好きな人は魔法使い

檀(マユミ)

第1話 魔法使いの弟子

 ドボン!

 春の夜に公園の池に突き落とされた。きっかけは他愛もない喧嘩だった。本当に馬鹿馬鹿しいいじめだ。

 幸い私は泳げたので水面に向かって浮き上がっていく。春とはいえ、まだまだ寒い時期だ。けれど水面は目の前にあったが、もがいてももがいても水中から上がれない。

 どういうこと?

 疑問に思ったけれど、段々と酸素がなくなり意識が遠のいていく。この程度のいじめで負けたくない。そう思ったがとうとう意識が切れてしまった。


「おい、大丈夫か?しっかりしろ!」

 肩を叩かれて、薄目を開ける。先輩が私を見ている。

「うっ、先輩…?」

 先輩が怪訝な顔をしている。何か喋りたいけれど、水を大量に飲み込んだせいかうまく口を動かせないでいた。

「おまえ、この世界の者じゃないな…?」

 この世界?先輩が何を言っているのかわからない。

「ともかくその状態では起き上がるのは無理だな。運んでやる」

 力尽きた私は抱き上げられ、どこかへと運ばれた。


 気がついた時、私は豪華なベッドの上にいた。病院ではなさそうだ。

「ここは?」

「やっと目が覚めたか」

 先ほど助けてくれた先輩に声をかけられる。

「先輩!」

「センパイ?センパイとはなんだ?」

「えっ…」

「おまえは泉で溺れかけていた。だから助けた。だが私はおまえの言うセンパイとやらではない。」

 では憧れの先輩そっくりのこの人は誰なのだろう。それに、制服がいつもと違う。ローブのような大きなマントを羽織っている。

「あの、助けていただいて失礼しました。この度はありがとうございます。ところであなたはどなたでしょうか?」

「私は魔導師のジュディドだ。ぱっと見た感じでは、おまえは魔法は使えなさそうだが、魔力なしか?」

「えっ魔法?私は魔法使いではありません」

「だろうと思ったよ。泉で溺れるなんざ魔法持ちならありえないからな。で、なぜこの世界に紛れ込んだ?」

 先輩の容姿にそっくりのジュディドさんは、しかし先輩の大人しい態度と違って言葉遣いが荒々しかった。

「ジュディドさん、それは私にもわかりません。私は公園の池に突き落とされたんです。そうしたらここで目が覚めて。魔法って、ここでは魔法が使えるんですか?」

 ジュディドさんは片方の眉をしかめたが、

「ここでは皆、当たり前に魔法が使える」

 さっと手を振る。すると部屋中の灯りが消えた。

「君は別世界からやってきたということか。あの泉は異世界と繋がっているのか…」

 今度はパチンと指を鳴らして灯りをつけ、考え込むように言った。

「ここはどこなんですか?」

「その前に問おう。君は誰だ?」

「私は瀬戸口奈央せとぐち なおと申します。高校一年生です」

「コウコウ?一年生ということは奈央は下っ端ということか?」

「下っ端とは違いますけど、似たようなものでしょうか」

 一年生で吹奏楽のソロパートを勝ち取った。それが同じパートの二、三年生の気に食わなかった。だから池に落とされたのだ。

「奈央は何か特技はあるか?この国で魔力なしで生き抜くには特殊な能力が必要だ」

「特技ですか…そうですねフルートなら吹けます」

「フルート?おまえは楽士なのか?」

「楽士ではありませんが、毎日練習してきたのでそれなりに演奏できます」

「そうか。それならこの国では楽士として私の下について回るといい」

「はぁ」

 親切で言ってくれているのは有り難いが、私は早いところ元の世界に戻りたかった。

「あの、私、元の世界に戻りたいんです。だから私を引き上げてくれた泉に連れて行ってはいただけませんか?」

「おまえ、また溺れる気なのか?」

「一応泳げます」

「あの泉は魔力のない者は泳がない方がいい。むしろ泳ぐことすらできないだろう。あそこは魔力溜まりの泉だ。強い魔力が放出されている。」

「そんな」

「落胆するな。おまえが帰れるよう私も善処するよ。おまえの世界との繋がる場所を探して送り出してやればいいのだろう?」

「あ、ありがとうございます!!」

 憧れの先輩の顔をしたジュディドさんが眩しく見えた。

「だからそれまでは、おまえは私の弟子として振る舞うがいい。魔力がないと悟られればこの国では周りの扱いが変わってくる。それは危険だ。」

「危険と言うと?」

「[[rb:僕> しもべ]]として扱われる」

「僕…」

「主人に気に入られなければ暴力を振るわれることもある」

「そんな」

「安心しろ。私の元にいればそんな扱いはさせない。ところでおまえはフルートが吹けると言ったな」

「はい」

「フランツの店で楽器を調達しよう。フランツの店は木管楽器の専門店だ。良い楽器が置いてあるはずだ」


 フランツの店は圧倒的だった。フルートの他にもクラリネットやオーボエ、サックスなど一通り揃っていた。

「こちらの世界でも楽器は揃っているんですね」

 私は感動しながら言った。

「楽器はな、魔法では演奏できないんだ。だから特殊な能力が必要なんだ」

 ジュディドさんは何本かのフルートを私に突き出した。

「お嬢さん、好きなフルートを選ぶといいよ」

 フランツさんがジュディドさんが選んだフルートを優しく差し出す。

「この金色のフルート、吹いてみても良いですか?」

「もちろん」

 フルートは柔らかく明るい音色がした。コンクールの課題曲を吹いてみる。ソロパートの部分だ。

「おお、これはこれは。素晴らしい」

「おまえ、本当に毎日練習してたんだな。うまいじゃないか。ではこのフルートをくれ」

「はいはい、かしこまりました」

「あの、私、お金持ってません」

「気にするな。弟子の持ち物くらい私が調達する」

「何から何までありがとうございます」

「感謝は行動に移して表してくれ。明日から早速演奏してほしい」

「わかりました。曲はどんなものが良いでしょうか?」

「それはおまえさんに任せるよ。まずは子どもたちに聴かせてやってほしい」

「はい」


 その後、ジュディドさんは私を彼の家に連れ帰ってくれた。先ほどの豪華なベッドは彼の家の客間のものだったようだ。そのままこの客間を使って良いと言われたので、私はこの豪華な部屋で一人ぽつんと曲の練習をしている。

「みんなと合奏したいなぁ」

 思わずついて出た言葉だ。小学生の頃からずっと吹奏楽をしてきた。当たり前に合奏をしてきたから、一人で吹く楽器の侘しさをしみじみと感じた。

「おねえちゃん、それ、なんの曲?」

 ドアの向こうで可愛らしい男の子の声がした。招き入れると、ジュディドさんそっくりの小学生くらいの子どもがクリクリの目で私の持っているフルートを見た。

「明日、演奏してくれるってジュディが言ってたのはおねえちゃんのこと?」

「たぶん、そう」

「楽しみ!」

「ふふ、ありがとう。練習に熱が入るわ」

「ベルナール!」

 振り向くとジュディドさんがドアの前に立って男の子を呼んでいた。

「レディの部屋に勝手に入ってはいけないだろう?おまえはそろそろ寝る時間だ、部屋に戻りなさい」

「はあい」

 ベルナールと呼ばれた男の子は私に手を振って出て行った。

「ジュディドさん」

「奈央、練習中にすまない。ベルナールのことで話があるんだ」

 真剣な顔をしたジュディドさんはドアを閉めるとソファに腰掛けた。私にも座れと合図を送る。

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