第3話 立太子
新たに王太子(ドーファン)に選出されたオーギュストの評判は決して芳しいものとは言えなかった。
それもそのはず、彼は前王太子フェルディナンドに疎まれていたことは衆目の一致する事実であったし、彼自身人見知りで口数少なく祖父ルイ15世のような
美丈夫どころか丸顔の肥満気味な外見とあっては無理からぬところなのかもしれなかった。
そんな宮廷でひとつの噂が密かに持ち上がりつつある。
―――――王太子は人が変わられたようだ。
かつての人見知り癖が綺麗に払拭され、常に笑顔を絶やさずしかも雄弁に物を語るという。
吃音りがちであった口調も非常に流暢で洗練されたものとなり、その聡明さには家庭教師たちも舌を巻くほどだとも噂されていた。
これまで全く存在感のなかったルイ・オーギュストではあるが、いまや彼が王位継承者の筆頭にある以上、その変容は貴族たちの注目を集めずにはおかなかったのである。
―――――最悪だ。
フランスを取り巻く環境は私の予想を遥かに超えて最悪であった。
なんといっても7年戦争とフレンチインディアン戦争の敗北と失費が痛すぎる。
莫大な資金と人員を消費しながら、なんら得るものなく北米とインドをイングランドに譲り渡した損失はどれだけ嘆いても嘆き足りるものではない。
名宰相アンドレ=エルキュール・ド・フルーリーが立て直しつつあった国家財政はこれによって壊滅的なまでの打撃を蒙ってしまっていた。
しかもルイ15世を始めとする要人がその危機を理解していないところがさらに恐ろしかった。
お気に入りだったジャポネのマンガの表現を借りるならば
―――――絶望した!脳天気すぎるフランス要人に絶望した!
というところだろうか。
それにしてもセネガルの失陥は痛いな………あれはいい兵になったはずなのだが………。
1763年のパリ条約ではルイジアナやカナダといった北米の要地ばかりでなく西インド諸島のグラナダや西アフリカのセネガルなども失われていた。
フランス史上最もみじめな条約と言われるゆえんである。
ナポレオンの勝利によってフランスに取り戻されることになるセネガルの歩兵はその勇猛さでフランス軍に大いに貢献したことを私は知っていた。
私はフランス史上に名を残せるような軍事の天才ではないし、体力も人並み以下でしかない――――だが今の時点では誰も知ることの出来ぬ知識を持っている。
この知識だけが絶望的な戦いを導く唯一の道標であった。
それがなくては所詮私などは二流の政治家にすぎないのだから…………。
………しかしこのまま史実どおりに進むとすればルイ15世が天然痘で崩御するまであと9年はかかる………長いな…………
そんな長い期間政治を主導することができないのは大問題であった。
すでにフランスの国家財政は限界ギリギリであり、改善する見込みは全くないと言っていい。
ルイ15世が死の間際に「朕のあとには大洪水がくるであろう」と言ったと伝えられているが、あるいは放蕩の愚王でももはやフランス経済の破綻は避けられないものと知っていたのかもしれなかった。
現に改革派の貴族のなかには第一身分(聖職者)と第二身分(貴族)の特権排除なしに財政再建はないと考えるものも少なからずいたのである。
しかし断固として課税には反対の立場をとる貴族たちの数はそれを遥かに上回っていた。
私の見るところフランス革命はおよそ参加した誰にとっても予想外の結果に終わったものだと思う。
当初貴族の大半は国王が免税特権を奪おうとしていることから、王権の失墜をはかり自らの権益を防衛しようと図っていた。
しかしアンシャン・レジームの大黒柱たる王権が失われてなお貴族という階級が存続できるはずもない。
彼らは明らかにその短絡で独善的な思考によって自らの首を絞めたのである。
また、新たに力をつけつつあったブルジョアジーにとってはイングランドで始まった産業革命から国内産業を防衛し、さらに国際競争力を高めるためには税制の改革と法の整備が絶対に必要であった。
いくら儲けを出しても税でその大半が持っていかれては、資本主義の循環でもっとも大切な設備投資を行う余裕が失われてしまう。
また王や貴族の気まぐれで流通が阻害されたり、諸外国との交易に支障が出来るのも問題だった。
彼らは彼らの商売の円滑のために、融通を利かせることのできる政府を心から切望していた。
そして国民の大半を占める労働者と農民の望みは単純である。
彼らはただもただ税が下がり、飢える心配のない生活だけを望んでいた。
折悪しくアイスランドではラキ火山が、極東の日本でも浅間山が噴火し北半球は急速に寒冷化して彼らは飢え死にの危機に瀕していた。
逆にいうならば食料さえ確保してくれるならば、見栄も外聞もなく手のひらを返す無定見さがあり、これを制御することは結局誰にも出来なかったのである。
そしてここに、フランス革命の担い手となった第四の勢力が存在する。
知識階級(インテリゲンチュア)であった。
主に弁護士を中心とした彼らは、当時最新のルソーの社会契約説等に見られる人民主権思想に傾きつつあった。
彼らの大部分は能力を持ちながら身分の壁によって要職につくことをあきらめた人間たちであり、自らが現在の政府以上に優れた存在であることをまるで疑ってはいなかった。
選良であるところの自分たちによってのみ、彼らは国民を理想の社会へ導くことが出来ると信じた。
ところがいざ蓋を開けてみると貴族もブルジョアジーもインテリゲンチュアも、無学で移ろいやすい大衆を制御することが出来ずに逆に大衆に振り回されることで次々と没落していったのである。
かろうじてインテリゲンチュアが大衆をわずかながら制御下においたものの、それは大衆の望みに対して盛大に空手形をうつことを前提としたものであった。
もちろんそんな欺瞞が長続きするはずもない。
大衆を躍らせているつもりが大衆のために自らが踊るはめになるか、大衆を躍らせることができると思い込み大衆によって墓穴を掘るものが続出した。
最終的に暴走する大衆を押しとどめるのには、自らの才能に絶対の自信を持ち、暴力と運と才能によってフランスのみならず全ヨーロッパに覇を唱えたナポレオンの登場を待たなくてはならなかったのである。
私に言わせればフランス革命とは大衆を煽動するつもりが逆に大衆の暴走に巻き込まれ、大衆に迎合する形で建前を飾らなくてはならなくなった――――ひどく偶発的な結果のひとつにすぎない。
自由・平等・博愛――――実に美しく崇高な言葉である。
しかし残念なことにこれが国家間の競争になると、自由・平等・博愛の精神は容易く抑圧・不平等・利己の前に敗北する。
共産主義と同様、国家社会が主流の現代においては早すぎた理想と言わねばならないだろう。
後代の共産主義者のレオン・トロツキーが世界永久革命理論を唱えたのも、一国主義の限界を正しく捉えていたためなのかもしれなかった。
問題なのはその愚かな理想主義者たちに現実を認識させる術がない―――ということだ。
シエイエスやロベスピエールのような理想主義者はおろか、エベールやマラーたち市井の者ですら人民に幻想を抱きすぎていた。
彼らは革命を起こして初めて大衆というものがいかに愚かしく救い難い存在であるかを知ったのだ。
もちろんそのときは―――――手遅れであったのだが。
「政治家は決して大衆の判断を信用してはならない――――同時に大衆の力を甘くみてはならない。大衆は出来る限り分断し、大衆としての意思を持たせぬことが望ましいのだ」
だが現状でもっとも恐れなくてはならないのはその理想主義者たちの凶熱である。
おそらく革命への流れはロベスピエールやサン=ジュストを暗殺したくらいでは変わるまい。
アンシャン・レジームは明らかに時代錯誤であり、新たな社会秩序を求めることは世界史的な必然であったのだから。
結局は第二第三のロベスピエールが生まれる結果になるだけだ。
――――――だが新たな社会秩序を定めるのは誓ってこの私だ。
そのためには力を蓄える必要がある。
まずは王太子の名でサロンを開き有用な知識人を囲い込むことだ。
少なくともラボアジェのように優れた化学者を断頭台に送り込むようなことだけはあってはならない。
そしてもうひとつは私ルイ・オーギュストは王太子であると同時にベリー公でもある。
すなわちベリー公領を統治する権利を所有しているのである。
まずはこのベリー公領をフランスでもっとも栄える地にしなくてはならなかった。
それくらいのことが出来ずしてどうしてフランスの国家財政を立て直すなどという大それたことができるだろう。
すでに私の指示により領内で最初のジャガイモ(正確にはpomme de torre大地のリイゴの意)の量産が始まっているはずであった。
当初民衆にも不人気でパルマンティエが一計を案じなくてはならなかったと伝えられるジャガイモだが寒冷地に強く単位収穫量も多いため、来る寒冷化の対策としては欠かせない。
普及についても王太子が好んで食べるとなれば宣伝効果は馬鹿にならぬものになるだろう。
そして最後のひとつだが…………。
「殿下、ショワズール公がお見えになられました」
「丁重にお通ししてくれ、カルノー」
年の近い侍従として召しだされた少年の名はラザール・カルノー。
後の「勝利の組織者」である。
ブルゴーニュの富裕な弁護士の息子であった彼だが、父との折り合いが悪かったせいか、王太子からの直々の召しだしに喜んで応じてくれた。
まだ一月の付き合いにしかならないが、非常に知性的で、合理主義者ではあるがその本質は温和な人格者であるように思われる。
将来の腹心に育て上げるには素質は十分なものと言えた。
一方、フランス王国陸軍卿兼外務卿でもあるショワズール公エティエンヌ…………事実上のフランス王国宰相は不審の念を禁じえずにいた。
これまで全く宮廷交友に興味を持たなかったルイ・オーギュストが遅ればせながら交際を求めてくるのは構わなかった。
だが言ってしまえば王太子とは王の予備であり、王の存命中は何ら実権のないお飾りにすぎない。
こうしてぶしつけに呼びつけられるほど自らの地位は軽いものではないはずだ。
そう考えるといささか腹も立つのだが、それ以上に違和感を感じてしかたがない、というのが本音であった。
…………まあ次代の国王陛下に恩を売っておくのも悪くはないか…………。
新たな国王が邪魔な先代の重臣を失脚させるのはよくあることである。
甚だしいところでは処刑されてしまうこともあり、常に重臣というものは将来の身の振り方に細心の注意を払っておかなくてはならない。
そうした意味では将来のためにオーギュストと友誼を交わしておくことはショワズールにとっても決して悪い話ではないのであった。
それにショワズールは現在その王太子のことでまさにある国と交渉を重ねている真っ最中でもあった。
そうだな…………この機会に殿下の意を探っておくとするか…………。
後に外交革命とも言われることになる、不倶戴天の敵であったオーストリアとの同盟を維持するため、ショワズールは王太子とオーストリア皇女との婚姻を進めようとしていたのである。
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