第2話 クラスメイトからバラの香りがする

 

 結局、五限目は暗記が間に合わず、廊下で立たされ授業を受ける羽目になった。先生の厳しい視線とクラスメイトたちのくすくす笑いを感じながら、俺はただひたすらに耐える。こういうときに限って時計の針が進むのが遅いこと、遅いこと。


 ようやく五限目やらホームルームやらが終わり、解放された俺は荷物をまとめて教室を出る準備を行う。放課後になると、部活動に励む者たちはいそいそと自分の部室へと向かっていく。


 部活動を無駄の産物と考えるイキり陰キャの俺は、それを横目に見ながら家に帰って漫画でも見ようかなと思案する。本日もご苦労様です!


 ……あるいは、自分の特異体質を鍛える嗅ぎ分けの訓練でもしようかと考える。

 というのも俺の特異体質は訓練のおかげで今の完成度までもっていけたからだ。最初に至っては好意にも程度があることやグラデーションで判別ができるなんて思ってもいなかったが、「俺の鼻は特別だ」と思い立ち、家に帰っては犬の嗅覚訓練を続けた結果、普通の匂いの嗅ぎ分けも常人の倍得意になり、今のように好意の中でもどのくらい好きかどうか判別できるようになったのである。


 我ながら、意味の分からない所で努力家だ。もはや警察犬になれるレベル。

職業に警察犬ならぬ警察人間作ってくれよ。って、それただの警察ぅ!


 そんなくだらない一人コントをしながら、帰りの支度したくを整えていた。教室の片隅である一番後ろの窓側の席に座って周りを見渡すと、俺とは対照的に、みどりはクラスメイトたちに囲まれ、楽しげに笑っている。彼女の周りには明るい笑い声が絶えず響いている。


 俺は、図書室で二時間ほど勉強して家路いえじにつくことを計画する。計画したらなら次はいざ実行と教室を出た。


 教室のドアを静かに閉める音が、俺と彼女の住む世界は違うと一つの区切りをつけるかのように響いた。


 図書室で二時間勉強し、キリがいいところで終わった俺は校舎を出た。


 夕陽が西の空を赤く染め、影が長く伸びている。いつもの帰宅ルートに沿って数分歩く。風が頬をかすめ、遠くで聞こえる子供たちの笑い声がかすかに聞こえる中、公園に差し掛かったとき、ふと足が止まった。


 公園のベンチに、美少女が一人静かに座っていた。俺と同じクラスメイトで隣の席の鈴々凛音りんりん りんねだ。凛音は今日は体調不良で欠席していたはずなのに、ここにいるのは少し意外だった。


 彼女はあまり人と話さないタイプで、幼馴染みのみどりとは真逆の性格だ。顔はアイドルでセンターにいそうな可愛い系で、黒髪のドリル状のツインテールが特徴的だ。その髪型と顔立ちは可愛らしい雰囲気をかもし出しているが、性格は冷たく、どこか近寄りがたいオーラを放っている。

 しかし、その冷たい性格がドM男子にはたまらなく魅力的らしく、彼女はしょっちゅう話題に上がっている。告白されても全員振っており、その近づきづらい雰囲気と上品な言葉遣いから『姫』と陰ながら呼ばれている。


 そして、そんな『姫』の秘密を俺は握っている。


 凛音は、わき鎖骨さこつかた露出ろしゅつした白のノースリーブニットに黒のスカートという目を引く服装をしていた。脇と鎖骨と肩の露出という究極のトリプルコンボをカマすその姿に、俺は思わず驚き数歩後ずさってしまう。うむ……スタンディングオベーションを送りたい。

 ノースリーブニットから見え隠れする彼女の脇には、気品さが漂っており、そのあまりの気品さにぼーっとベンチに座っている凛音を眺めていると突然目が合った。


 やべ……話しかけないとさすがに不自然すぎる。いつもの俺なら視線を下に向けて公園を素通りしているだろうが、今日は何故か足が止まってしまった。


 俺としたことが!!どうする?うおおおおおおおおおおお。


 心の中で盛大に迷った結果、俺は意を決して話しかけることにした。僕は座っている凛音に近づき、声をかけた。


「凛音、なにしてんだ?」


 凛音は不機嫌そうな顔で俺をにらんできた。こわあー。


「はあ、なに?」


 凛音は俺に視線の高さを合わせるように立ち上がる。その瞬間、俺の鼻に猛烈もうれつなバラの香りが炸裂さくれつした。


「えーと……」


 俺は顔が赤くなりそうになり、手で顔をあおぐ。そう、これが彼女の秘密だ。俺の特異体質は俺に対して好意を持っている人には特に強いバラの香りを感じる。つまり凛音は滅茶苦茶ぶっきらぼうな態度をとるくせに、実は滅茶苦茶俺に好意を持っている事だ。


 勿論もちろん、これは経験則にもとづいてる。


 その経験は中学生の時だ。あの頃の俺は「髪切るの面倒くさくね?」とかっこつけて、肩に髪がつくぐらい異様いように髪を伸ばしていた。普通に考えて滅茶苦茶気持ち悪い風貌ふうぼうだったのだが、世の中には物好きがいるらしい。一人の女の子がそんな俺に告白してきた。当時の俺は妙に硬派を気取っていて、ほとんど話したこともないその子の申し出を断ったのを思い出す。


 彼女からも確かにバラの香りがしたが、今感じている凛音の香りはそれよりも遥かに強い。他にも数少ない男友達や母親からも香りがするから恐らく間違いない。母親をカウントするのあれだな。親からもらったバレンタインデーのチョコを異性からもらったチョコとしてカウントするぐらい恥ずかしいな……


 小学校六年間、毎年一個もらってた(母親から)モテモテの俺は凛音に対して疑問を口にする。


「学校どうしたんだよ。サボりか?」

「まあ、そんなところね」

「へえー優等生の凛音さんともあろうことがサボりですか……おい、笑える」

「なに最後の?あなた相変わらず滅茶苦茶気持ち悪いわね。明日も学校休もうかしら」

「まじか、そんなきもいか」

「……なにか重要事項とかあった?」


 凛音の問いかけに、俺は一瞬考える。俺の脳裏には、今朝と放課後のホームルームでの出来事がぼんやりと浮かんでいた。先生の話を聞いていたようで聞いていなかった自分を振り返ったが、結局何も思い出せない。まあ俺あそこだと思ってないし。ホーム?ダサすぎる。真の強者はなんか無くていい……


「いや、無いなー」

「ごめんなさい。聞いた人が間違いだったわ。あなたいつも先生の話全く聞いていないじゃない?」

「ありゃ、ばれたか」

「いつも見てるから当然じゃない……」


 視線を斜め下に向けて何かを呟く。最後なんて言った?小声すぎんだろ……はえの音かと思ったわ。てか、バラの香りが急にめっちゃ強いんですが……


 まあいいや、そろそろ家に帰ってレッドロックっていうサッカー漫画見ないと。今熱いんだよレッドロック。帰り道ついでに飲み物も買うかー。


「じゃあ俺帰るわ。帰りに飲み物買わないといけないし」

「そう……なら私も一緒にコンビニ行ってあげるわ」

「お、おう」


 俺は驚きながらも返事を返す。彼女の超上からな目線と傲慢ごうまんな態度。まさしく『姫』と呼ばれるに相応しい。というか、コンビニ強制なんですね。


「なに?」

「いえ、なんでもないです。嬉しい限りです」


 凛音はそんな俺をじっと見つめた後、ふっと小さく笑った。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「これお願いします」


 俺はファンタグレープをレジに出す。


「百二十円になりまーす」

「はい」と答え、硬貨を手渡すと、「あっしゃーせー」と適当な挨拶が返ってきた。


 なんだよあっしゃーせーって野球部の挨拶ぐらい適当だな、この店員。内心で苦笑いしながら、ペットボトルを右手に持って、コーヒーマシンにいるであろう凛音の所に向かう。「コーヒーを買うわ」と言っていた凛音は当然の如くコーヒーマシンの前におり、コーヒーの香りに包まれていた。抽出口ちゅうしゅつぐちから香ばしい香りが漂い、満足げな顔をしている彼女に、俺は話しかける。


「悪い、待たせた」


 こちらを振り向いた凛音は俺の右手に持っているファンタグレープを凝視ぎょうししている。そんなにペットボトルが気になるのか?

 それなら股間についている俺のペットボトルも見せちゃおうかな。ボロンっ!なんてしょうもない事を考えていると、凛音の冷ややかな視線を感じた。


「あら、ファンタグレープ?おこちゃまね」


 俺のペットボトル(ファンタグレープ)を見た凛音は挑発するかのように言う。 


「はっ、コーヒーが大人の飲み物って思い込んでいる方が子供だね」


 まあ、でもある視点から見たらコーヒーが大人の飲み物っていうのは一理ある。コーヒーはまずコーヒーチェリーから外の皮をいて、収納されている種子という名の子種こだねってコーヒー豆になる。で、そのコーヒー豆から苦くて黒い液体……つまりコーヒーができる。俺からするとコーヒーを飲んでいる者は黒い精子を飲んでいるようなものである。


 違うか?違うな。


 そんな黒い精子を飲んでいる学園の姫はこれ以上の議論はエネルギーの無駄とばかりに、俺の前をさっさと歩き出す。彼女のドリル状のツインテールの黒髪が夕陽に照らされて輝き、黄金色のトルネードポテトのように見えた。なにそれ、うまそう。


 俺達は自然と来た道を戻る。コンビニを出るとすぐ近くにある高校の大きなグラウンドが目に入ってきた。夕焼けの光がグラウンドをオレンジ色に染め、そこにいる高校球児たちのシルエットを浮かび上がらせている。彼らの声とボールを打つ音が静かな空気を震わせ、まるでその場全体が青春の一コマとなっているようだ。


 俺はそれを見ながら話題作りに無造作に尋ねる。


「コーヒーの何がそんないいんだよ」

 

 凛音も俺と同様に高校球児の頑張っている姿を見ながら答える。


「この苦さがいいんじゃない?」

「いや、その苦さが嫌なんだよなあ……缶コーヒーと何が違うの?」

「全然おいしさが違うわ。缶コーヒーはコーヒーというジャンルに分類されるのが聞き捨てならない程ね。私はあれをコーヒーとは思えないわ」

「ほえー」


 俺は興味無さそうにぼやく。自分から話題を振ったもののコーヒーについてあんまり関心がない。まあ優等生の凛音がそこまで言うなら、きっと何かが違うのだろう。


 俺の視線は再び夕陽に照らされながら甲子園を目指して頑張る高校球児たちに向かう。本当に心から目指しているのかはわからんが。彼らの中からプロ野球選手が出たりするのだろうか……

 運動神経は悪くないが、何かのスポーツでプロになる程の実力は皆無かいむだと自身で分かりきっている現実思考の俺にとって、プロになれないのに一生懸命打ち込める人が羨ましい気持ちとその時間を大学受験に充てた方がタイパいいだろとさげすむ気持ちが交じり合ってなんとも表現しがたい気持ちだ。


 カキーンと硬式ボールを叩く音が響き渡り、俺はその音に意識を引き戻された。


 凛音も俺と同じく静かにグラウンドを眺めている。彼女の顔は夕陽の光を受けて輝き、コーヒーの液体で口元がつややかに光っている。その光景が妙になまめかしく感じた俺は、慌ててファンタグレープを一口飲んで誤魔化ごまかした。こんなんで動揺するとか、可愛いな俺。

 そんなキュートでチェリー(童貞)な男子高校生の俺は、一旦心を落ち着かせて、再度彼女の方を見る。


 凛音は、まるでその瞬間を待っていたかのように、こちらに体ごと向けていた。彼女の頬は紅潮こうちょうし、その瞳は熱っぽく輝いている。凛音の表情は真剣そのもので、その瞳には何か大切なものを伝えようとする強い決意が宿っているように見えた。

 

 俺の心臓はまるで鼓動こどうを加速させたようにドキドキと鳴り響き、全身が緊張で固まる。


まさか!?このタイミングで告白!!はわわわわわ。


 内心でパニックになりつつ、俺は次に彼女が何を言うのか、期待と不安が入り混じった気持ちで待つ。



◆◆◆


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