七瀬さんが家にやって来た!

第4話 翌朝の七瀬さんと僕

(どうする……!? よく考えろ、僕……!!)


 七瀬さんと江間の修羅場を目撃してしまった翌日の朝、僕はクラスメイトたちが騒ぐ教室で悩みに悩んでいた。

 悩み事はもちろん、七瀬さんに関わること。この後で登校してくる彼女にどう声をかけるべきか、というものだ。


 昨日にあんなことがあったし、また明日学校でという話もしている。七瀬さんが登校してきたら、一言声をかけるべきだろう。

 問題は、どんな感じで声をかけるか? という部分だ。

 深刻に話しかけるのは昨日のことを思い出させるかもしれないし、かといって明るく声をかけるのもそれはそれでリスクがある。


 一夜明け、七瀬さんの心境がどう変化したか? という部分が予想できない以上、半分以上はギャンブルだ。

 少しでも勝率の高い形でのコンタクトを考えようと、必死に頭を悩ませていた僕であったが……不意に背中と肩に何かが圧し掛かってきたような重さを感じると共に、耳元で声が響いた。


「尾上くん、おっはよ~!」


「ななな、七瀬さんっ!? お、おはようございます……!」


 僕の首に腕を回し、背後から抱き着きながら声をかけてきた七瀬さんの行動と、彼女の顔が想像以上に近くにあったことに驚きながらどうにか挨拶をする僕。

 ぐるりと体を捻る僕の反応をくすくすと笑いながら回していた腕を放した七瀬さんは、首を傾げながら言う。


「どしたの、朝から難しい顔して。何か考え事?」


「あ~……えっと、その~……」


 この場合、どう反応するのが正解か? 僕は必死に脳を働かせて答えを探る。

 ここは正直に話すべきなのでは……と結論を出したのと同時に、自嘲気味な笑みを浮かべた七瀬さんが口を開いた。


「わかってるよ。あたしにどう接しようか考えてくれてたんでしょ?」


「……うん」


 七瀬さんが自分から言ってくれたおかげで、言いやすくなった。

 正直に答えた僕に対して、小さくため息を吐いた後で七瀬さんが言葉を続ける。


「なんかごめんね、気を遣わせちゃってさ。でも、本当に大丈夫だから! 一晩寝たらすっきりしたし、昨日言ってもらえたように、あいつの本性が早めに知れてラッキーだって思えるようになったよ!」


「……そっか。それならよかった」


 多分、この言葉には強がりも入っているのだろう。

 最低の男だったとはいえ、七瀬さんにとって江間は彼氏になるずっと前から付き合いがある幼馴染だ。


 長い付き合いのある男の本性を知ると同時に彼に裏切られたショックは、そう簡単に拭い去れるものではない。

 それでも、前を向こうと心に決めて笑顔を見せてくれる彼女は、本当に強い人なんだなと思った。


「こんなことを聞くのも野暮かもしれないけどさ、やり返してやろうとか考えないの? 江間が浮気してたこと、バラしちゃうとかさ……」


「あ~……いいよ、そんなの。あたしも昨日、少しそういうこと考えてさ、何か証拠になるようなものがないか探してみたんだけど……何もなかったんだよね」


「メールとか、ラインとかに付き合ってることを証明する文章とか、なかったの?」


「うん、な~んにもなかった! 全部、幼馴染の会話だって言われたら納得できちゃうようなものばっかり! 読み返して、自分でもびっくりしちゃったよね! 考えてみれば、どこからバレるかわからないからそういう証拠は残さないようにしようって、あいつの方から言われてたんだったよ!」


 あはは、と笑った後、今度は盛大にため息を吐く七瀬さん。

 江間を告発する証拠が見つからなかったことではなく、他の何かに落胆していることに気付いた僕の前で、彼女が言う。


「……結局、そういうことだったのかなって。仁秀にとってあたしはただの幼馴染で、恋人じゃなかった。最初からあたしとはなんとなくそういう関係になっただけで……本命は柴村だったんだよ」


「七瀬さん……」


 江間はこうなることを予測していた。だから、自分と七瀬さんが付き合っている証拠を残さないように振る舞い、彼女にもそうするよう促していた。

 それが彼自身の悪知恵か、あるいは浮気相手の柴村さんからの入れ知恵なのかはわからない。

 ただ……恋人だと思っていた相手が、いつでも自分を切り捨てられるように備えをしていたことを理解した七瀬さんが、深く傷付いていることだけは僕にもわかった。


「あ~っ、ごめん! やっぱちょっと凹んでるや! こういう時はヤケ食いに限る! 甘いもの、甘いもの~!!」


 そう言いながらがっくりと肩を落とした七瀬さんは、どこからかメロンパンを取り出すと袋を破り、大きく口を開けてかぶりついた。

 教室の後ろの方にある僕の席の周囲には誰もいない。この会話も、誰にも聞かれていないからこそできることだし……それはきっと、このヤケ食いもそうなのだろう。


 もきゅもきゅとハムスターのようにメロンパンをかじり、口の中に押し込んでいく七瀬さんをじっと見つめていた僕の視線に気付いたのか、顔を上げた彼女は口の中のパンを飲み込むとこう問いかけてきた。


「どしたの、尾上くん? あたしのこと、そんなにまじまじ見つめちゃってさ」


「いや……江間は、七瀬さんのどこが不満だったんだろうなって。僕が七瀬さんと付き合えたら、浮気しようだなんて考えないと思うんだけどな……」


 そう言いながら改めて七瀬さんをまじまじと見つめ、彼女を観察する。

 黒いショートボブの髪はサラサラで活発な雰囲気が子供っぽい七瀬さんにマッチしているし、顔もアイドル顔負けの愛らしい顔立ちをしている。

 誰もが認める美少女である上に、江間が言っていたように胸だって大きいし……こんな女の子と付き合えたなら、そいつはとんでもない幸せ者だと誰もが断言するだろう。


「……単純に子供っぽい女が好みじゃなかったんじゃない? かわいい系のロリ巨乳より、正当派の美少女がタイプだったってだけでしょ」


「そうなのかな……?」


 江間の浮気相手である柴村二奈さんに関しては、僕も知っていた。

 確かに七瀬さんが言う通り、彼女はかなりの美少女ではあるし、かわいくも綺麗にも見える容姿をしている。七瀬さんはに人気の女子といったが、それに対して柴村さんはに人気な女の子といった感じだ。


 でも、少なくともそれが七瀬さんよりも柴村さんを選ぶ決定的な理由にはならないんじゃないかと考える僕の前で、メロンパンを食べ終わった七瀬さんが二つ目の袋を取り出しながらこう言ってきた。


「まっ、あたしは所詮、浮気された挙句に男に捨てられた惨めな女だよ。価値があるのは身長に行くはずだった栄養が溜まって育ったこのおっぱいだけ。他は柴村に全負けの情けない女――」


「いや、そんなことないでしょ。普通に考えて」


 自虐的な七瀬さんの言葉を聞いた僕は、思わずそう言ってしまっていた。

 その言葉に目を丸くして驚き、動きを止めた彼女へと、僕はこう続ける。


「確かに見た目とか胸の大きさは個人の好みがあるから、どちらが上とかの明確な判断はできないけど……普通に考えて、恋人がいる男にそれでもいいから付き合ってだなんて言う女の子、絶対にまともじゃないでしょ。この時点で七瀬さんの圧勝じゃん」


「んっ……まあ、それはそうかもだけど……」


 かも、じゃなくてそうだよと、僕は七瀬さんに続けて言った。

 やっぱり立ち直ったように見せてまだ凹んでいるんだなと、自分を卑下するような思考に染まっている七瀬さんを見てそう思った僕は、彼女を少しでも元気付けようと率直な思いをぶつける。


「僕は七瀬さんは柴村さんに負けないくらいかわいいし、魅力的な女の子だと思ってる。少なくとも、性格面では七瀬さんの方が絶対に上だって。だから、自分はダメな奴だなんて言わないでよ。僕で良ければ、いくらでも励ますからさ」

 

「尾上くん……!」


 僕の精一杯の励ましの言葉は、七瀬さんに響いてくれたようだ。

 ヤケ食いを止め、開けようとしていた二個目のメロンパンを懐へとしまった彼女は、微笑みを浮かべながら僕を見つめ、口を開く。


「……ありがと。なんか、また励まされちゃったね。昨日からずっと、尾上くんには気を遣わせっぱなしだ」


「気を遣ってなんかないよ。それに、僕なんかの言葉じゃ大した励ましにもならないだろうしさ」


「そんなことないって! 尾上くんが気付いてないだけで、本当に救われてるんだよ? だからほら、自分なんか~、なんて言わないでよ。そう言ったのは、尾上くんの方でしょ?」 


 かわいらしく首を傾げながら、上目遣いになって僕を見つめる七瀬さんが言う。

 自分自身の言葉をほとんどそのまま返されたことに苦笑しながらも彼女が元気を取り戻してくれたことに安堵する僕へと、不意に七瀬さんがこんな質問を投げかけてきた。


「あっ、そうだ! 尾上くん、今日の放課後空いてる? 昨日のお礼がしたいからさ、良ければどっか一緒に遊びに行こうよ!」


「えっと、ごめん。今日は親の帰りが遅いから、家で弟たちの分の夕食を作らなくちゃいけないんだ。だから――」


 突然のお誘いをありがたく思いながらも、今日は予定が入っていることを告げた僕は、申し訳なく思いながらも遊びの誘いを断ろうとしたのだが……僕の言葉を聞いた七瀬さんは、むしろ喜ばしいといった感じで笑みを浮かべながら、こう言ってきた。 


「ふ~ん、そっか。それならちょうどいいね!」


「えっ? ちょうど、いい……?」


「うん! お世話になったお返しをするんだから、ちょうどいいでしょ?」


 さっきよりもいい笑みを浮かべた七瀬さんの言葉を、僕はいまいち理解できなかった。

 そんな僕に対して……ぐっ! とサムズアップした七瀬さんは、実にいい笑顔を見せながらこう言うのであった。


「尾上くんちの晩御飯、あたしが作りに行くよ!!」

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