Days19 トマト

 今日は彼がうちで夕飯を食べていくというので、お母さんが大量にハヤシライスを作ってくれた。


「ご飯五合炊いてみたけど、男の子ってこれで足りるの?」

「さすがに一食で三合とかは食べないんで」


 我が家のダイニングテーブルに、お父さん、お母さん、彼、わたしと四人で座る。この光景もなんだか当たり前になってきてしまった。世間の男女交際というものはこういうものなのかしら。


 大きな丸いボウルタイプのお皿に、ハヤシライスを盛る。ニンジン、ジャガイモ、玉ねぎ、我が家では豚バラが入る。カレーと同じ具材のはずなのにぜんぜん違うにおいがする。


 お母さんがわたしの向かいに座った。


「はい、食べましょう」

「いただきます」


 彼が律義に手を合わせる。わたしもその隣で手を合わせて「いただきます」と言う。


「前回安いトマト缶にして失敗したから、今日はイタリアから輸入の高いのにしたの」


 お母さんがそう言うと、彼がスプーンを持つ手を止めて「えっ」と呟いた。


「ハヤシライスってトマト入ってるんですか?」

「そうよ、知らないの? 天くんたくさんお料理してるイメージだったけど」

「ハヤシライスってルーがあるじゃないですか。うちでは肉炒めてルー入れて終わりって感じです」

「まあ! 野菜は?」

「ないっすね。うち、基本的に肉どーん米どーんみたいな飯なんで」


 彼は何でもない調子で続ける。


「ミートソースも雪ちゃんのお母さんがセロリとかチョッパーでみじん切りにして手作りしてたのびっくりしたし。うちじゃ業務スーパーでレトルトの安いミートソース買ってきてどーんって感じですよ」

「天くん」


 ずっと黙って聞いていたお父さんが、重々しい声を出した。


「うちに引っ越してきなさい」

「は?」


 素で呟いてしまったようだ。彼はいわゆるガチトーンという声で言ってしまった。相手はわたしのお父さんなのに。


 しかし議員になるまで長年弁護士をして話の通じない被告人に身辺を脅かされてきたお父さんがそういうことでひるむことはない。


「体に良くない。ちゃんと栄養があるものを食べなさい。今は育ち盛りなんだから特に、栄養があるものをたくさん食べないとだめだ。うちでお母さんの料理を食べるようにしなさい」


 話が斜め上に飛んでいってしまった。けれどそんなに突拍子のないことでもない。うちの両親は彼がうちに来るたびに男の子も育ててみたかったと嘆いている。二人とも還暦を過ぎてしまったから、今から小さい子を引き取るのは無理だと思っているらしい。それで高校生の彼ならまだ将来に干渉できて育てた気持ちになれるようなのである。


 複雑な心境だ。


 わたしが男の子だったらおもしろかったかもしれないのに、と思う気持ちと、わたしは前にこの家にいた女の子の代わりなんだから女の子でないといけない、と思う気持ちと。


「……姉ちゃんに言っときます」


 彼は少し間を開けてからそう言った。けれどお父さんはその程度のことでごまかされる男ではないので、楽しい食事を台無しにしてこんなことを言う。


「君はいつもいつもお兄さんやお姉さんの話をしているがね、親御さんは何をしているんだ」


 彼が珍しく言葉を詰まらせた。ああ言えばこう言うタイプの彼も、うちのお父さんには勝てない。


 確かに、彼の親って何をしているんだろう。一応社会人のお姉さん夫婦はいるけれど……うーん、世間ではたぶんそれをネグレクトと言う。清森家の事情は早苗家より複雑骨折しているので、わたしもあまり深くは立ち入らないようにしていた。お父さんはそこをぐいぐい行くなんて、無神経なのか、職業病なのか。


「まあ、俺ももう十八で成人してるし」

「学生のうちは子供と一緒だ」

「あ、おかわりください」


 彼が空気をぶった切ってからの皿を差し出すと、お母さんが立ち上がって「はいはい、いいわよ」と妙に明るい声を出した。それで微妙な空気のまま食事は進んで、彼はお腹がいっぱいになったらとっとと帰っていってしまった。逃げたな。





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