第1章 第2話


 エメリッヒ魔術学園は古い宮殿を改築した形をしている。その寮は敷地内にあり、四角い箱のような建物になっていた。チョコレート色のレンガ作りの建物で、七階建て。一年生から五年生までの総勢千名が生活を送っている。レオンの部屋は三階の角部屋だった。


「ここが部屋。これが鍵だ」


 室内はベッドが二つある寝室と勉強机とソファのある小さな書斎の二部屋、それにバスルームがついている。書斎があり二部屋構造になっているのは、角部屋だけの特権らしい。誰かと住むというのは多少は窮屈だろうが、魔術学園の方針は基本的には二人部屋なのだから文句もない。


「ご、ごめんなさい。僕のせいで。せっかく一人部屋、だったのに……」


 レオンは肩をすくめ、少し微笑んだ。


「残念は残念だけど、まあいいさ。アストランティアは騒がしいタイプじゃないし、俺は静かに寝て、静かに勉強ができればそれでいいから。そんなことより、まずは体を温めた方がいい。湯を沸かす魔術、使えるか?」


 水をお湯に変える魔術はちょうど今、授業で取り扱い、月の課題になっている範囲だった。使える生徒とまだ使えない生徒は半々といったところだろう。


「ご、ごめん……」

「いいって。そう何度も謝るなよ」


 レオンはローブをハンガーにかけると、バスルームに行き、水道の蛇口をひねった。水がたまるまで待ってから、湯に変える魔術を唱える。レオンもこの魔術を覚えたのは学園に入ってからだ。これを覚えるまでは先輩や寮監の先生に恥を忍んでお願いするしかない。


「できたぞ」


 玄関を入ってすぐの場所、書斎にアストランティアは立って待っていた。泥だらけなので、なるだけ物に触らないようにして待っていたのだろう。


「ありがとうございます、ヴィクトルムくん……」

「レオンでいい。みんなそう呼んでるし。同室なんだ。別に友達になろうってわけじゃないが、俺の苗字は何かと目立つ」


 困ったように笑うと、アストランティアも鎧を解くように少しだけ微笑んだ。


「じゃあ僕も。アストランティアなんて呼びづらいだろうから」

「たしかに。よろしく、ユーリ」

「うん。よろしくね、レオン」


 じゃあお風呂使うねと言って、ユーリはバスルームへと向かった。それから五分ほどして、レオンは彼が替えの衣服を持ってきていないことを思い出した。あの泥のつき方を見るに、下着までは汚れていないだろうけれど、制服は汚れていたから、何か替えになる衣服が必要だ。


 レオンは自分の洗いたての衣服をユーリへ貸してやろうと思った。前に暮らしていた部屋は同じフロアにあるが、取りに行くにも、さすがに裸というわけにはいかない。男子しかいない寮だが、慎みを持てというのが寮監の口癖だ。


「ユーリ、入るぞ~」


 深く考えることなく、レオンは浴室に入り、自分の持っている服でどれを着たいか、いくつか服を持って行ってユーリに見せるつもりだった。男同士なので、別に配慮もしなかった。白い水蒸気で湿度が高くなっているバスルーム、着替えるための浴室とバスタブとの間にはシャワーカーテン一枚で仕切られている。


「わっ!」


 レオンが入ってきたことに驚くようにユーリが大きな声を上げる。レオンは少し首をかしげた。大して驚くことだろうか。エメリッヒ魔術学園は資金力があるので、こうして各部屋にバスルームがあるが、他の学校では大浴場が普通とも聞く。騎士にとって背中を預け合う仲間との裸の付き合いというのも、それはそれで悪いものではないのだろう。


「そんな驚かなくとも……。嫌だったなら謝るけ」


 ど――、という最後の言葉はスコン! という軽い音でかき消された。どうやらシャワーカーテンの奥にいるユーリが石鹸か何かに躓いたらしい。大きな音を立て、ユーリはとっさにカーテンを掴んだようだ。しかし悲しいかな、バスルームのシャワーカーテンのレールは壊れかけていてとても脆い。急激に加わったユーリの体重を支え切れず、カーテンレールからカーテンが外れ、ユーリの身体がバスルームから脱衣場へとすってんころりんと飛び出てきた。


「えっ」


 一瞬、言葉を失った。


 ベージュ色のシャワーカーテンにくるまれたユーリの身体は白く、胸元にはふくらみがあった。おおよそ、男性とは思えないほどの、けれど慎み深いふくらみがたしかにあった。


 大きな声が口から出そうになる。しかしレオンは声を出さなかった。出せなかった、という方が正しい。電光石火のごとく立ち上がった全裸のユーリがレオンの口元を両手で覆い押し倒す。覆いかぶさられたレオンはあまりの驚きで抵抗することをすっかり忘れ、ただただユーリを見上げていた。


 白銀の毛先から雫が落ちてレオンのシャツの胸元を濡らす。ユーリの水晶のような瞳には明らかな困惑と羞恥があり、うるうるとうるんでいる。


「さ、叫ばないでください!」


 初めて聞いたユーリの大きな声は綺麗なアルトで、声の高い男性ともとれるが、声の低い女性にも聞こえる。


 ……ていうか、この状況。


 柔らかそうな太ももがレオンの顔のすぐ横に、視界いっぱいに上半身が、そして何より、間近で見るユーリは息をのむほど綺麗だった。なんでこんなに顔が整っていることに気が付かなかったのだろうと思ったが、そもそもユーリはよくその顔を伏せていた。だから気づきようがなかったのだ。


 同世代、美人な女子、そしてそれが一糸まとわぬ姿で自分に密着している。元来、貴族の生まれで、蝶よ花よと育てられた温室育ちのレオンが気を失うのは、仕方のないことでもあった。

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