、お茶」
「日本茶と紅茶、烏龍茶とありますけど。ペットボトルでいいなら麦茶も」
「……紅茶」
「わかりましたー」
私はそう言って、近所のドリンクスタンドに出かけて行った。私はオレンジジュース、如月さんには紅茶を買って、そのまま戻ると。
如月さんは近くのソファーに座って、ガリガリと短い鉛筆を動かしていた。手にはノートよりひと回り小さめのスケッブック。いつの間に持ってきてたんだろう。
私は隣に座って、オレンジジュースを飲みながら見守っていた。少し見ただけで、息を飲むような海を泳ぐ魚の姿が見える……うん? ちょっと待って。
私は思わずストローから口を離して、水槽を見た。
水槽のアクアリウムの中で泳いでいる魚は、いわゆる熱帯魚で、縦じまで大きな魚だけれど。如月さんの描いている魚はどう見ても群れで泳いでいるイワシに見えるのだ……アクアリウムの絵の写生じゃなくって、アクアリウムを見て着想を得て、全然違う絵を描いてない?
ときどき指でスケッチブックを擦り、スケッチブックの上で動いていた手はやっと止まる。如月さんは「はあ……」と息を吐いて、やっと顔を上げると、隣に座っていた私に気付いたという顔をする。
「……帰って来てたのか」
「そりゃまあ。ドリンクスタンドに行って戻って来るまでに、そこまで時間かかりませんし。この絵すごいですね。アニメみたいに本当に動いてる訳じゃないのに、動いているように見えますもん」
私が紅茶を渡すと、如月さんはスケッチブックと鉛筆を鞄の中にしまい込み、気まずそうに受け取った。
そしてチウ……とストローに口を付ける。
「……全然だ」
「これでもですか?」
「下書きではどれだけ上手く描けても、色が乗った途端に死ぬ」
「……これ、下書きですか?」
「下書きですらない。絵を描くための参考画だ」
「参考画って……」
「いくら僕でも、あれだけ大きなキャンパスを担いで移動なんてしない。最近は写生できる場所も限られてるのに」
「そりゃまあ、そうなんですけど」
私はそう言いながら、オレンジジュースのストローに口を付けて、すすりはじめる。
ふたりでしばらくドリンクをすすっている中、如月さんはポツンと呟く。
「……本当だったらひとりでずっと絵を描いてたかった。僕はそれしかできないから」
「え? 絵、ずっと描いてましたよね……?」
「最近は売れる絵ばかり求められるから。注文された絵ばかり描いていて、自分が描きたいものが描けない」
「それは……でも、如月さんはまだ大学生ですよね? そんなのって……」
でも。よくよく考えればおかしいんだ。
私みたいに一週間でリセットされるのをいいことに学校をサボッてるんだったらともかく、如月さんは私がサボりはじめる前から大学を休んで、あんなひとりだけで高層マンションの一室で絵を描いてて、大学にも通ってない。近所の人たちも彼がしょっちゅう倒れるのは知っているくらいなのに。
如月さんのご家族は? 如月さんの絵を買い取っているのは誰?
……私、如月さんに会って三日間、全く気付かなかったけれど。思えばずっとおかしな箇所はあったんだ。
如月さん、なにも取り込むこともなく、延々と燃料が切れるまで絵を描き続けて、おかしくなりかけてないか?
私は思わず如月さんの手を掴んだ。それに如月さんはビクッと肩を跳ねさせた。
「……なに」
「えっと……それって、おかしくないですか?」
思わず口にしていた。
「如月さんの絵がいくらすごいからって、絵を描く以外しちゃ駄目って、そんなの変です。如月さんに絵を描かせている人って誰ですか?」
「……うるさいな」
如月さんはグシャリと紅茶のボトルを握った。もう氷のジャリッという音しかしない。
「おかしくたって、変だって、僕にはどうしようもできないんだから。君だって僕に近付いたのは絵のためだろうが」
「……きっかけはそうかもですけど」
「……水槽を見せてくれてありがとう。でも、それだけ」
そのままふらふらと如月さんはどこかに行ってしまった。
それに私は「もう!」とソファーの前に足を投げ出した。あの人のこと、なにもわからない。
でも。なんだか放っておくとまずくないかという、不安だけが付きまとい、私は彼に気付かれないように距離を取って、遠巻きに眺めることにした。
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