犬のきもち
渡貫とゐち
吠えるのは罪ですか?
ドラッグストアの前。
やかましく吠える犬がいた。どうやら俺が買い物袋を壁にぶつけてしまった音で寝ていた犬を起こしてしまったらしい。小型犬の高い声が響き渡る。
「――あんたのせいよ!! 早く黙らせて!!」
鳴き声を聞いて店内から出てきた飼い主……が、詰め寄ってくる。買い物の途中だったようで、しっかりと商品を入れたカゴは店内に置いてきたらしい……。
焦って出てきたけどそういうところは抜け目がなかった。
大学生……ではないか。だけど若い女性だ。
まさに小型犬を飼ってそうな…………綺麗な人ではあったけど。
ただめちゃくちゃ怒っているので綺麗な顔も台無しだ。
「ねえ、早くやめさせてってば!」
「吠えるのをやめさせればいいんですか?」
「そうよっ、早くして! うるさくて白い目で見られるのはわたしなんだから!!」
「……そうですか? 犬が吠えるのは当たり前なんですから、別に気にしませんけどね……周りの人たちも『こんなこと』で文句を言うほど器が小さいわけも――――」
同意を求めるように周りを見れば、周囲の人たちが視線を逸らした。
直接、言うほどの文句はなさそうだけど、不満なら抱えていそうだ。
「ごちゃごちゃ言ってないで黙らせて!!」
吠える声よりもあなたの方が声が大きいんじゃ……。
彼女の声に負けないように、犬も吠えてるようにも聞こえるし……。
間が空くと、すかさず「早くっ」と飼い主が急かしてくる。
「でも、あなたがやった方が確実な気もしますけど……飼い主ですし。――分かりましたよ。黙らせますから。やり方はなんでもいいんですか? この子が黙るなら手段にはこだわらない?」
「なんでもいいから、さっさとやって」
「…………なんでもいいと言われると……。首を絞めて意識を奪ってもいいんですか?」
小型犬なら正直、簡単にできる。
締める以上に折ることも――――
もちろん、ひとつの手段として提案しただけだ。それをするとは言っていない。
だけど、効果はあったようだ。
熱くなっていた飼い主が冷えたように静かになる。冷静さを思い出した?
それとも俺の冗談を『本気』と勘違いしたのだろうか。
するわけないけどね……。でも彼女側からすれば、反応から察するに、俺には「やりかねない」迫力でもあったのかもしれない。
人をどんな目で見ているんだ……失礼な。
「いや、しませんよ? 吠えてうるさいなら殺してしまえってのは、さすがに怒られますよ。いくら飼い主のお願いとは言え、そのやり方は――――それだけはまずいです。
全国の愛犬家を敵に回しますし、なにより傷つけてしまいますからね。飼い主の気持ちを考えればそれだけはできません」
飼い主よりも先に犬のきもちを考えろって話ではあるが。
吠えるのをやめさせるには――――やっぱり餌でもあげるのがいいのかな?
犬に詳しいわけでもないので手段が思い浮かばない。
手元には登山で食べるようなチョコバーしかないけど、ただ、これはダメだよな……? 犬にチョコはダメだった気がする……食べたら死ぬんじゃなかったっけ?
アレルギー? 毒? まあなんでもいいが……ダメだという知識だけはある。
これはダメだ。
じゃあ、他に方法は――――
思いつきで手を近づけてみれば、ぺろぺろと舐められた。
あれだけ吠えていたのにまったく警戒もせずに。舐めている間は吠えないようだった。
なら、満足するまで舐めさせればいいのかもしれない。
ぺろぺろと舐められ続け、べたべたになった手を服で拭きながら、
「あ。すっかり静かになりましたね……じゃあ、そろそろ俺はいきます」
飼い主に別れを告げて離れると、また犬が吠え始めた。……これは俺のせいか?
さっきのだって俺のせい、とは言い難いけど……まあ、きっかけではあるのかもしれない。離れて吠えるならもうどうしようもないのではないか? ずっと一緒にいるわけにもいかない、というのは飼い主とのアイコンタクトで伝わっているだろうし。
離れて吠えるなら、あの子が懐いてくれているのだろう、というのは分かるが……素直に嬉しいが、困ったものだ。
「あの、黙らせるにはこの場にいないとダメみたいですけど……」
「……なら、いればいいじゃない。散歩についてくることも許すけど……。あ、途中でコンビニにも寄っていい? その間、またこの子のことを見ててくれる? すぐ戻ってくるし――あと、会計してくるから、荷物もって」
「便利に使われてる……まあいいけど」
俺たちの心の距離感が分かったのか、犬が嬉しそうに吠えた。
きもちが分かれば鳴き声も不快には感じない。
左右に激しく尻尾を振るこの子を見れば、知らん顔して立ち去ることはできないか。
この犬に免じて、生意気な彼女に付き合ってあげよう。
…了
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