第16話『旅先の夜は冷える』
それから黙々と歩き続けるも、やがて日が沈んでしまい、その日は野宿することになった。
「……すごいね。
「父さんがキャンプ好きでさ。中学まではよく一緒に行ってて、そこで習ったんだ」
「これで料理もできるし、この寒さも少しは楽になるかな」
揺らめく炎に照らされて、防寒着に身を包んだ
最寄りのルーケン村まで最短で三日はかかるという話だったので、野宿は覚悟していたのだけど……日中は汗ばむほどの陽気だっただけに、夜にここまで気温が下がるとは思わなかった。
旅の資金2万ラングのうち、その四割近くが防寒着やテント代に消えてしまったけど、それも納得の寒さだった。
「街の中はそこまでなかったのにね。はぁぁ」
橘さんは気合を入れるように指先に息を吹きかけたあと、調理を始めた。
その包丁さばきは見事で、俺が介入する余裕はまったくなかった。さすが、特技の欄に『料理』と書いていただけのことはある。
手持ち無沙汰になってしまった俺は、なんとなしに空を見る。
周囲に人工的な光が皆無なこともあり、満天の星が見渡せた。
というか、元の世界とは星空がぜんぜん違う。頭上には赤と白、二つの月が浮かび、天の川のような星の筋がいくつも見える。
……こうしてみると、本当に異世界なんだな。
「……うん。完成。ニラードの街の郷土料理、干し肉とモロモロ草のシチューだよ」
どこか感傷的な気分になっていると、料理が出来上がったらしい。
器に盛られたそれを受け取ると、ハーブのいい香りが鼻腔をくすぐる。
「すごいね。郷土料理とか、いつの間に習ったの?」
「街で借りた本に載ってたの。実際に作ってみたのは初めてなんだけど……どうかな」
直後に期待に満ちた視線を向けられ、俺は挨拶をしてからシチューを口に運ぶ。
慣れ親しんだシチューの味のあとに、ほうれん草とモロヘイヤを混ぜたような味が続く。これがモロモロ草の味なのかな。
「うん、おいしいよ」
「よかった」
橘さんは安堵の表情を見せ、自分の食事に口をつける。納得の味だったのか、うんうんと頷いていた。
「……ところで、この干し肉ってなんの肉なのかな」
そのまま食事を続けていると、橘さんがふいに訊いてきた。
「なんだろう。豚肉や牛肉じゃないし、鳥っぽいような?」
口の中でじっくり味わってから、そんな感想を伝える。
「でも、あの街にはニワトリいなかったよね……?」
それこそ小鳥のように小首をかしげる橘さんを見た時、俺は街の食堂に『森ガエルのオーブン焼き』というメニューがあったことを思い出した。
カエルの肉は鶏肉っぽい……なんて話を聞いたことがあるけど、まさかな……。
食事を済ませたあとは、体力回復のために早めに休むことにした。
それぞれ用意したテントに潜り込むも、粗悪品を掴まされてしまったのか、隙間風がすごい。
防寒着を重ね着してみたものの、寒すぎる。眠気はまったく訪れなかった。
テントに燃え移ると危険なので、焚き火はすでに消してしまったし。どうしたもんかな……。
「……た、高木くん、起きてる?」
そんなことを考えていると、テントの外から橘さんの声がした。
「お、起きてるよ。どうしたの?」
「さ、寒すぎて。ごめん、中に入れて」
消え入りそうな声で言い、俺の返事を待たずにテントの中へ入ってきた。
俺はできるだけ端に寄って彼女のスペースを確保するも、本来は一人用のテントだし、どうしても密着する形になる。
「よ、予想以上に寒いし、橘さんも、やっぱり眠れなかったの?」
「一度は寝たんだけど、寒くて目が覚めちゃって。変な夢見たし」
「変な夢?」
「雪の中で、妹と一緒にかき氷食べる夢。シロップはフルーハワイ味だった」
「聞いただけで寒くなるね……っていうか橘さん、妹さんいるんだ?」
「うん。中学三年生の妹がいるよ。わたしと違って、明るくて友達もいっぱいいるの。陸上部の部長さんだし」
声を弾ませながら、どこか嬉しそうに彼女は言う。きっと、自慢の妹なのだろう。
「た、高木くんは、兄弟いるの?」
「いない……いや、妹みたいなやつが一人いるかな」
「……みたいなやつ?」
「正確には同い年で、幼馴染なんだけどさ……うちの父さんから絶大な信頼を得ていて、合鍵持って毎朝起こしに来てた」
「えぇ……」
言ってから、しまったと思った。橘さんは明らかに引いている。
「よくわからないけど、幼馴染ってそんな感じなんだね。小さい頃とか、一緒にお風呂入ってたの?」
「そ、それはさすがに、なかったと思うけど……」
なんとなしに、その幼馴染との思い出を振り返ってみる。
ショートカットヘアで男勝りのそいつとは、中学までは一緒にゲームをすることも多かった。
大抵俺が勝つんだけど、あいつは負けず嫌いな上に口より先に手が出るタイプで、負けが続くと確実にリアルファイトに発展していた。
そうなると俺に勝ち目はなかったので、時々手を抜いてわざと負けていた。
あいつは妙に勘が鋭かったから、すぐにバレていた覚えがあるけど。
高校に入学してからは、なぜか毎日起こしに来るようになったし。外面も良くなって、殴られることも……以前よりは減った気がする。
その代わりにオタク趣味に目覚めたらしく、俺の部屋に大量の推しグッズを運び込んでいた。
……そういえば俺の部屋、あいつのアニメグッズで混沌とした状態になってたよな。
異世界転移したということは、俺は元の世界では行方不明扱いになってるだろうし。そうなると、捜査の一環としてあの部屋に警察が踏み込んでくることも十分に考えられる。
「刑事さん、違うんです。あのグッズは俺のじゃないんだ……!」
「……高木くん、大丈夫? 顔、真っ青だよ?」
「……はっ」
思考が妙なところに行きかけたところで、橘さんに肩を揺すられて我に返る。
寒いはずなのに、背中を冷たい汗が流れていた。
「だ、大丈夫。ちょっと、嫌なこと思い出しちゃって」
「……?」
不思議そうな顔をする橘さんから顔をそらして、俺は目をつぶる。
気がつけば、俺の体は心地よい温かさに包まれていた。
おそらく、隣にいる橘さんの体温が防寒着を通して伝わってきたのだろう。
……これまで夜が寒くなかったのは、二人が同じベッドで寝ていたからなのかな。
そんな考えが頭の片隅をよぎる中、俺は眠りに落ちていったのだった。
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