黄金の伝令神
@shimizunaoto
第一章 第一節
一九八五年、「大コミンテルン革命戦争」が勃発した。世界最大の共産主義国家であったソビエト連邦が暴発したのだった。この年、新たなソビエト連邦の国家指導者にルドリフ・リボリェヴィッチ・ドリヌゥオカチェストヴォフが就任した。この事がソビエト連邦の暴発に直結する事になった。
約二十年間に亘ってソビエト社会主義連邦の指導者であり続けたレオニード・イリーチ・ブレジネフが急逝した後、ソビエト連邦の指導者体制は数年間の混乱を見ていた。その結果、一九八五年までの間に、ユリー・ヴラディミロヴィッチ・アンドロポフ、コンスタンティン・ウスティノヴィッチ・チェルネンコの二人の「国家指導者の候補者達」が相次いで亡くなった。この三人のソビエト連邦政界の重鎮達は何れも高齢者であった。レオニード・イリーチ・ブレジネフは七六歳、ユリー・ヴラディミロヴィッチ・アンドロポフは七十歳、そしてコンスタンティン・ウスティノヴィッチ・チェルネンコは七四歳で其々亡くなって了っていた。
こうしたソビエト連邦政界の状態の中、この政界の指導者達は新たな国家指導者の候補者を選び出す必要が生じた。この時にソビエト政界に於いて主導的な役割を果たしていた元勲達はヴァシリー・ヴァシレヴィッチ・クズネツォフとアンドレイ・アンドレーヴィッチ・グロムイコの二人だった。この二人は共に外交分野で大きな功績を残した人物達であった。因みに一九八五年当時、ヴァシリー・ヴァシレヴィッチ・クズネツォフは八四歳、アンドレイ・アンドレーヴィッチ・グロムイコは七六歳であった。これらの老練な政治家達は新たな国家主導者としてミハイル・セルゲーヴィッチ・ゴルバチョフだった。
ミハイル・セルゲーヴィッチ・ゴルバチョフの年齢は、この時、五四歳だった。この年齢はレオニード・イリーチ・ブレジネフの死後、新たなソビエト連邦の国家指導者選抜に関わった「元老」達と比べれば遥かに若い物であると言う事が出来た。しかし、この「若き指導者」の選出にすら「年寄り臭い」と異論を唱える人々がいた。そんなより鮮烈で、より先鋭的な人々によって選出された人物こそがルドリフ・リボリェヴィッチ・ドゥリヌオカチェストヴォフだった。
ルドリフ・リボリェヴィッチ・ドゥリヌオカチェストヴォフを「新たな国家指導者」として推挙した人々は、老年者達に対する敬意を捨て去っていた。実際には、彼等は「自分達は十分にコミンテルンの精神に敬意を払っている」と主張した。と同時に、彼等は「スターリン主義以来のソ連邦首脳部のやり方は手緩い物であった」と主張した。
この様に考えた一派は、これまでの六十年間と同じやり方をしていても、「世界革命の達成」は到底、成就させる事が出来ないと考えたのだった。こうして一九八五年三月、「第三革命」と俗称される政変が決行された。ヴァシリー・ヴァシレヴィッチ・クズネツォフ、アンドレイ・アンドレーヴィッチ・グロムイコの二人は事実上の軟禁状態に置かれ、政治的な発言力を封殺されて了った。そうして、これら二人の老練な政治家の支持を奪われたミハイル・セルゲーヴィッチ・ゴルバチョフはグルジアで隠棲生活を余儀なくされた。
ルドリフ・リボリェヴィッチ・ドリヌゥオカチェストヴォフの指導下、ソヴィエト連邦は「世界革命の為の沸点」を目指して情け容赦なく加熱して行った。北方の凍てつく大地から溢れ出した溶岩はペルシア湾北岸に最初に到達した。世界有数の産油地点であったペルシア湾岸で発生した火花は、一瞬にして西側諸国に緊張を走らせた。
中近東での戦争の発火点として西側諸国が注目していた存在は、イスラエル問題であった。実際、イスラエルの建国は歴史的にレバントと呼ばれてきた土地に苛烈な緊張状態を招いた。その結果として四度に亘る中東戦争が発生し、イスラエルは一躍、中東を代表する軍事強国になった。
続いて中近東の火薬庫になった存在は且つてペルシアとしてヨーロッパ世界の脅威となって来たイランであった。それでも、イラン王制には第二次世界大戦終了後、西側諸国による露骨な内政干渉が行われて来た。そうする事でキリスト教文化圏としてはペルシア人の首に鈴を付ける形にして来た。だが、そんな状況がイランの人々に取って、屈辱的な物である印象を与えたとしても、不思議ではなかった。
結果としてイランで革命が勃発して、西側諸国の後援を受けていたイラン王政は打倒される事になった。イラン・イスラム革命は西ヨーロッパ側の危機感を煽る事に繋がった。しかし、結果として、この時に示した西側陣営の行動が「大コミンテルン戦争」への直接的な着火店になって了った。
イラン・イスラム革命によってイランに誕生したイスラム政権を打倒する為、西側諸国はイラクの力を借りる事にした。西側諸国がイラクに支援を与えた結果、ペルシア湾岸では国家間の大規模戦争が発生する事になった。西側諸国がこの様な「危険を冒す選択」をした背景には、当然、彼等の甘い判断が存在した。つまり、彼等は「宗教世界と共産主義とは決定的に対立している」という思い込みに捉われていたのだった。
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