44 青い水


 演劇の練習を終えた後、私は生徒会室にいた。

 この時期は各々の仕事量が増えるため必然的に黙々と作業を進めていく事が多くなっていく。

 今年もそれは例外ではなく、皆がデスクで書類と睨めっこをしながら作業を進めていく中……。


「会長のクラスって出し物何やるんですか?」


 少し疲れたのか、結崎ゆいざきが小休止にと話題を持ち掛ける。

 全員が何となく休憩したい気持ちはあったので、一同肩の力を抜く。 


「私達のクラスはクレープを出す事になったよ」


 青崎あおざき先輩が端的に答える。


「あ、いいですね」


「捻りがないから、ちょっと味気ない気もするけどね」


「いいんですよそれくらいで。わたしのクラスは男女逆転で喫茶店やるみたいなんですけど、それの何が面白いんだが……」


「普段と違う姿が見れて楽しそうじゃないか。そうすると叶芽かなめは執事になるのかな?」


「まさか、やりませんよ。わたしは裏方です」


「なんだ、せっかくなら見たかったのに」


「そんなの恥ずかしくて見せられません」


 なるほど……。

 お二人とも実に羨ましい出し物になっている。

 私も本来そういう役回りをするはずだったのに、どうしてこうなったんだろう。

 小休止のはずが、これから先も背負い続ける重荷を再認識して溜め息が漏れそうになる。


水野みずののクラスは何やるのよ?」


 結崎に話題を振られた。


「私達のクラスは演劇、白雪姫を演じる事になったわ」


「へえ、それまた定番。でもあれって脚本とか演出とか色々まとめるの大変そうよね?」


 確かに大変だと思う。

 だが今の私はそれ以上に慣れない事をしているので更に大変になっている。


みおがサポートに回っていたらどんな出し物も上手く回るさ。運営に関してはピカイチだからね」


 青崎会長がグラスに入ってるお茶を持ち上げる。


「私もそういう役回りをやりたかったんですけどね……」


「あれ、ちがうの?」


 結崎も意外だったようで疑問符を打たれる。

 生徒会のメンバーもやはり私が裏方である事を前提としていたようだ。


「成り行きで、王子役をやる事になったわ」


「あんたがっ!?」


 ――ポタポタ


「か、会長? お茶こぼれてますよ?」


「あ、ああっ、私とした事がっ」


 青崎先輩が数滴だがお茶を零していた。

 珍しいが、こういう失敗もお茶目になってしまうのも先輩のずるい所だろう。


「となると俄然、白雪姫役を聞いとかないといけない流れになったわね……」


 結崎は案外前のめりで聞いてくる、そんな面白いだろうか。


白花しらはなハルよ」


「……へえ」


 結崎が鼻の下を伸ばしていた。変な顔である。

 私はハルの事で相談しているから、何か思う所があったのかもしれない。

 だがそれは邪推だ。


「たまたまよ」


「別に何も言ってないでしょ」


 顔が何か言ってた。


 ――ボチャボチャ……!


「会長!? ほとんどこぼれてませんか!?」


「ああっ!? いけない!?」


 この繁忙期はやはり青崎先輩でも疲れが出るのかもしれない。




        ◇◇◇




「あ、そうだ。今日はクラスTシャツが届く日だった」


 再び各々が作業に集中していると、青崎先輩が弾かれたように顔を上げる。

 クラスTシャツはデザインを業者に頼み、それが完成し搬入されると各クラスに生徒会が届ける仕組みになっていた。


「会長、忘れてたんですか?」


「うん、でもギリギリ間に合ったよ。もう少しで業者の方が来られるはずさ」


 ミスをしても致命的にならない所で対処できてしまうのが青崎先輩らしい。


「でも量がちょっと多そうだから、運ぶのをみおに手伝ってもらえるかい?」


「あ、いいですよ?」


 勿論、生徒会の仕事であれば断る理由なんてない。

 私は椅子から立ち上がる。


「それならわたしが行きますよ会長」


 そこに食い気味に結崎が割って入る。


「ううん、大丈夫だよ叶芽かなめ。結構な力仕事だから澪に任せた方が適任さ」


「誰が怪力ですか」


 何となく先輩にそう言われている気がして言及してみる。


「言ってない言ってない。ほら叶芽の方が小柄じゃないか。かと言って三人で行くほどの事でもないし、時間は有限だからね。最少人数で適材適所を意識して行こう」


 確かに先輩の言っている事は間違ってはいない。

 それは叶芽も同様らしく、上げていた腰をすとんと椅子へ落とした。


「……会長がそう言うのでしたら」


 結崎は口惜しそうに歯噛みしているようにも見えた。







 裏玄関へ向かって先輩と廊下を歩く。

 この通路は生徒が使う機会は少ないため、放課後という事もあり人影はない。


「久しぶりに澪と二人になった気がするね」


「そうですかね」


 記憶を掘り返すと、先輩と二人きりになったのはハルとの喧嘩を相談して送り出してもらったのが最後だった。


「白花ハルとは仲直り出来たんだろ?」


「あ、はい。その説は本当にお世話になりました」


 思い返すと、ちゃんとお礼をしていなかったと思う。

 翌日の生徒会では先輩は“花と命の探求を始める”と言いだし、結崎には生徒会室から追い出された。

 その後色々重なってしまい、有耶無耶になったまま時間が過ぎてしまっていた。


「というか仲良くなりすぎてビックリと言うか、まさか白雪姫と王子様の関係性になるとは私も思ってなかったと言うか……」


 青崎先輩はいつになく空虚な目で乾いた笑いを零す。

 そんなに私の王子は滑稽だろうか。まぁ、自覚はあるけれど。


「結崎にも言いましたけど、配役は成り行きですよ。本当なら役はやりたくなかったですから」


「本当かなぁ……?」


 青崎先輩に顔を覗かれる。

 その深い瞳を、私は真っすぐに見返す。


「本当ですよ、私は裏方が向いてますから」


「ふふっ、苦手な事にも挑戦できるくらい楽しそうな事が見つけられて良かったね」


「楽しいこと……?」


 特に愉快な事をしている自覚はないのですが。


「うん、今の澪はとても楽しそうな表情をしているよ」


「ずっと緊張してるんですけどね」


 ハルには問題ないと強がったけれど、実際に私は表舞台に立つのは苦手だ。

 その事を想像しただけで、気分が落ち込んでくるほどに。


「それも含めてさ。そんな緊張感を感じながらも取り組める事に澪は出会えたんだよ」


「そうなんでしょうか……」


 先輩が言うのだから一理あるような気もするけれど。

 そのあたりは自覚はしていない。


「私は安心は与えられても、衝動は与えられなかったってことかな」


「先輩?」


 話が飛んでいて内容が掴めない。

 “何でもないさ”と先輩は首を振った。


「とにかくひた向きに取り組めるといいね、それがきっと成功の秘訣さ」


「はい、善処します」


 主役のハルを導くのは私の役割であるから、頑張り所ではあった。


「まあでも白花ハルと馬が合わずにまた喧嘩するような事があったら私に言いなよ。いつでも相談に乗ってあげるからね」


 クラスの誰かが聞いたら目を剝いてしまうような提案だ。

 そんな頼もしい先輩がこんなに近くにいる事に、私は感謝している。


「その時はぜひお願いします」


「うん、任せて」


 先輩は目を閉じて、深く頷いた。


「応援しているよ澪、いつまでも……ずっとね」


 青崎先輩の言葉は廊下の空気に溶け込んでいった。

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