朗読脚本不採用事件を考察する

雉撃ち爺さん、花摘み婆さんJUDGEMENT「1」

#01:朗読脚本不採用事件を考察する


この争議の論点は一点、脚本を「使う」「使わない」

被疑者は、頑として「使わない」派だったし

かなさん、星☆さんから嫌悪されてた。

後付けのような「嫌悪」報道だが、結構重要で

この誠実の化身のようなふたりから見放されたら

どんな蜘蛛の糸でも「ぷっつん」&「ぷっつん」だろう。


「使わない」ことで、オレの原稿脚本は昇華↑↑しなかったし

今、思えば彼女の「使う」選択こそが

我が汚点だったかも知れない。

「使う」選択肢、例えば『ルードヴィヒ』は混声すると

大いに盛り上がったと思う。

作家 岩永桂Ver.の『ルードヴィヒ』は少々聴き辛い。

「必死」に声色を変える場面(サチコの語り)なんざ、

「必至」に再生停止を押させる欲求が高まる。


法廷記録 ルードヴィヒの会話劇

かつての「作家 岩永桂」は「会話劇」の権化だった。

物語といったら「会話劇」みたいな。

最近は「地の文」が席巻しているし

流れに「会話文」が混ざって来ない。


「地の文」「会話文」均等にならない理由は

エッセイテイストな流れが多いからである。

エッセイに基本的には「会話」は必要ない。

エッセイ自体が壮大な己語りだからである。


雉撃ち爺さん、花摘み婆さんSERIESも

基本的にはドキュメンタリーテイストの

ノンフィクションエッセイファンタジーと銘打つ。

『ルードヴィヒ』は久し振りに書いた「物語」の原稿。

男女の会話があって然りである。

朗読脚本には成れない、非公認の一冊だ。

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