第7話
「よく来てくれた」
領主メノウ・ガーリッツは席に着いた。
テーブルの上にはティーカップがふたつとブドウのケーキ。
ガーリッツではブドウがよく採れる。
国中のぶどうを作っていると言っても過言ではない。
当然、ブドウから作られる果実酒も特産品として有名だ。
「君の話は聞いている。いや、聞かずとも自ずと耳に入って来るな。噂なんてものじゃあない。もはや伝説と言ってもいいだろう」
そこまで言うとメノウはカップを手に取り香りを嗅ぐ。
緩やかな動きの中に品を感じさせる所作。
生まれや育ち、教育や生活の差をアナスタシアは感じた。
「このハレから君が旅立ち、
しかし、彼女にとってはそんなことよりもケーキの方が重要だった。
(そろそろ食べてもいいかな……)
毒々しい紫のジャムと瑞々しいブドウの果肉が目を奪う。
甘酸っぱい果実の香りと一目でわかるフワフワのスポンジ生地が魅了する。
純白のクリームは闇夜に浮かぶ雲のように美しい。
ケーキなど、この数年で何度食べられたか。
アナスタシアは目の前に置かれた黄金よりも輝くそれの事ばかり考えていた。
無論、領主の前で失礼な態度をとることはできない。
だが、ケーキから視線を離すことができない。
口内に溢れる唾液が止められない。
幸運だったのは顔面を覆う兜によって、視線も垂涎もバレていない点だった。
(もう、限界かも……)
血走る目でケーキを見つめるアナスタシア。
涎はすでに口から溢れ出しそうなほどになっている。
領主の話はまるで頭に入ってこない。
実際の時間は5分か10分か。
彼女の体感時間ではすでに1時間は経過していた。
「――そのおかげでハレの特産のブドウの生育も順調なんだ。これからは今よりもずっと沢山の輸出を考えている。ただ、それにはやはり販路の問題があって――」
(ケーキ、ケーキ、ブドウのケーキ、ケーキ、ケーキ、ブドウのケーキ、ケーキ、ケーキ、ブドウのケーキ、ケーキ、ケーキ、ブドウのケーキ、ケーキ、ケーキ、ブドウのケーキ、ケーキ、ケーキ、ブドーのケウキ、ケーキ、ケーキ、ブケウのドーキ、ドーキ、ドーキ、ドドウのブーキ。)
脳内はすでにケーキに侵されている。
今すぐにでも齧り付きたいほど糖分を欲している。
ここまで全速力で来たからか。
それとも城下町で食べ物屋の美味そうな匂いを嗅いだからか。
空腹感が飢餓感に変わり、意識すらも飛びそうになってきた。
「――というわけだ。本当にありがとう、烈風の剣聖タタスタタタスタタン。ケーキは好きなだけ食べて行ってくれ。それじゃあ後はよろしく頼んだよ」
「…………」
(いま、なんて言った……?)
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