第6話 七瀬さんじゃなくて、ひよりさんになった

「さっきはごめんなさいね~! あと、夕食の用意をしてくれて本当にありがとうね~!」


「いえ! あたしはほとんど何もしてませんから! むしろ押しかけておいて大した手伝いもできずに申し訳ないです!」


「いやもう本当に、ねぇ!? あの雄介が女の子を家に連れてくるだなんて、母として嬉しいやら信じられないやら犯罪に手を染めたんじゃないかと心配になるやらで、もう驚いちゃったわよ」


「最後のはおかしくない? 息子をなんだと思ってるわけ?」


 長方形のテーブルに並ぶ五つのランチョンマットとカレーたち。

 ほかほかと湯気を立てるそれを無視しながら、母は信じられないくらいに上機嫌な態度で七瀬さんと話をしている。


 辺の長い席に僕と七瀬さんが座り、向かい側には弟たちが同じく座っていて、母は七瀬さんに近い辺の席を確保して、ニコニコ顔で彼女と話をしていた。


「ほ~ら、バカ息子たち! 七瀬さんにご挨拶しなさい!」


「いや、しようと思ってたのに母さんがエンドレスで話してたから機会がなかったんだけど?」


「完全にタイミング見失って、ずっと気まずかったよ」


 母からの指示に、弟たちが苦言を呈する。

 三人が帰ってきてから騒がしくて申し訳ないと七瀬さんに視線で謝罪すれば、彼女は楽しそうな笑みを僕へと返してくれた。


「んん……っ! 自己紹介が遅くなってすいません。俺は尾上雅人おがみ まさと、雄介の弟です」


「三男の大我たいがです。カレー、作ってくださってありがとうございます」


「雅人くんと大我くんね! はじめまして! それにしても、お兄さんと同じでおっきいね!!」


 ぺこり、と頭を下げた弟たちへと明るい声で挨拶をしながら、身長の高さに触れる七瀬さん。

 確かに僕たち三兄弟は全員背が高い。顔もある程度似ているが、それでいて色々と違う部分があるから面白くもあった。


 次男の雅人は兄弟の中で一番口数が多く、猫を被るのが上手い。

 身長は高めで体も細く、兄弟の中で運動が一番苦手なのもこいつだ。

 そのくせ、兄弟の中で一番の大食いという、見た目と実態が合ってない奴である。


 対して、三男の大我は身長こそ僕たちの中で一番低い(それでも170後半はある)が、体の厚みという部分では僕たちの中で随一だ。

 柔道部に所属しているおかげでがっしりとしている大我は、人見知りで口数が少なくなりがちだが僕たちの中で喧嘩が一番強い。絶対に怒らせてはいけない奴である。


 ちなみに僕はその中間の背丈と筋肉量、そして運動神経がこの中で一番いいという長男にしてバランスタイプ的な男だ。


「そしてこの私が三兄弟の母親であり、尾上家の長でもある尾上真理恵おがみ まりえ! よろしくね、七瀬さん!」


「はい! こちらこそよろしくです!」


 最後に我が家のトップオブトップである母が自己紹介して、家族の挨拶は終わった。

 それを黙ってきいているだけの僕が気まずさを感じるが、食卓はそんな僕の気持ちとは裏腹に盛り上がりを見せている。


 ……主に、僕を弄る方向で、だが。


「それで、七瀬さんはうちのアホ兄貴とどういう関係なんですか?」


「ん? この春から一緒のクラスになった友達だよ!」


「どういう流れでうちに来ることになったの? うちのバカ息子に騙されたりしなかった?」


「いやいや! あたしの方から言ったんですよ! 昨日、ちょっとお世話になっちゃいまして……そのお礼にって形で、晩御飯を作ろうと思ったんですけど、逆にご馳走になっちゃってますね」


「兄貴、高校ではどんな感じですか? 去年までは同じ中学だったから様子を見れたんですけど、高校に入ってから変なことやってないか心配で……」


「お前らさあ、よくもまあそこまで息子と兄を馬鹿にするワードが出てくるよな? 僕のこと、なんだと思ってるわけ?」


「あはははは! 面白いご家族だね! 雄介くん、毎日楽しいでしょ?」


「馬鹿にされ続けてる僕からすると面白くもなんともないよ。って、ん……?」


 半分ツッコミのような気分で七瀬さんへと反応した僕は、彼女の発言を振り返って違和感を覚えた。

 一瞬、聞き間違いか……? と自分の耳を疑った僕であったが、七瀬さんはそんな僕の動揺を見抜いたような笑みを浮かべながら、改めてその言葉を言う。


「どうしたの、? そんな驚いた顔しちゃってさ」


「いっ、いや、その、呼び方が……!!」


 今度はわざとらしく、強調するような感じで僕のことを名前で呼んだ七瀬さんは、ニヤニヤと楽し気な笑みを浮かべている。

 どうして急に名前で呼び始めたのかと戸惑う僕に対して、彼女は実にいい笑顔を見せながらその理由を口にしてみせた。


「だって、尾上くんって苗字で呼んでも、誰のことを呼んでるのかわからないじゃん! ここにいる人たち、あたし以外全員尾上なんだからさ!」


「そ、それはそうかもしれないけど、急に名前呼びされるとびっくりするって……」


「ごめん、ごめん! で? 雄介くん的には、あたしに何か言うことないわけ?」


「え……?」


 にや~っ、と笑いながらの七瀬さんの質問に、僕はまた戸惑ってしまった。

 何か言うことって、何を言えばいいんだと全くわからないでいる僕に対して、家族が失望と呆れの入り混じったため息を吐いた後でこんなことを言ってくる。


「アホだな~。うちの兄貴って本当にアホなんだな~……」


「しょうがないよ。雄介は今まで女の子と付き合うとかそういう感じになったことないんだからさ」


「おい、お前らだってそれは同じだろうが! なに自分たちは女の子と付き合ったことがある感を出してるんだよ!?」


 僕の鋭いツッコミに対して、雅人と大我がピーピーと口笛を吹きながら視線を逸らす。

 この弟たちはと僕が怒りを募らせる中、最後まで黙っていた母が一番呆れた様子で口を開いた。


「雄介、あんたねえ……! そこはあんたも七瀬さんのことを名前で呼ぶところでしょう!? 七瀬さんの友達であるあんたがまず名前で呼ばなくちゃ、私たちだって距離感がわからないでしょうが!」


「うっ、ぐぅ……!?」


 距離感って、今の今までかなり近い距離で会話していたじゃないかと思いながらも、母の言うことに正しさを感じもした僕が小さく呻く。

 確かに、七瀬さんは親しみを込めて僕を名前呼びしてくれたのに、僕の方がいつまでも苗字で呼んでいたらなんだか申し訳ないなと、そう思ってしまった。


 ちらりと七瀬さんの様子を窺ってみれば、彼女はそれを望んでいるようで……上目遣いで小首を傾げながら、こう尋ねてくる。


「雄介君はあたしの名前、ちゃんと覚えてる?」


「そ、そりゃあ、覚えてるよ……」


「そう。なら良かった! じゃあ、張り切っていってみよ~! せ~のっ!!」


 七瀬さんの、母の、弟たちの期待が籠った視線が突き刺さる。

 見世物になっている感覚と、それ以上に女の子を名前で呼ぶというシチュエーションへの羞恥に顔を赤くしながら、それでも僕は観念すると共に七瀬さんを名前で呼んだ。


「ひ、ひより、さん……!!」


「ふふふ……っ! な~に、雄介くん?」


 名前を呼ぶだけで精一杯で、恥ずかしくなってしまった僕の顔を覗き込みながら、七瀬……ひよりさんが声をかけてくる。

 楽しそうに笑う彼女の顔をまともに見れなくなっている僕をよそに、この場面を見ていた家族は大盛り上がりしていた。


「お~い~! 雄介、このカレーなんか甘いんですけど~!? 間違えて甘口のルー買ってきたんじゃねえの~!?」


「あ~、甘々だな~! カレー食べてるのに全然辛くないな~!」


「お前ら、後で覚えておけよ!? ギタギタにしてやるからな!?」


「七瀬さん……! いえ、ひよりちゃん! うちのバカ息子をよろしくね……! 何かあったらすぐに報告してちょうだい! 私が責任を持って、フルボッコにしておくから!」


「母さんも! 変なこと言わないでよ!!」


 恥ずかしさをごまかすために、家族へと強めのツッコミを入れる。

 そんな僕を見て、ひよりさんはとても楽しそうに手を叩きながら笑っていて……ダメージは負ったが、それでも落ち込んでいた彼女がつらいことを忘れて笑ってくれたのならもういいかと、僕はそう思った。

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