カフェでは話せる久保さんと久保田

真夜ルル

イントロクイズ

 今週もあと三日。

 今日のアルバイトが終わればやっと買える!

 憧れの沖合スバルの愛用ギター!

 思えば長かった。

 アルバイトを禁止されている梓高校に通いながら、一年の期末試験明けから先生や友達には秘密で始めたカフェでのアルバイト。

 本当は入学初日からやりたかったけれど、父さんと母さんの説得に苦戦してしまった。だけど何度も父さんの嫌そうな顔を乗り越えて、一年にして初めての期末試験の前日。

 今回のテストで学年順位が三十位以内でかつ、それ以下に落ちればすぐにアルバイトを禁止する。それでよければ良いと許可をもらうことができた。

 そうして無事アルバイトを始めることに成功した僕は、現在、高校二年生になっても未だにカフェでのアルバイトを続けている。

 あの日から、汗と涙と共にずっと貯めてきた。

 正直、もうアルバイトを続けたいとは思えない。いや、学業との両立ができないからとかじゃなくて、もしもこのカフェに教師とか同級生が来たりして、僕が隠れてアルバイトをしていたことが学校にばれてしまえばめちゃくちゃ怒られてしまうかもしれない。

 それだけじゃなくて、周りの人から「あいつこっそりバイトしてたんだぜ? ならお金あるよね。ちょっと金出せや」なんてことになりかねない!

 三日後の給料日を迎えたらもうアルバイトはやめよう。

 それからしばらくは大人しく家で楽器を弄っていよう。

 そう思って僕はお客さんに呼ばれ注文を取りに席に向かった。

 そしたら——

「あれ? 久保田じゃん」

 見覚えのある制服に加え、ものすごく見覚えのある顔をした高校生くらいの女の子が一人で座っていた。

 僕と同じくらいの一六〇センチくらいの身長。

 髪は肩にかかるくらいのセミロング。茶髪で少しウェーブがかかっている。

 それで首筋に小さなホクロがある。

 久保さんじゃないか⁈ なんでここに!

 僕と同じクラスの同級生。

 いつも静かに授業を受けていて大人しい雰囲気の人。

 普段から親しい友達といつも一緒にいるところしか見ていないから、こういうところに一人できているのは新鮮だ。

 ——って、いやそんなことなんてどうでもいいって!

 重要なのは同級生にばれてしまったってことだ。

 え、じゃあ久保さんは僕のこと認識していたってこと?

 学校では全然話したことなかったのに僕のことを認知しているって……。

 は!

 もしかして、もう既に僕がアルバイトをしていることが知らないところで有名になっていて、それを聞いた久保さんがはるばるやってきたってことか?

「注文良い?」

 あ、驚きすぎて何も聞かないままだった。

「う、うん。何にしますか?」

「いいよ別に敬語とかじゃなくても」

「そういわれても……」

 ちらりと店内に目をやる。

 店長は今いない。

「コーヒーいい?」

「あ、えーと。うん」

 顔赤くなっていないか?

 どうして初めての会話がこんな感じのしどろもどろになっちゃうんだよ。

 もう。

「久保田ここでバイトしていたんだ。どうして?」

「え?」

 久保さんは綺麗な白い指で髪を弄りながら聞いてきた。

 なんかこっちを見てるんだけど。

 久保さんの目がこっちをじっと見てきているんだけど。

 う、目を合わせていられない……!

「ちょっと欲しいものがあって」

「高い物?」

「……うん」

「うーん。もしかして、ギターとか?」

「え! なんでわかるの!」

 え! なんでわかるの?

「やっぱり久保田、音楽やっていたんだ」

 久保さんは笑みを浮かべてなぜか納得した表情をしている。

 なんでやっぱりってなるんだ? 音楽やっているなんて誰にも言っていないんだけど。

「手、見せて」

「え、あ、うん」

 恐る恐る手を伸ばす。

 女子の手に触るのか。僕が今。しかも同級生のを。

 いいのかそんなことをしちゃっても。

 いや、でももう伸ばしちゃったし、戻すと変に思われちゃうかもしれないし。

 女子の手って、柔らかくてフニフニしているのかな。やっぱり僕らと同じように普通の感じだったり?

 そして久保さんがその手を取った。

 ああ、これが柔らかくてフニフニの手……ではない?

「ほら、私と同じでちょっと硬い」

 え。

 私と同じ?

「それって、どういう意味?」

「んん。私も音楽少しだけやってんだ。ギターやってる人って指先がちょっと硬くなるじゃん。久保田の指を見たときに、あ、もしかしてって思ったことがあってね」

「あ、へ、へぇそうだったんだ」

 そうだったんだ。久保さんも音楽やってんだ。そうかだからやっぱりなんだ。

「でもずっと引いていると気が付いた時になんか柔らかくなっているんだって」

 え、それって、どういう意味?

「私たち同じくらいの上手さなのかもね」

 そう言って久保さんは小さく笑った。

 くぅ。

 見ていられない。

 目を逸らしてしまいたい。だけどそれしたら嫌われない? でもにやけてしまいそうだ。

 僕はなるべく無表情でいるように心がけた。

「……」

 久保さんはそのまま僕の指を持ったままこちらを見ている。

 いつまでこの状況が続くんだ……。

 さすがにそろそろ限界だぞ?

 ——やばい。口が。

 てか顔赤くなってないよな!

「うん、もういい」

 そう言って久保さんは僕の手を離した。

 同時に僕もさっと目を逸らした。

 もう少しでやばい顔になりそうなところだったから助かった。助かったんだけど……なんかちょっと寂しい、かも。

「久保田。勝負しない?」

「勝負?」

「うん。イントロクイズ」

「いいけど……スマホで鳴らしちゃだめだよ?」

「うん。口で言うよ」

 え。イントロを口で言うの? むずくない?

「もしも久保田が当てたらこのパフェを私は買います。だけどもしも当てられなかったら、コーヒー奢ってくれますか?」

 え、なんで敬語?

 てか、負けたら僕奢っていいんですか?

「いいけど」

「いえー。じゃいくよぉ」

 久保さんは真面目な顔になって、僕をじっと見つめてきた。

 それをやめてほしい。

 絶対に集中できないし。

 だけど、僕にそんなことを言える度胸はなく、何も言わず無表情を作って久保さんの顔を見た。

「では一問目」

 久保さんは、口を少し尖らせて、トゥルルートゥルルーと言った感じで小さく首を左右に振ったり、上下にしたりして歌い始めた。

 そしてずっと僕の顔を見ている。

 これって見て良いの?

 これって絶対に僕なんかが見て良いの?

 こんな目の前で、特等席で。見て良いものなの?

 せめて久保さんが友達にやっているところを見るくらいじゃなくていいのですか?

「わかる?」

「……」

「久保田?」

「あ、うんわかる」

「本当? 分からなかったらもっかいやるけど?」

「いや、分かったよ。えーと沖合スバルの『翼が重たい』?」

「おおー流石は私。歌上手いんだよね」

 知っていた曲だからなんとなくわかっただけで上手かはわからなかった。でも上手いことにしておこう。

「じゃあこのパフェも買うね」

「えーと……うんわかった」

 そう言って僕は久保さんから離れた。

 ぐっと力が抜けた。

 けれど同時になぜかエネルギーが回復したような感じもした。

 それから僕はちらちらと久保さんがカフェを食べているところを眺めながら仕事をこなした。

 そして僕は食器を片付けに久保さんの席に向かった。

 一応言っておけなきゃいけないことがある。

 このことを広めないでほしい。

 せめてあと少しの間だけは。

「久保さん。このことはさ、あの、誰にも言わないでほしいんだけど……」

「うん。いいよ。それに私そんなに友達いないし」

 なんだブラックジョークか?

 本当なのか?

 うーんわからない。

 まあでも一応わかってくれたのならいいか。

 どうせそろそろやめることだし。

「あ、でも、じゃあこっちも一つお願いしていいよね」

「え」

「また来てもいい?」

「え。別にいいけど」

 え、それって。

「そっか。じゃ」

 そう言って久保さんは会計を済ませてカフェを出て行った。

 僕は呆然と食器を片手にポカーンとしていた。

 からかっているのか?

 いやさすがにそうだよね。

 だって初対面だし。

 ……

 あぁもう。辞めにくくなっちゃったじゃん!

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