普段は堅物で厳しいバディが敵から「チャーム」を食らった結果。

御厨カイト

1日目

 

「遅い。いい大人が何しているんだ」


 始業時間ギリギリに出勤してきた俺を待っていたのはバディのそんな冷たい一言だった。確かにギリギリを攻めてはいるが、それでも遅刻はしていない。むしろ始業時間の5分前だ。遅刻じゃない。セーフセーフ。


 だが、そこで突っかかってしまうとより一層面倒臭い事になるのを知っている俺は大人しく「わりぃわりぃ」と目の前に立つバディである水瀬涼華みなせすずかに軽く謝る。


「本当に悪いと思っているのか?」

「まぁ、ギリギリセーフじゃん?いや、ちょっと寝癖が直らなくてさ。髪質でるんだよなぁ」


 そう言って俺は髪の毛を触る。水瀬は俺の頭の天辺から爪先までジロリと見つめた後、再び口を開いた。


「その程度の事であたしを待たせたのか?」

「うへー、随分厳しいねぇ」


 俺のバディである水瀬涼華。俺と同い年の26歳で、身長は大体168cmぐらい。彼女はロングヘアの綺麗な黒髪を一つに結び、一見するとまるで絵画のモデルのようだ。綺麗に切り揃えられた前髪の下には薄く赤いアイラインが引かれたスッとした切れ目があり、長い睫毛が瞬きをする度に優雅に揺れる。スッと通った鼻筋にふっくらとした唇、スラッとした肢体。ぴっしりとしたスーツに身を包む彼女は総合的に見ても、その容姿は美人だ。……美人、なのだが俺に対する当たりが強く、俗に言う堅物なのである。


「朝飯食ってないから何か甘い物ちょーだい」と頼み込むと、彼女の眉間に皺が寄る。そして、俺に近づくと右手の人差し指で俺の頬をグイグイと押した。


「いだだだっ」

「全く……馬鹿な事を言っている暇があるならさっさと準備をしろ。今日は忙しんだ」


 そう言って彼女は持っていた資料を俺の顔にベシッと叩き付ける。「何するんだよ!」と顔を押さえながら言うと「準備しろ」と更にもう一度言われた。はぁ、と溜息をついてから俺は渡された資料をペラペラとめくる。


「えーっと?今日の依頼は――」

「今日は湾岸に発生したA級1体の討伐だ。相手はどうやら人の言葉を喋り、特殊能力を持っているらしい。理解しただろ?行くぞ」

「……今読んでるところなのに」


 俺のそんな不満の声は聞こえないのか、彼女は愛用の刀を手にスタスタと事務所の玄関へと歩いていく。


「ちょ、待てよっ!」


 資料をパタンと閉じた俺は頭を掻くと、自分の机に置いてあった銃を手に持ち彼女の後を追った。そして靴を履きながら考える。今日は朝早くからの仕事らしいが……何とも糖分の足りない起き抜けにはつらい相手である。


(今日の朝ごはんはコンビニのメロンパンにするか)


 俺はまだ若干眠たい目をゴシゴシと擦りながら、水瀬の後ろをとぼとぼと付いていった。



 ―*―*―*―



 この世界に化け物が現れるようになったのはいつの事だったか。少なくとも俺が子供の頃にはもう存在していた。


 ある日、突如として現れ、人を襲い始めた化け物達。頭部から角を生やし、ギョロギョロとした大きな目と口から生えた牙が特徴的な全長2mほどの化け物やどこが胴体かも分からない、体全体が液状化している化け物など。まるでゲームに出てくるようなキャラクターのような風貌と異形さを兼ね備えたその化け物は、ホラー映画に出てきそうな化け物よりも数段怖かった。


 もちろん、初めは警察や自衛隊などが動いていたが化け物に通常の武器や兵器は効かず、日を追う事に被害は大きくなり、どこも壊滅的な状況に陥っていた。そこで、政府は秘密裏にある組織を作った。世界中のありとあらゆる分野に精通していると言われる秘密結社。彼らは警察や自衛隊などの数倍以上の戦力を持ち、化け物を倒す事を可能にした。そんな秘密結社の一つが、俺達が所属する幻影結社げんえいけっしゃだ。俺達は一応公にはされていない存在なので自分達から積極的に依頼を受ける事は無いし、他の人間に自分達の存在を漏らすのも禁じられている。


 基本的に依頼は《幻影》と呼ばれる俺や水瀬、他のエージェント達数名に渡され、それをこなして報酬を得ているのだ。当然、死ぬ危険も常に伴う。まぁ、俺達はそれに見合った報酬を受け取っている訳だけど。




 そうこう考えているうちに、湾岸地区に向かった俺達は今、依頼主から調査を任されている教会にいた。古びた壁や床、ステンドグラスなどは所々割れており手入れのされていない建物だということが伺える。建物に入る前に聞いた話では数十年前に建てられた教会だったらしく、今は信者もいなくなっており、立ち入り禁止の札とテープがあちこちに貼られている。しかし、その地下には何故か古びた遺跡があり、そこから化け物が出てきたというのだ。


「大分ボロいな、こりゃ。今にも崩れそうじゃねえか」


 俺はここに行く途中のコンビニでメロンパンと一緒に買った煙草に火を点け、吸いながら呟く。すると、前を歩いていた水瀬がピシャリと言い放った。


「おい、まだ休憩時間じゃないぞ」

「……へいへい」


 彼女の不機嫌な様子に肩を竦めながら俺は灰色の煙を吐き、教会の中を歩き回る。ギシリと音を立てる床は老朽化が進んでいる事を感じさせるには十分だ。ひんやりとした空気の中、俺達は地下遺跡の入口を探し始める。


「なぁ、水瀬」

「……何だ?」


 教会の壁に沿って歩きながら俺は口を開く。


「これが終わったら昼飯でも食いに行かね?このままいけば丁度昼時に終わりそうだし」

「行かん。一人で食いに行け」

「おいおい、つれないな。もうちょい考えるとかしてくれよ」

「それに付き合う程、私は暇じゃない」

「寂しい奴め」

「……今ここでお前の事を斬り捨てても構わないんだぞ?」


 まるで氷の刃のような冷たい視線を向けながらそう言ってきた彼女に対して俺は両手を上げる。


「わかったわかった。一人で寂しく食いに行くさ」


 そんな軽口を叩きながら俺達は教会の中を歩き回ったが、探せど探せど一向にそれらしき地下への入口が見つからない。……おかしいな。確か、聞いた話ではここら辺のはずなんだけど。不審に思い、もう一度資料をじっくりと読んでいると「おい」と横にいた水瀬に声を掛けられた。顔を上げて彼女の方を見ると、彼女は近くの壁の方を指差していた。その視線の先には地下への入口と思われる扉があった。確かによく見てみれば、そこだけ不自然な取っ手がある。恐らく壁の一部に擬態していたのだろう。


「……マジか」


 俺が呟くと彼女は頷き、先に中に入って行った。そして、数秒後また顔を覗かせると「入れ」と言うように手招きする。俺も中に入ると入口はひとりでに閉まり、先程まで漏れていた光がなくなり真っ暗になった。その直後、ポッと小さな明かりが目の前で灯る。

 よく見ると壁には一定の間隔で蝋燭が飾られており、そよ風でも消えてしまいそうな小さな炎がゆらりと揺れる度に俺達の影も揺れる。


「資料によると、どうやらこの階段を降りると遺跡の入口があるらしい。だが、当然そこにも化け物がいる可能性もあるから注意して進めとさ」

「はいよ」


 俺がそう言うと彼女は腰元に装備していたライトを取り出し、奥へと続く階段を降り始めた。俺もそれに続くように暗い階段を進んでいく。少しして、階段を降り終えると大分幅のある通路に出た。この奥に件の遺跡があるのだろう。足元に気を付けながら進んでいくと、不意に彼女が「……おい、何か聞こえないか?」と足を止めてそう言った。彼女に従い、俺も足を止めて耳を澄ませると確かに通路の奥からのっしのっしと床を歩く音とミシミシと木が軋む音が入り交じって聞こえてくる。


「……どうやらビンゴのようだな」


 俺はそう言いながら腰にぶら下げたホルスターから《幻影》専用のハンドガンを一丁取り出した。細長い銃が二丁。それを左右にそれぞれ一つずつ装着している。


 そして、彼女もまたスラリと腰に下げた刀を抜き放つと俺に話しかけてきた。


「私が突っ込む。お前は援護だけに徹しろ」

「分かってるよ。俺が接近戦苦手なの知ってるだろ?」


 俺の言葉に今度は答えず、彼女は「行くぞ」と言って通路の先へと走り出した。俺もそれに続いて走り、彼女の後を追いかける。段々と先から聞こえてくる音が大きくなってきており、すぐ先に目的の化け物がいるのは明白だった。すると、照らしていた明かりの奥に何かの影が動いているのが見える。一瞬人型かと思ったがそれにしては随分と大きく、丸っこいようだ。近づくにつれ少しずつ明瞭になってくるから答えはすぐに分かった。


「……肉団子?」


 彼女がそう零すのも分かる。俺達の視線の先にはでかい肉団子に手足が生えたような化け物がいたからだ。もう少し詳しく言うと大きな肉塊に人間のような手足が生えており、その中心には大きな口とぎょろりとした瞳が1つ付いている。こんな化け物と今から戦わなければいけないと思うと自然とやる気が削がれてしまうぐらいには気持ち悪かった。


 だが、呑気にそんな事を考えている暇は無く、敵を完全に視認した俺たちは敵の意識がこちらに向く前に歩み寄り、攻撃を始める。そして、敵が『何だ?』と言葉を吐く時にはもう攻撃の刃が喉元に迫っているのだ。


 見た目と反して俊敏な動きで水瀬の攻撃を避ける化け物。だが完全に避けきれなかったのか、目と口の間に赤い一線が刻まれた。


『いっ、いきなり何なんだ!お、お前ら何者だ!』

「黙れ。貴様に名乗る名など持ち合わせていない」


 そう言い終わるや否や彼女はまた瞬時に間合いを詰め、縦に鋭く一閃。今度は口を縦に大きく切り裂かれ、化け物は声にならない悲鳴を上げたところですかさず俺も後ろから化け物の手足を撃ち抜いた。すると、化け物はバランスを崩し地面に転がる。彼女はそんな化け物の上に乗るとそのまま剣を高く掲げ「くらえっ!」と言葉を発しながら化け物の腹部に振り下ろした。グシャッという肉が潰される音と共に中からおびただしい量の血が噴き出す。彼女はそれを気にもとめずに二、三度切り裂いた後、刀を引き血振りをした。


 ……相変わらず容赦のない戦い方をするものだ。それでも、彼女だけが持つ特殊な黒い刃の刀を片手に頬についた血を拭う彼女を見て、俺は心が躍ってしまう。俺に対して口も悪く、態度も冷たいが戦う時だけに見せる横顔を見れば彼女にのは時間の問題だった。決して俺がドМという訳では無いが、どれだけ彼女にキツい態度を取られても俺の恋の炎が燻ぶることは無い。

 ……まぁ、彼女がそれに靡くことも無いのだが。


 バディを組んでからもう4年も経つが未だに一緒に食事どころか歩み寄ってすらくれない彼女に心の中で苦笑しながらも、俺はA級のくせに化け物の傍にいる彼女に近寄った。


「お前……もうちょっと優しく戦ってやれよ」


 皮肉交じりに言うと彼女は睨みつけながらも口を開いた。


「依頼された仕事はこなすまでだ。そこに加減は必要無いからな」

「はいはい。ほんと生真面目だよなー水瀬は」


 そう軽口を叩きながら俺は彼女の体に付いた返り血を拭く布を渡す。そして、未だに小刻みに痙攣している無残な姿になった肉団子に顔を覗かせた。


『あがっ、だずげでっ……』


 血や涙、その他諸々が混ざった液状のものを垂れ流しながらそう呟く化け物。少し気の毒に思えるが、俺達がこいつを放っておくと他の人達が危ない目に遭うかもしれない。俺は化け物に対してにっこりと笑顔を作ると、ホルスターからもう一丁のハンドガンを取り出しながら口を開いた。


「悪いけど、お前を生かしておくわけにはいかねぇんだ」


 そう言い終わったのと同時に引き金を引こうとしたその時、急に化け物の瞳が怪しく眩く光り、傍にいた水瀬が淡い紫のもやに包まれる。


「水瀬ッ!」


 くそっ!油断した……!まさか、まだこんな力を残していたとは。そんな悪態をつきながら俺は「大丈夫かっ!」と叫び、彼女の元へ駆け寄る。


「あ、あぁ。私は大丈夫だ……問題ない」

「本当に大丈夫か?どこか異変とかは」


 もやが晴れた後の彼女は見たところ変化は無さそうだが、一応心配なので俺は彼女にそう問いかける。


「本当に大丈夫だ……ちょっと目眩がしただけさ」


 額に手を当てながらそう言う彼女だが、こんな時に嘘をつくような人でもないため一旦胸を撫で下ろし、一呼吸ついてから俺は往生際の悪い化け物に対して口を開いた。


「おい、てめぇ、一体彼女に何しやがった」

『……ヒャッヒャッヒャッ!そいつには今日から5、お前の事が好きになる『魅了チャーム』をかけてやった!』

「……はっ?一体何を言って――」

『それじゃあ、甘い夜をお過ごしやがれーっ!』

「あっ、おい!待てっ!」


 そう言い残すと化け物は唐突に背を向けて走り出した。追い掛けようとしたが、その途中に靄が一瞬俺の視界を覆いつくし、晴れた時にはもう姿が見えなくなっていた。


 ……逃げ足だけは早いようだな。クソッ!

 俺は小さく舌打ちをしながら手に持っているハンドガンをホルスターに戻した。


「はぁー……なぁ、水瀬。時間が経って苦しくなったりしてないか?」


 俺は後ろからゆっくりと歩いてくる彼女にそう問いかける。彼女は特に何でもないような様子で答えた。


「いや、特に何も変わっていないな」

「……そうか」


 ……ということは奴の言っていたことはデタラメだったのか?だけど、事前の資料に書いてあった「特殊能力」がソレだとしたら油断は出来んし……。まぁ、魔法に耐性がある彼女がそう簡単に食らう訳がないか。

「ムムム」とさっき化け物が言っていた言葉を思い出しながら一人頭を悩ませる俺。


「……新見にいみ

「うん?どうした?」


 そんな俺を余所にいつの間にか俺の目の前まで来ていた彼女は、少し顔を俯かせながらこちらに目を向けずに俺の名前を呼んだ。


「……煙草を一本くれ」

「煙草?いいけど……」


 俺は胸ポケットに入れていた煙草の箱から一本取り出し、彼女に手渡す。彼女はそれを口に咥えると持っていたライターで火をつけようとするがカチッカチッと火花が散るだけで一向に火がつかない。焦る彼女にそろそろ「……大丈夫か?」と声を掛けようとしたその時、ようやく煙草に火が付いた。


「ふぅー」と息と煙を同時に吐きながら、彼女はひらりと身をひるがえす。そして、動揺しているのを隠すかのように少し震えた声で言葉を紡いだ。


「……今日はもう帰る」

「えっ、お、おう。そうか、気を付けてな」


 俺の言葉に反応せず、そのまま出口の方へ向かって行く彼女。いつもとは違う様子の彼女に少し心配しながら俺はそんな彼女の後ろ姿を見送った。



 それにしても、珍しい。

 普段、吸わない彼女が吸う時は気持ちを落ち着かせたい時だけなのに。






 ……えっ、嘘だろ。






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