生憎今夜君を喰べたい

@2744730

生憎今夜君を喰べたい

1,別世界の彼女

1 高北駅発新山代高校行

 虚ろの中で、シーツが震えるのを感じた。目を瞑ったまま、未生みうは布団の中で足を伸ばす。四月の朝はまだ肌寒くて、足の指先で羽毛布団を撫でる。

 一度目頭に力を込めておもむろに目を開ける。手だけでスマホを探し、まだ覚束ない意識と視界で未生は画面で時刻を確認する。

「七時、か—」

時刻を舌で確かめるように口に出し、未生はそのまま枕にスマホを置く。二度寝しようといつもの左向きに体制を直す。

—眠すぎ、アラームの時間まちがえるとか最悪……

うと、と夢の世界に再度潜り込もうとしたとき、ふと嫌な予感がよぎり、そのまま未生はじわじわと眠気が覚めると同時に目が開く。

「やっば、忘れてた!」

 布団を重力に任せて放り投げ、そのまま起き上がる。

—さっきのってスヌーズ、ってことはもう二度寝済み?春休み開けだからって早々にやらかしすぎ!

 未生は惰性で歯を磨き、ブラシで髪を整える。幸い、鎖骨下まで伸びた髪は重さで引っ張られてストレートになっている。寝癖もオイルつけとけばそれっぽいでしょ、と自分に言い聞かせながら未生はオイルをつけた手で髪を梳き、上半分だけ掬ってお団子に括る。

 未生は朝食を食べようかと迷ったが、配膳や洗い物の時間を逆算して、三秒で諦める。

檸檬れもん色の寝巻を洗濯籠に放り投げ、未生はそのまま吊るしてあったクリーニングの袋付きのブレザーを手に取る。こういうところがA型らしくないとか言われるんだろうな、と被害妄想を膨らませながら未生はクリーニングの袋を手で勢いで引き裂く。

 未生は三週間ぶりの制服に手を通した。ワイシャツ特有のパリパリ感に懐かしさに耽っている、場合ではない。首に引っ掛けるだけの赤リボンを襟に通し、未生が一年以上愛用している網目の大きなチョコレート色のセーターを着る。

 冬は過ぎたというのに未だガサガサな唇にリップクリームを形だけ塗っておき、時計を見て悲鳴を上げながらそのまま鞄を持ち上げて家を飛び出す。

 未生の家は四人家族だ。家に住んでいるのは三人で、共働きの両親のいる時間を考えると、ほぼ未生一人がこの家に住んでいる。

 一年生の頃は未生と、四つ上の姉の2人で過ごしていた。両親の共働きや田舎度を鑑みて、未生は姉に高校と家の間の車送迎を頼んでいた。姉は運よくホワイト企業に出会えたようで、毎日がリモートワークだったため未生の送迎ができていた。

 だが、去年の冬、未生の姉は家族会議を開催した。

結婚したのだ。

 最初は未生もめでたしめでたし、対して大きな変わりはないけど、と思っていたが、よくよく話を聞くと、姉は旦那と二人暮らしを始めると言うのである。

 そう、未生の車通学終了のお知らせである。

 そういうことで、未生は今年からバス通学になった。このド田舎。この山の中のような寂れた町からの通学—。

「いや、きたなっ!」

 上がる息を吸う酸素で押さえつけながら、未生は口に出す。高北駅たかほくえき、と書いてある看板は初めて訪れた人なら読めないレベルまで錆びついている。申し訳程度についている屋根とベンチは、都会の人なら駅だとすら思わない。

 駅の手前のバス停まで歩く。こんなド田舎のくせして、未生の通う新山代高校しんやましろこうこうが終点のバスがあるのは、恐らく近くにある高校がこれくらいだから、というお情け。かといって新山代高校―通称代高しろこうに未生の同中が通っているわけではない。中学に行くにも車かバスで人里まで下りなければならず、そもそも未生の近くに同い年くらいの年齢が住んでいないからだ。

 「いやだから、きたな……」

止まるバスすらも錆びていて、未生は思わず駅と同じ感想を漏らす。本当に合法か、と疑いたくなるくらい酸素に侵食された鉄塊に乗り込み、乗降口から三番目に奥の2人席に座る。せめて座り心地だけでも良かったバスに、未生はうんうん、と安堵の表情を浮かべた。未生の後をご老人が数人次ぐ。

 ここまで揺れると逆に座りやすいかもしれない、と未生は目を瞑りながら思う。石炭で動く汽車にも乗ったことがあるが、おそらくそれ以上だ。

~次はせいとうちょう、せいとうちょう、お降りの方はお知らせください

 お知らせする人なんていない、と未生は思った。青東町せいとうちょうは未生の乗った始発の高北駅からバス停を三つ過ぎたところで、時間にすると四分後くらい。基本的には全員、三十分程度後に着く新山代駅しんやましろえきか新山代高校が目的地だからだ。新山代高校が目的地なのは未生一人だけだが。

 ぷー、と音がしてバスが止まる。え、と未生は眠ろうとしていた目を開ける。

—そっか、降りなくても乗る人がいるよね

 そんな当たり前のことがわからないなんて、まだ寝ぼけているのかもしれない、やっぱり高校に着くまで寝よう—と目を閉じかけて、硬直する。

「え」

 一番前の一人席に少女が座った。少女―という歳でもない。だ。

宮埜みやのさん―?」

 口に出してから、は、と口を手でふさぐ。運よく、彼女には声が届いていないようで、彼女はイヤホンをスマホに差して操作している。

 どうして彼女が、なんで青東町から、なんで、どうして、と未生の頭の中が彼女でかき回される。

 


~終点、終点、新北山代高校前です。お降りの際は、忘れ物にご注意して—

 いつのまに、と思いながら出かけた口元の涎を拭って彼女より後にバスを降りた。

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