復学と内乱【二】
そこは枯れた荒野だった。
枯れた木。
枯れた土。
枯れた空気。
荒涼としたこの世界にたった一人、アイツはいた。
「……やっぱり、お前が俺の霊核だったんだな」
「あ゛? あー……
表面がバキバキに割れた巨大な岩石に腰掛けたこいつは、歯切れ悪くそう言った。
「んで、どうしたんだ、アレン? ようやくその体を渡す気になったのか?」
「そんなわけないだろ。お前に渡したら、どうせまた無茶苦茶に暴れ回るのは目に見えている」
「ぎゃははははっ! そりゃお前……力があるのに使わねぇってのは、おかしな話だろ? パッと暴れて、パッと潰して、パッと楽しんでよぉ……一瞬を生きようじゃねぇか? え゛ぇ?」
そんな
「……考えが合わないな。俺はもっと地味に細長く生きたいんだよ」
「細長くねぇ。つっまんねぇ生き方だなぁ……」
そう言ってこいつは肩を竦めた。
「とにかく――俺がお前に体を渡すことは今後一生無い。この前、お前がやったことを考えれば当然だろ?」
こいつはシドーさんを
いや、それどころではない。
もしあのときリアが止めてくれなければ、きっと何の
「
「……『両方とも』? まるで二度もあったような言い回しだな」
確かにシドーさんのときは……こいつに命を救われた。
あのとき――俺の喉元まで迫った<|氷狼の一裂(ヴァナル・スラスト)>を避ける余力は、正直どこにも無かった。
もしこいつが表に出て来なければ、俺は間違いなく死んでいただろう。
だけど、俺がこいつに命を救われたのは、この一度だけのはずだ。
「お゛ぉ、氷遊びのクソガキのときと……後はあれだ。糞ジジイのボタンを押したときだ。確か……一周目の五千年を越えたぐらいだったか? アレン……お前、一度死のうとしただろ?」
「……っ!?」
とても……とても嫌なことを思い出した。
(そうだ、こいつは俺の霊核……。あの十数億年の記憶もしっかりと持っているんだ……っ)
……あのときの俺は、本当にどうかしていた。
五千年もの間、誰とも会わず、誰とも話さず――毎日毎日同じ生活を繰り返したことにより、頭がおかしくなっていた。
そんなときに、魔が差してしまったんだ。
「お゛ら、思い出しただろ? あの馬鹿な行動を止めてやったのも、俺なんだぜ? ありゃ本当に大変だった……。まだ『道』も通っちゃいねぇのに、お前の体を操作しなきゃならねぇんだからな。莫大な力を使ったせいで、そっから先の数億年はグッスリおねむよ……。まっ、とにかくだな――感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはどこにもねぇよなぁ……え゛ぇ?」
「……
俺はてっきり死への恐怖が、あのときの苦痛を越えたんだと思っていた。
「はっ、俺以外に誰がいるってんだぁ? 第一なぁ、人間って生き物はそんなに強かねぇ。『死ぬ』って思いが固まった奴は、思いのほか簡単に死んじまうんだよ」
「そうか、わかった……。ありがとう」
この件については、素直に感謝するほかない。
「あ゛ぁ? 食えもしねぇ、『気持ち』なんざいらねぇよ。感謝はちゃんと行動で示せ。……つぅことで、体よこせ」
そう言ってこいつは、また俺の体を求めてきた。
先ほどから既に何度もやっているこのやり取りに……少し、違和感を覚えた。
「……ずいぶんと俺の同意を求めるんだな? お前ぐらい強ければ、強引に奪えそうなもんだけど」
「馬鹿かお前は? 同意のうえで――お前の抵抗がゼロの状態で借りるのと、お前の意思を捻じ曲げて強引に奪い取るんじゃ、消耗度合が段違いなんだよ! なんてったって俺は――霊体だからなぁ……」
そう言って、こいつはどこか懐かしむように自分の右手を見た。
「へぇ、そういうもんなのか……」
これはいいことを聞いた。
以前レイア先生が言っていた通り、こいつが俺の体を乗っ取ると、凄まじく『何か』を消耗するようだ。
(つまり、そう何度も何度も易々と俺の体を奪えるわけではない……っ!)
俺がそんなことを考えていると、
「ちっ……。お゛ぃ、体を渡す気がねぇならさっさと帰れ、目障りだ」
そう言ってこいつは、羽虫でも追い払うかのようにシッシッと手を振った。
なんともまぁ自己中心的な奴だ。
「そういうわけにはいかない。今日ここへ来たのは、お前の力を借りるためだ。――わかるだろう? 魂装を習得したいんだよ」
まずは対話を試みることにした。
こいつは無茶苦茶な奴だが、決して馬鹿ではない。
ちゃんと言葉も通じるし、何より理性的な思考能力を持っている。
対話……もしくは交渉をすれば、力の一部ぐらいなら借りられるかもしれない。
すると、
「あ゛? お前みたいなヒヨッコが……俺の力を? ……ぷっ、ぎゃはははははははっ! ひ、ひぃーっ! お、おもしれぇこと言ってくれんじゃねぇか……っ!」
いったい何がそんなに面白かったのか、奴は膝を打って笑った。
「お、おいっ! 別にこれは冗談じゃ――」
「――冗談でも、笑えねぇなぁ゛っ!」
次の瞬間、あいつは俺の目と鼻の先に立っていた。
既にその右腕は大きく振りかぶられており、コンマ数秒後の衝撃は必然だった。
「お゛らぁ……っ!」
フェイントも何も無い――真っ正面からの右ストレート。
「~~っ!?」
俺は咄嗟の判断で、顔面とあいつの腕の間に剣を滑り込ませた。
完璧に防御した。
衝撃に備えてしっかりと重心を落とした。
だが――俺の体は、まるでボールの如く水平に飛ばされた。
(なん、て……馬鹿力だ……っ!?)
防御が防御として機能していない……っ。
俺は空中でクルリと回転して衝撃を殺し、なんとか受け身を取る。
同時に剣をへその前に置き、正眼の構えを取った。
「お゛いお゛ぃ……軽すぎんぞぉ!? ちゃんとメシ食ってんのか……あ゛ぁ!?」
「……ちゃんと食べてるよ」
こいつの攻撃に防御は通用しない。
だったら――攻めて攻めて攻めてっ!
攻撃の手番を相手に回さなければいい……っ!
俺は大きく空いた距離を三歩で詰めて、得意の八連撃を繰り出した。
「八の太刀――
シドーさんとの戦いを経て、より鋭くより強力になった八つの斬撃を前に奴は――大きな欠伸をした。
その直後、両手・両足・首・頭・胴体・胸――八つの斬撃が余すところなく奴の全身を撃った。
ドドリエルのときとは違い、全てしっかりと命中した。
確かな手ごたえがあった。
――だが、そのどれもがダメージとして通っていなかった。
皮膚が裂けるどころか、打撲すらも無い。
むしろ……俺の剣の方が壊れそうだった。
(うそ、だろ……っ!?)
俺が呆然として自らの剣を見つめていると、
「おいおい、そんなオモチャみたいな斬撃で……どうやって俺の体を斬るつもりなんだぁ? え゛ぇ?」
こいつは
(やっぱりこいつは、桁が違う……っ)
腕力・脚力・耐久力――全てが別次元だ。
それから俺は何度も何度も斬り掛かったが……。
こいつはまるで意に介さず、右手で軽くあしらった。
(駄目だ……っ。顔、首、みぞおち――たとえ急所に当たっても、普通の斬撃ではこいつを倒せない……っ)
だが、全く打つ手が無くなったわけではない。
俺は普通の斬撃ではない――特別な斬撃を持っている。
(空間を、世界を切り裂くあの一撃ならば、いくらこいつだって無事では済まないはずだ……っ!)
俺はこいつが面倒くさそうに欠伸をしたその瞬間を狙い済まし――放った。
「五の太刀――
だが、
「おいおいおい……っ。そんなゆっくりと振られちゃぁ……眠くてたまんねぇぜ?」
いつの間にか、こいつは振り上げた刀身をつまんでいた。
「……っ!?」
化物。
その二文字が脳裏をよぎった。
「
剣をつままれた俺に防御する
「が、はぁ……っ!?」
肺から空気が絞り出され、体中の血液が跳ね回った。
視界は明滅し、平衡感覚なんてものはどこにもない。
地べたに転がる俺を前に、こいつは楽しげに笑った。
「はっはぁ……っ! そんじゃお前の意思が弱ったところで、いただくとするかっ!」
「やめ、ろ……っ」
その直後、俺の意識は闇の中へと飲まれていった。
■
アレンが霊核に敗れたその瞬間。
彼の体に大きな異変が起きた。
黒い髪は長い白髪へと変わり、左目の下あたりには黒い紋様が浮かび上がった。
そして何より、彼の発する空気が変わった。
優しく穏やかなものから――剥き出しの剣のようなものへと一転した。
「ぎゃははははっ! チョロい、チョロいぜぇ、アレン……っ!?」
アレンの体を乗っ取り、雄叫びをあげた彼の前には――黒い拳を握り締めたレイアの姿があった。
「
音を遥か彼方へ置き去りにした強烈な正拳突きが、アレンの腹部を深々とえぐった。
「が、は……っ!?」
「お前は――いや、霊核は『完全に支配権を奪い取るまでは自由に動けない』だったな?」
二、三歩後ろへよろめいた彼は、憎悪に満ちた目を向ける。
「こ、
「
「くそ、が……っ」
そうしてアレンが意識を失うと同時に、彼の体に起きていた異変は全て消失した。
「こういう卑怯な手段は好きではないが……まぁ、ハンデだと思ってくれ。お前を本当に解放させてしまっては、さすがの私もキツイのでな……」
その後、生徒全員を代表してリアが口を開いた。
「せ、先生……っ。今のってもしかして……っ!?」
「あぁ、アレンの霊核だ。一目見たらわかる通り、正真正銘の化物さ。……全くとんでもない
そう言ってレイアは、血に濡れた右手をプラプラと見せた。
「そ、その血は……?」
「ん? あぁ……もちろん私のだよ。山を三つ平らにしたときも
そう言って彼女は軽く笑いながら、首を横に振った。
その口振りから右手の傷が浅いことを知ったリアは、ようやく一番気になっていたことを問いかけた。
「あ、アレンは無事なんでしょうか!?」
「もちろんだ。そのうち起きるだろうから、何も気にしなくていい。――ほら、そんなことよりも! 君たちは魂装を習得できるよう集中したまえっ!」
そう言って彼女は『ピィーッ!』とお気に入りのホイッスルを鳴らしたのだった。
■
「……うっ。こ、ここは……?」
ゆっくりと上体を起こすと、
「おっ、起きたかアレン」
隣にはレイア先生が立っていた。
「せ、先生……っ!? そ、そうだ……っ! アイツは――あの化物はどうなったんですか!?」
意識が
慌てて周囲を見回したけれど……特に荒れた様子はどこにも見受けられない。
「心配するな。私がきっちりと制圧した。……少し卑怯な手段を取らせてもらったがね」
先生は少し苦い顔でそう言った。
自ら『卑怯な手段』と言っているように、本意ではない止め方だったのだろう。
でも、たとえどんな方法であれ、俺の暴走を止めてくれたのは……本当にありがたかった。
「すみません、ありがとうございます」
「気にするな。元々予測されていたことだからな」
そう言って彼女はニッと笑った。
とにかくこうしてひと段落できたところで――俺は考えた。
(……『心の強さ』か)
あいつは言っていた。
『ここでの強さは心の強さ』だと。
そしてさらに『お前には覚悟が足りない』とも。
つまりあの世界であいつに勝つためには――俺が魂装を習得するためには、心を鍛える必要があるわけだ。
(でも……『心』ってどうやって鍛えるんだ?)
そんなこと、考えたことも無かった。
体を鍛えたり、剣術を磨く方法はイメージがつきやすい。
素振りをしたり、誰かに技を教えてもらったり――こんなところだ。
しかし、心を鍛えるとなると……中々に難しい。
瞑想?
それとも……なんだ?
俺がそんな風に頭を悩ませていると、
「さぁ、アレン今がチャンスだ!」
先生は突然パンパンと手を打って、はやし立ててきた。
「ちゃ、チャンス、ですか……?」
「あぁそうだ! 霊核は一度表に出ると凄まじく消耗する! 今ならば、あの化物から力をひっぺ返せるやも知れんぞ!」
「も、もう一度、アレをやるんですか?」
「当たり前だろう? ほらほら、さっさと霊晶剣を構えるんだ! この機を逃すんじゃないぞっ!」
そう言って先生は俺の手を取って、霊晶剣をギュッと握らせた。
「で、でも……っ。もしまたアイツが暴走したら……?」
「構わん。そんな些細なことは、生徒である君が気にすることではない。それに恐らくだが……今日はもう出てこんさ。霊核である以上、今のアイツには弱点があるからな。私が目を光らせている間は問題ない」
それから先生は、一つだけ忠告を発した。
「――だがな、間違っても私の目の無いところでは、絶対にアイツにかかわるな?」
「……っ」
先生が極まれに発する――硬く、真剣な声色だった。
「アレン――君の霊核は文字通りの『化物』だ。そこらにいる並みの霊核とは『格』が違うんだよ。アイツの危険性は、今しがた戦ったばかりの自分が一番よく知っているだろう?」
「……はい」
確かにアイツは……強さの桁が違っていた。
「初期硬直を――霊核特有の弱点を逃せば、私でもどうなるかわからん。……だからまぁ、魂装の修業は私の目が届く範囲でやってくれ。それならば、何度暴走しても大丈夫だ。私がきっちりと止めてやれるからな」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
その後、俺は何度となくアイツに戦いを挑んだが……。
あまりにレベルが違い過ぎたため、まともな勝負にはならなかった。
しかし、最初の一回を除いて、俺の体が乗っ取られることは無かった。
それにアイツは確かに
多分、俺の体を乗っ取ったことにより消耗したんだと思う。
(……でも、このまま何度続けてもアイツに勝つことはできない)
勝つためには『心』を強くしなければならない。
(……そうだ! 一人で考えても答えが出ないなら、レイア先生に聞いてみればいい!)
幸いなことに彼女は、霊核についてとても詳しい。
きっと心を鍛えるいい方法も知っていることだろう。
「先生、心を強くするには――」
そうして俺が口を開いた次の瞬間、
「――ちーっす、ちょっくら喧嘩売りに来ましたぁっ!」
魂装場の扉が荒々しく開け放たれた。
そこから入ってきたのは五人からなる集団。
彼らはみんな千刃学院の制服を着ており、その中には何度か校舎で見かけた顔もあった。
多分、うちの一年生だろう。
「さてさてさてとぉ! アレン=ロードルって『三流剣士』はどこのどいつだぁ?」
……どうやら彼らの目的は、俺のようだった。
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