第31話 異世界の人間

 竜崎くんとともに新しく正体不明の新しい家へと近づいていく。


 俺たちが暮らしている魔境と呼ばれている場所……そこはこの世界の人間にとって足を踏み入れてはならない禁忌の場所として知られているらしい。


 だからこれまでは近づいてくる人間なんていなかったのに、なぜ急に家なんか建てたのだろう。

 一軒くらいならどこかの物好きか世捨て人が外界とのかかわりを遮断するためにあえてこの場へ住んだって線も考えられる。昔の画家とか陶芸家とか小説家とか、その手のジャンルで活躍した人ってなんとなくああいう生活をしているイメージがある。


 ――ただ、あそこにある家は五軒。


 ここから見えないだけで、もしかしたら他にもあるかもしれない。ともかく、複数人があれだけの近い距離で生活をしているとなったらちょっとした集落になる。


 そうなると、あの土地を治めている領主から許可をもらい、新しい村でも作ろうとしているのか?


 とにかく情報を集めるため、俺と竜崎くんは家のある方向を目指して進む。


 魔境から来た人間だと知られたらいろいろと厄介なので、茂みに身を潜めながら移動していくのだが、これがなかなかに大変だ。


「いてて……大丈夫か、竜崎くん」

「俺は平気っすよ。あっ、もうちょっと身をかがめないとバレるかもっす」

「マジか……今の状態でも腰へのダメージがハンパないっていうのに……」


 隠密行動も楽じゃないな。


 冗談半分に呟きながらなおも前進――と、やがて大きな川へとたどり着く。

 

「ここが魔境の端っす」

「魔境の端……」


 竜崎くんのこの川は魔境の周辺を囲むような構造になっており、一部は内部にも流れ込んでいるという。まさに国際河川ってわけだ。あと、竜崎くんからの追加情報によれば、この魔境はどの国のものでもない、いわゆる無主地らしい。


 まあ、好きこのんで入ってくるようなヤツはいないか。


「これ以上の接近は無理か」

「いや、まだ手はあるっすよ」

「えっ? どうするの?」

「まず、俺の服をしっかり握っていくださいっす」

「あ、ああ」


 竜崎に言われるがまま、彼の肩に手を伸ばしてしっかりと服を握る。


「じゃあ――いくっす!」

「へっ? ――うおっ!?」


 次の瞬間、彼は助走もなしに十メートル以上はある川を飛び越える。


「到着したっす」

「そ、そういうことするなら事前に教えておいてくれ……」


 振り落とされたら流れの速い川に落ちて危うく溺れるところだったよ。

 気を取り直して――俺たちは川の近くにある茂みに身を隠しながらさらに建物へと近づいていった。


 すると、ついに待ち望んだ瞬間が。


「っ!? りゅ、竜崎くん!? あそこに人が!?」

「しっ。気づかれるっすよ、矢凪さん」


 冷静な竜崎くんに指摘されてから慌てて口を塞ぐ。

 ……喋った後にそれをやっても意味はないと気づいたのは三十秒ほど経ってからだった。


 これじゃどっちが年上か分からないな……あっ、あっちは聖竜族だから外見こそ二十代前半の若者だけど俺よりずっと年上じゃないか。


 ――なんて、虚しい言い訳はほどほどにして。


 俺は川へと近づいてくる人物を注視する。


 やってきたのは少女だった。

 中高生くらいに見えるな。

 年齢は十四~十六あたりか。


 茶色い髪をポニーテールでまとめた可愛らしい子だ。


 突然の美少女登場に戸惑う俺だが、どちらかというと可愛さよりも「人間だ」という根本的な事実の方が衝撃だった。


 人間は人間でも……あの子は異世界の子だ。


 外国人っぽい見た目をしているが、そもそも住んでいる世界そのものがまったく違うのである。もはや宇宙人みたいな感覚だ。


 どうやら彼女は水汲みにやってきたらしく、大きな木製のバケツがいっぱいになるまで水をすくうと、そのまま来た道を戻っていった。


 目の前に魔境があるというのにまったく物怖じしていない。

 というか、あの態度からするとそもそもここが魔境だとは思っていないようにも映るな。


 いきなり現れ、サッと水だけ汲んで帰っていった少女を見届けた俺と竜崎くんはその場で緊急ミーティングを開いた。


「どう思うっすか、矢凪さん」

「俺にそれを聞くか?」

「ここは異世界人であるあなたの率直な意見を聞きたいっす」


 大真面目に尋ねてくる竜崎くんだが……ぶっちゃけ、何が何だか俺にもサッパリ分からないんだよなぁ。


 そもそも、こっちの世界の事情は彼の方が詳しそうなんだけど?

 とりあえず、率直な意見を言っておくか。


「あの子が何者であるのかは皆目見当もつかないけど……生活感はあったな」

「生活感?」

「あの水はきっと日々暮らしていく中で必要なものだと思うんだ。さすがに飲んだりはしないだろうけど、風呂代わりだったり、洗濯だったり、人間の生活にはとにかく水が欠かせないからな」

 川の水を飲み水にするのって危険だとキャンプの本で読んだけど、それ以外の目的でなら川の水も使用するだろう。


「なるほどぉ」


 俺の意見を耳にした竜崎くんは納得したようで何度も頷いていた。


 しかしこうなってくると新しい村説が一気に濃厚となったな。

 あの子が魔境へ近づいてもまったく動じていない様子から、何も情報を知らない可能性もかなり高そうだ。大体、知っていたらわざわざこんな近くに村をつくったりはしないだろうし。


 ただ、見た限り危険そうではないというのが救いだな。

 まだ他にも人はいるのだろうが、少なくとも悪党連中ってわけじゃなさそうだ。


 となると、ひとつ問題が。


「……竜崎くん」

「なんすか?」

「彼らが魔境へ足を踏み入れてしまった場合……どんな事態が予想できる?」


 魔境の存在を知らないというなら、そこへ踏み込んでしまうという可能性も大いに考えられる。

俺には竜崎くんやルナレナ様の加護があるからまだいいけど、何も知らない普通の人間(だと思われる)あの村の人たちがやってきたらどうなってしまうのか。


 竜崎くんの答えは――


「秒殺っすね」


 予測していたよりずっとえぐい言葉が返ってきた。


「えっ? びょ、秒殺?」

「矢凪さんはルナレナ様の加護があるので襲われることはほとんどないんすけど、彼らの場合は事情が違うっすからねぇ」

「いやいや!? 暢気に言っている場合じゃないよ!?」


 それってめちゃくちゃヤバい自体じゃないか!?


「りゅ、竜崎くん! せめて彼らにこの魔境が本来は恐ろしい場所だっていうことをそれとなく伝えられないかな?」

「そうっすねぇ……あっ、でも、こっちへは川を渡って来ないと入れないんで大丈夫じゃないっすか?」

「あっ、言われてみれば」


 俺はポンと軽く手を叩く。


 この近くに橋はない。

 あったけど、魔境への侵入を恐れた人間たちが自らの手で破壊したという。


 なので、彼らがこっちへ渡ってくることは不可能なのだ。


「なーんだ、心配して損したよ。じゃ、そろそろ戻ろうか」

「そうっすね。――うん?」


 魔境へ戻ろうとした時、竜崎くんが何かを発見する。

 ……このタイミングでそのリアクションは嫌な予感しかしないんだが?

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