第10話 瓜二つの夫人
ある日のこと。
とある領主が辺境の地で感染症から国を守ったとして、伯爵から侯爵へと陞爵された。
領内に蔓延った感染症を次期伯爵夫妻自ら奔走してその被害を最小限にとどめた。もし彼らが尽力して抑え込むことができなければ、おそらく国全土に広がり大恐慌に陥った可能性さえあった。
患者の早期隔離や領地への流出入制限、薬草の確保、食事の改善など多方面への働きかけで被害を最小に押さえた。そしてそれを利害など度外視し、惜しみなく近隣の領地へ知らせたおかげで、どこの領地でも感染症による被害が広まらずに済んだのだ。
薬自体はよく知られている薬草から作られていたものだったが、それがこの感染症に効果あると発見したのも伯爵夫妻であったことから、国を救ったとして陞爵がこの度決まった。
遠方のため、社交シーズンであっても王都に来ることのないルロワ家。今回は伯爵の代わりに、社交界へのお披露目もかねて嫡男が王都にその栄誉を受けるためにやってきた。
自分たちの命の恩人でもあり、薬草をはじめ感染症に対する的確な対処。そしてうまく立ち回れば多大な利益を上げられたというのに、人々を助けるために無償ですべての情報を公開した誠実なルロワ家の登場に皆が注目していた。
次期ルロワ伯爵夫妻——いやこの時から次期侯爵夫妻になる彼らの登場に会場はざわめいた。
「あの方……亡くなったクラリス様では?!」
「まさか! あの方は殺されたのでしょう?」
「似てるだけじゃないのか?」
次期ルロワ侯爵のレナルドがエスコートしている夫人を見つめて周囲のものは口々に囁いた。
令嬢たちがうっとりと頬を染めるような容姿のレナルドにエスコートされている女性は、数年前に無残な死を遂げたエーデル伯爵家のクラリスそっくりだった。
社交界では夫を支えていたクラリスのことを、そして悲しい人生を誰もが忘れてはいなかった。
二人にはそんな声が届くことはなく、国王から陞爵を承り、礼をとった。
その後のパーティでも会場にいる夫妻に皆の視線が集中したが、感染症のことは話題にできても、誰も夫人に声をかけることが出来なかった。
あなたは死んだはずでは? などと無礼なことは、今日次期侯爵夫人となったばかりの女性にかけられるはずもなかった。
そしてルロワ夫妻と同様に人々の視線を集めていたのは、クラリスの両親である侯爵夫妻とクラリスの夫アルマンだった。
◇◇◇
アルマンにとって針の筵である社交界だが、ここに顔を出さなければそれこそ事業は完全に潰えてしまう。ひそひそ言われようとも、顔を出し、挨拶して回らなければならない。もちろんバーバラを連れて来られるはずもない。
一人で参加していたアルマンだったが、次期ルロワ侯爵夫人を見た瞬間、頭が真っ白になり、自分の体が勝手に動いていた。
クラリスと自分を見比べてひそひそと噂をしながら、走り寄る自分を冷たい目で見る周囲の人々。そんなことに気がつかずにクラリスの元へ駆け寄った。
「クラリス! 生きて……生きていたのか?!」
クラリスと一緒にいたレナルドはスッとクラリスを自分の背にかばうと、
「私の妻に何か?」
と言った。
「妻だと? クラリスは私の妻だ!」
レナルドは名乗りもせず興奮気味に迫ってくるアルマンに眉を顰め、さらに妻の姿をアルマンから隠す。
「彼女はクラリスではありません、皆の好奇な目が突き刺さると思っていましたが誰かそっくりな方がいるのですね?」
「そっくり? そんなものではない! 君はクラリスだ、そうだろ!?」
そう言って叫ぶが、クラリスと思われる女性は戸惑ったような顔をするだけで、その顔には嫌悪も驚きも、悲しみも何の感情もなかった。
「あの、失礼ですが?」
アルマンに不思議そうに問いかけた。
「私だ! 君の夫のアルマンだ!」
「君、人違いも甚だしい。彼女の夫は私だし、失礼なことを言うのはやめていただきたい」
夫のレナルドが否定し、周囲がざわめいているのも気がつかないアルマンは、さらに言いつのろうとする。
どこからどう見ても自分の妻クラリスだった。死んだのは間違いだった。
そう聞かされていただけで自分は遺体を見てはいないのだ、あれは何かの間違いだったとしか思えなかった。
◇◇◇
そこにもう一組の男女が注目されながら近寄ってきた。クラリスの両親ブラントーム侯爵夫妻。
娘を殺され、その後エーベル伯爵家と縁を切ったことはみんな知っていた。悲しみと伯爵家に対する憎しみで憔悴している彼らに皆同情していた。
そんな彼らの前に現れたクラリスそっくりな夫人。皆が動向を見守っていた。
愚かなアルマンとは違い、ブラントーム夫妻は混乱と興奮を押し殺し丁寧に挨拶をした。
「次期ルロワ侯爵、お初にお目にかかります。侯爵への陞爵おめでとうございます。私、侯爵家ロイク・ブラントームと妻のグレースでございます。ご挨拶を……」
そこまで言って、ロイクの目から涙が零れ落ちそうになる。
ロイクは酷い殺され方をした娘が目の前にいる、生きていてくれたのだと抱きしめたい思いをぐっと我慢する。
妻のグレースの方は、ルロワ夫人に縋りつかんばかりにそばにより涙を流していた。
そんな二人の様子に、ルロワ夫妻の反応は戸惑いしかなかった。
アルマンのぶしつけな言い草といい、何かいわくありげな夫婦が詰め寄ったことといい、警戒心があらわになったレナルドは自分の妻をかばうように前に出る。
「ご挨拶ありがとうございます。失礼ですが、うちの妻のオフェリーに何か?」
「奥様はオフェリー様……とおっしゃるのですか?」
ロイクが喉の奥から言葉を絞り出す。
オフェリーは涙を落とし見るからに憔悴しているグレースに
「大丈夫ですか?」
と肩に手を置いた。
「……オフェリー?……あなたはクラリスではないというの?」
グレースが彼女に涙で訴えたが、オフェリーの表情には、何の動揺も感情も浮かんではいなかった。
オフェリーはただ戸惑うだけで、グレースに会うのは誰が見ても初めてであることは明らかだった。
どれだけ似ていようとも、クラリスではないのだとブラントーム夫妻も周囲の人間も納得せざるを得なかった。当たり前だ、クラリスは殺されたのだから。
ロイクが無礼な振る舞いを詫びようとしたとき、耐えられなかったグレースはその場に崩れ落ちてしまった。
その様子を見守っていた夜会の参加者は思わず涙を浮かべた。あまりにも残酷で悲しい出会いであった。
グレースは王宮の控室にすぐさま運ばれ、ロイクは次期ルロワ侯爵に改めてお詫びしますと頭を下げて、その場を後にした。
残されたアルマンは次期ルロワ侯爵夫妻に呼びかけたが、夫のレナルドのほうがオフェリーを連れてさっさと広間を出て行ってしまった。
その様子から次期ルロワ侯爵夫人とクラリスは別人であると社交界には周知されたが、クラリスの両親の嘆き様を目にした人々は、改めてアルマンとその愛人の非道さに怒りを覚え、彼らはさらに社交界に居場所を失っていった。
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