ブルボン家に咲く薔薇~フランス革命戦記~
高見 梁川
第1話 大統領の死
2025年に全世界を襲ったユーロの暴落は、ただでさえ悪化の一途をたどっていたフランスの経済にとどめをさすには十分すぎた。
ロシアによるウクライナ侵攻による戦費の増大とイギリスのEU離脱はじわじわとヨーロッパ経済を悪化させていた。
とどめに中国のバブル崩壊に伴うドイツ中央銀行の破綻――ユーロに対する信用不安は誰もが知るところではあったが、エネルギー価格が上昇の一途を辿るヨーロッパに耐える力などなかった。
未曾有の経済的困難を乗り越えるため、考えうる限りの経済政策が取られ、その多くは国民に負担を強いるものとなった。
だが、その動きに追随できぬ国がある。
パーマネント5の一角でもある斜陽の大国―――――フランスであった。
定年後にまで働きたくはない。
休暇と年金を削るな。
緊縮財政には断固反対。
雇用を守れ。
給料値下げ反対。
度重なるストと妨害。
そして暴動。
移民に対するテロまでが横行した。
パリの治安は先進国で最悪と言われるまでとなった。
年金改革法と改正社会福祉法が弱者の切り捨てであると断じられ、廃案に追い込まれた時点でフランスの未来は決まっていたのかもしれなかった。
2025年8月、フランス大統領クファールは断腸の思いでフランス国債のデフォルトを発表した。
―――――どうしてこんなことになってしまったのか。
フランスのデフォルトはすなわちユーロの崩壊でもある。
未曾有の通貨危機―――いや、世界恐慌が始まるはずであった。フランスを震源地として。
未来永劫に語り継がれるであろう汚名を負わねばならぬほど我が祖国は愚かな存在であったろうか。
クファールは自問した。
答えは―――否ノン。
フランスの文化水準の高さはユーロ各国の間でも一、二を争うほどのものだ。
これは文化芸術ばかりでなく理化学系の特許等にまで及ぶ。
潜在的な国力は決してドイツやイングランドに劣るものではない。
フランスが核保有国であり、常任理事国でもあるのは故ないことではないのである。
しかし、もしそこでこの国の宿唖をあげるとするならば―――――――
それは―――――自由
その言葉はフランス史上で最も多くの命を奪った言葉であった。
運命の皮肉とでも言おうか、クファールはプロヴァンス伯(ルイ18世)の傍流の末裔に当たる。
あの革命で国民は自由と平等を手に入れた代わりに、国家は国民に対する神通力を失ってしまったようにクファールには思われた。
国民主権の最たる形態である共和制だが、いささか国民の不満を政治に反映しやすすぎる面があるのである。
しかし国益というグローバルな観点に立てば、国民から血も涙もなく税を搾り取らなければならないことも決してないわけではない。
目に見える所得や福祉だけが国家の利益の全てではないからだ。
国防や外交の予算などはその最たるものであろう。
個人の権利と国家の利益が対立する場合、それは国家の利益を優先すべきなことは言うまでもない。
グローバリゼーションの進んだ現代の世界経済においては変化に対応する速度が何より重要であるからだ。
特定個人の権利に捕らわれることは、その速度に致命的な障害を生むことになるのである。
しかし国民が国家と戦って自ら打ち立てたフランス共和制という面目がそれを許そうとはしなかった。
国民は恣意的な国家の暴虐に対して戦うことを誇りとして魂に刻みこんでいた。
フランス国民のエートスと言い換えてもよい。
国家が国民に不利益を強いたとき、国民は国家に対して立ち上がる。
それがどんなに長期的な視野にたった政治的に正当な政策であったにせよ、だ。
経済が主権国家同士の競争関係にある以上、フランスだけが自由と繁栄を謳歌するというわけにはいかない。
勤勉で安い労働力を擁する国家と、怠惰で高い労働力しか用意できない国家が競争すれば勤勉で安い国家に軍配があがるのが資本主義の経済の原則というものである。
一国の内需ではもはや国民の生活が維持できない以上、フランス国民は世界経済に適応した環境の変化を受け入れるべきであった。
そうならなかった一番の原因は大統領を筆頭とする政治家の腐敗である。
汚職と利益誘導が政界にはびこり、国民は政府が主張する競争力を高めるための不利益の容認を認めることができなかった。
政府が無策であるから―――政府が一部の財界を優遇しているから―――だからこそ国家経済が回復しないのだ、と国民は信じた。
年々国債のGNP比率が上昇するなかで、ユーロ各国の白い視線を浴びながらフランスが抜本的な経済政策を打ち出せなかったのは当然の帰結であった。
汚職で起訴された前大統領の後を継ぎ、国家経済の再建に着手したクファールであったがもはや全ては遅すぎた。
失業率が10パーセントを超えようとする驚異的な失業率の中で、労働条件の規制緩和や失業保険の切り下げが廃案に追い込まれた時点で完全に万策は尽きたと言っていい。
フランスは自らの足を食って命をつなぐタコも同然の状態にあった。
もちろん足の数は有限であり、それが尽きたときには破滅する以外の選択肢は残されていなかったのである。
「…………閣下、………暴徒に一部の軍が合流した模様です。一旦シェルターへ避難されたほうが………」
秘書官のフラッカーが血の気のない顔色をさらに蒼くしてクファールをのぞきこんでいた。
民衆はこの失政の象徴をクファールにおいており、暗愚な為政者を除くことがフランス再生の唯一の手段であると信じているのだ。
彼らのその自尊心こそがフランスをこの地獄へと追いやった元凶なのだとも知らず。
IMFの通貨援助では乗り切れないほど膨れ上がった負債を帳消しにする手段があるとすれば、それは革命を起こす以外にはない。
そんな短絡的な主張が一部軍部の間でまことしやかに流されていることをクファールは知っていた。
しかし今は国際的信用を失った国家が先進国を名乗れるほど現代は甘い時代ではない。
軍事革命により借金を踏み倒そうなどという計画は、所詮痴人の妄想以外の何者でもないのである。
問題なのは理性ではなく感情によって大衆がその主張に迎合した場合であった。
「フランスは恥をさらした。だからといってこれ以上恥をかいてよいということにはなるまいな」
出来ることならば政権を投げ出して文句ばかり主張する人間に譲り渡したい。
お前たちにいったいどんな政権運営が出来るというのか。
政治は魔法のように無から有を生み出す技術では断じてないのだ。
自分たちの願望をかなえることがどれほど非現実的か思い知ればよい。
だがクファールはそれが出来ないことを知り尽くしていた。
欧州議会議長を務めたこともあるクファールだからこそ、まだフランスはぎりぎりのところで踏みとどまっていられるが、これが軍事革命など起こされた日にはNATOの介入を招くことは明白である。
ナチス以来、再びフランスが他国の兵に占領される悪夢がよみがえるのだ。
最悪の事態を避け得なかった無力な大統領として、最低限それだけは避けなければならなかった。
「国防大臣を呼んでくれ。暴動を鎮圧するぞ」
「…………その必要はない」
警護官の一人がクファールに向けて銃を放ったのはそのときだった。
焼け火鉢を突き刺したような熱い痛みが全身を駆け抜ける。
仕立てのよいスーツを赤い染みがたちまちのうちに侵食していくのが自分でもよくわかった。
銃弾は胸部を貫通し、無残な破口を広げていた。
「貴様の!貴様のせいでオレの妹は…………!!」
まるで呪文のように繰言を呟く男の恨み言から察するに、どうやら妹を不況による倒産で自殺に追いやられたらしい。
薄れゆく意識の中でクファールは神を呪った。
―――愚かなり、ああ愚かなるかなフランス。汝はなぜかくも愚かに成り下がったのか―――――!
衷心から愛するフランスがこんな愚かな国であってよいはずがない。
一人ひとりは善良で知性あるフランス国民がその理性をなぜ十全に発揮することができないのか………。
クファールの疑問に答える声が聞こえた。
1789年7月14日―――――その日フランスの運命が分かたれたのだ。
声なき声のつぶやきをかすかに耳にしたまま、フランス大統領ルイ・ニコラ・クファールの生命活動は永遠に停止した。
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