超常現象 あるいは怪物

超常現象 あるいは怪物 ①

 わたしは今、不毛なことをしているのではないかしら。大谷紀乃おおたにきのはそう考えながら、タピオカミルクティーを啜りながら目の前の二人の熱弁を聞いていた。


 「ほんとさあ、有り得ないよね!設楽したら先輩、イケメンで頭いいのに、彼女あんなんだよ!」


 「まじほんとそう。お金払ったのかな」


 紀乃はそれを聞きながらえー、そうなんだー、やばいねーと返事をしつつ、タピオカを吸いあげることに苦心していた。話しながら内心、お金払って彼氏になってもらうって何、と思っていた。


 二人は甘いの追加してくる、と少し離れたところにあるキッチンカーの方に向かって行った。紀乃は荷物番ならぬ席番を買って出て、一人残ってミルクティーを味わっていた。


 「今どきの十五歳は怖いなあ。お金貰うってどういう考えじゃい。お前が耳年増なだけかと思うとったが、存外みんなそんなもんかえ」


 隣で男の声が聞こえてくる。優しい声だが、言葉使いは荒々しい。隣を見やれば、刑部ぎょうぶが呆れた顔で頬杖をついていた。というか、最初からずっと紀乃の隣で二人の話を聞いていた。何せ幽霊である。この場で見えるのは多分紀乃だけだ。


 「なんか、聞き捨てならないディスりが聞こえてきたんですけど」


 手を口元に当てて小声で応酬する。いくら長い付き合いとはいえ、面と向かって耳年増とは、十五歳になったばかりの乙女に対して失礼極まりない。目をむいて抗議をした。


 「事実を言うて何が悪い。ほんまの事じゃろ」


 「いくら事実でも、言っていいことと悪いことがですね……!」


 「残念ながらわしの貧困なぼきゃぶらりーじゃお前のことは耳年増としか言いようがないわい。それより、乙宮おとみやの女というのは嫌われるのが世の常みたいじゃなあ」


 ちくしょう、この師匠に一生勝てる気がしない。紀乃は撃沈した。刑部の方は涼しい顔で女の嫉妬は怖いの、と嘯いている。無視して黙る作戦をとるも、聞こえとるくせに聞こえんふりするのは性格悪いんじゃないかえ、とつつかれる。八方塞がりである。


 「あー……十年前のわたしに忠告したい。白頭巾の幽霊に気をつけろって」


 「さだめじゃ、諦めい」


 渾身の嫌味すら不発に終わり、紀乃は頭を抱える他なかった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 紀乃と刑部の出会いは、十年前に遡る。紀乃の母の三回忌の法事のため、近所の寺に親族が集まることになった。普段ならこういう場だと誰かしらが始まるまで遊んでくれるのだが、その暇をこの日は誰も持ち合わせていなかった。


 結果、紀乃は外に出て、ぷらぷらとまわりを歩くことにした。寺の庭にはいろんな樹木がうわっていた。丁度夏椿が見ごろの季節で、綺麗だなあ、と近寄った時だった。


 夏椿の奥に、大きな欅が植わっていた。その枝に、誰かが立っている。近寄ってみることにした。その誰かは、着物を着ていた。頭に白い頭巾をして、さらに鼻から下を布で覆っている。そのせいで年齢も顔も分からない。遠目なのと着物で体型が目立たないから、男女の区別も分からない。親族のだれかではないのは確かなのだが。


 「誰〜?」


 呼びかけられたその人は驚いた顔で、お前、わしが見えるんか、と返事をした。男の人の声だった。


 何も考えず、見えるよ〜と返事をして、さらに欅に近づいた。近づいた時にはその人はもう枝から降りていた。しゃがみこんで紀乃と目線を合わせると、一人でおるんか、と優しく声をかけてきた。


 「うん、お寺にみんなで来たけど、みんな忙しいんだって」


 「そうかえ。じゃあ、つまらんじゃろ。わしが相手してやろうか」


 「いいの!?」


 思えばここで逃げるか何かすべきだったんじゃないかと思う。本来、幼女に声掛けする成人男性は警察沙汰ものだ。しかし当時の紀乃は構ってもらえるのが嬉しくて、この人が何者なのかということは一切気にならなかった。お寺にいて、着物を着ているからお坊さんだと思っていた。着物の向こう側の景色が見えることに気づくまでは。


 「えっなんで見えるの!?」


 驚愕して叫ぶと、少し呆れたような顔をされた。目と眉しか見えなくとも、わかりやすいくらいに。


 「んー、いま気づいたんか……」


 さて、おちびは幽霊言う言葉はわかるかえ、と聞かれた。うん、と首を縦に振る。そうか、なら話が早いわ、と立ち上がった。


 「わしは幽霊じゃ。でも今起きたとこで、なーんもわからん。おちびが構って教えてくれるかい」


 「いいよー」


 二つ返事で了承し、そのまま遊んだ。何を遊んだかは忘却の果てだが、法事が始まる時間を過ぎても遊んでいたのは覚えている。最終的に木登りのコツを教えてもらうことになった。むろん、例の欅に登った。身体を気になるべく近づけ、一気に登るのではなく少しずつ登ること。ウロと呼ばれる木の穴のようなところをとっかかりにすると、なおよい。そうやって登って、太い枝のところまでたどり着いた。すでに指導役の幽霊は枝に座って待っていた。


 「気持ちいいじゃろ」


 寺の屋根や塀、その向こうにひまわり畑が見えた。正確に言えば、まだつぼみすらついていなかったが、植わっているのはひまわりだと分かる、特徴的な葉っぱをしていた。恐らくあと一か月もすれば花が開くだろう。


 「ねえねえ、お兄さんの名前教えて」


 お兄さんって年でもないんだがなあ、と苦笑しつつ教えてやる、と向き合われた時だった。


 「紀乃ー!返事しなさーい!」


 祖母の声が聞こえてきた。そしてここで、あ、まずい、ということに気づいた。すっかり時間を忘れていた。さて、降りないと、どうやって降りるんだっけ。考えながら足を動かしていたら、見事にバランスを崩して落ちた。悲鳴を上げる間もなく、地面が近づいた。


 「あー、驚いた。慌てて降りようとするからじゃ」


 気づいた時には、地面にいることにはいた。けれども特に痛いところはない。きょろきょろしていると、自分の下敷きになるように、幽霊がいた。正確に言うと、身体が透けているので、紀乃は地面に座り込んでいる格好になっている。助けてくれたのだろうか。


 「怪我は無いか」


 立てるか、と聞かれたものの、いわゆる腰が抜けたという状態になり、まともに立てそうになかった。それなら立てるまで座っとれ、じきに治るじゃろと言いながら、身体の位置を変えた。ちょうど、紀乃と向き合って座り込んだ形だ。


 「お前、わしの名前を聞いたな。わしの名前は――――――姓は大谷、名は平馬へいまという。じゃが、人からは刑部と呼ばれとった。だからお前も刑部と呼べばええ」


 「刑部さんも大谷さんなの?わたし、紀乃、大谷紀乃!」


 そうして手を差し伸べた。握手を求めたのだ。意味は分かったらしい、刑部の方も優しく紀乃の手を取った。取れてしまった。あれ、と思ったが、すでに時は遅かった。皮手袋越しにほのかなぬくもりを感じたとき、きらりと二人の間で何かがきらめいた。その光を見て、紀乃は幼いながらこの人と自分は一生離れられない気がする、と思った。先に刑部の方があーあ、と声を上げた。


 「残念じゃなあ紀乃。これでお前とわしは一蓮托生よ」


 その時の刑部の表情は覚えていない。一応、まだ何とかなるかもしれん、住職にお化けに憑かれたって言ってこいと言われ、一応申告した。欅にいた幽霊さんに憑かれたみたいなの、と。しかし残念ながらその寺の住職からは真面目に取り合ってもらえなかった。話を後ろで聞いていた刑部が、この腐れ坊主が、と罵倒していたがそれも住職の耳には届いていなかったらしい。


 ならば、と大分にある寺で住職を務める曽祖父にも同じことを言った。こちらは真剣に取り合ったが、「悪さするわけじゃねえならじいじには祓えねえな」と笑って断ってきた。あまりにはっきり言われたので、じゃあしょうがないね、と紀乃は納得してしまった。逆に刑部の方がそれでいいのか、と困惑していたくらいである。


 「ひ孫がかわいくないんかこのジジイ」


 「そりゃ紀乃に悪霊がついたなら問答無用で祓うが、お前さん見たとこそうはなりそうにないからな。訳アリっぽいが」


 「そんなもん分からんじゃろう。憑いてるうちにこの子を蝕むものになるかもしれんじゃろうが」


 「悪霊になりそうなやつはなる前から分かる。お前さんはそうじゃない。俺はむしろ、お前さんが紀乃を悪いやつから守ってくれるんじゃねえかと期待してるんだよ」


 「坊主の癖に幽霊に期待すなよ……」


 「ねえねえひいじいちゃん、いちれんたくしょうって何?」


 二人の会話を聞きながら、刑部に言われた言葉の意味を曽祖父に問い質した。ちょうど刑部が頭を抱えて会話のラリーが途切れたので、そのすきに割り込んだのである。さすがに幼稚園児には一蓮托生、という言葉の意味を理解できなかった。


 「ちびに説明するのは難しいなァ。分かりやすくいや、死ぬまで一緒だってことだな」


 「それ、プロポーズみたいだね!」


 当時の紀乃は純真無垢な子供であった。テレビでみた愛の誓いの言葉と重ねてロマンチック、と目を輝かせてしまうような。ちなみに刑部の方は、顔をしかめて二人の会話を聞いていた。


 「言われりゃそうだな。やっぱり俺のひ孫よ、呑み込みがいいな」


 まあ困ったことがあればいつでも相談してくれりゃあいい、と言って曽祖父は大分へ帰っていった。どうなっとんじゃこの時代の坊主は、と刑部は終始毒づいていた。しかし諦めたのか、家路につくころには刑部は自分で言い出したんじゃもんな、と呟き、紀乃に向き合った。


 「改めてよろしゅうな、紀乃。お前が困っとるときは、わしが助けたる」


 指切り、と差し出された小指に己の小指を絡めた。きらりと二人の間で、また何かが光った。以来十年、刑部は悪霊化することも成仏することもなく、紀乃とともにある。困っている時は助けてやる、という約束もずっと守ってくれている。


 一蓮托生の意味は、善悪に関わらず最後までともに行動をすること。最後まで、とはどこまでを指すのかはわからない。けれどもお互い、どんなに短く見積っても、紀乃の寿命が尽きるまで離れることはないと確信を持っていた。


  ……ホンマにええのか。


 だってこのままじゃ、負けっぱなしだもの。


 勝ち負けの話と違うけどな。でも、危険なことはするなよ。


 ……はい、たぶん、しない、です。


 多分じゃ許さん。じゃあ、わしからも約束事じゃ。危険なことすな、無茶すんな。いざとなったら止めるでな。それが飲めんならなしじゃ。


 わかりました。じゃあ、指切り。

 今更じゃ、おまえとわしは一蓮托生言うたじゃろ。


 一蓮托生にもう一つ、期間限定の意味が加わった。仇討ちである。運命か、偶然か。ふたりの仇の名は同じだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る