第壱話 近江今津駅 (滋賀県)

第壱話 近江今津駅 ~壱~


 朝早いこの時間だが、東京駅のコンコースは、足早に歩くビジネスパーソンだけでなく、土曜日と言うこともあり、構内の案内とスマホを見比べながら、旅行バックを持って歩く人々もいた。

 星路羅針ほしみちらしんは眠い目をこすりながら、待ち合わせの定番である〔銀の鈴〕の前で佇んで、行き交う人々を眺めていた。


 なぜ、羅針がこんな朝早くに東京駅にいるのかというと、数日前、突然幼なじみの旅寝駅夫たびねえきおがスマホの画面を見せて、面白いアプリを見つけたと言ってきたのが事の発端である。

 羅針が画面を見ると、〔全国駅名ルーレット〕とある。これのどこが面白いのかよく分からないが、旅寝は興奮したようにまくし立てる。

 要は、日本全国に鉄道駅は1万強あるが、それをボタン一つでランダムに選出するという、それだけのアプリだが、駅夫はこれを使って旅に出ようと言うのだ。


 行く行かないの押し問答を続けたが、結局羅針が折れた。子供の頃からそうだ。駅夫は一度言い出したら、絶対に折れないし、曲げることはない。

 いや一度だけあったか。二人が大学を卒業する時に、羅針の言い分を聞いて……まあそれは今は置いておこう。

 とにかく、駅夫が言うには、このアプリを使ってランダムで駅名を選出し、出てきた駅に鉄道で向かう。そこで観光したり、名物を食したり、行き当たりばったりで楽しむのだ。


 結局最終的に決めたのが、東京駅を出発地とし、最初の目的地がJR西日本湖西線こせいせん近江今津おうみいまづ駅となったことである。

 その旅が、いよいよ今日から始まるのだ。


「お待たせ。」

 真っ赤なウェアに、どこの山に登りに行くのかと言う程の巨大なバックパックを背負った旅寝駅夫が現れた。

「おはよ。ってか、そのリュック、大きすぎだろ。」

 駅夫とは真逆で、羅針は紺のウェアにハイキング向きの小さなバックパックを背負っていた。

「そうか?これぐらい必要だろ。これでも大分減らしたんだぞ。ってか、お前それだけで足りるのかよ。」

「これで充分だよ。むしろお前は何を持ってきたんだよ。」

 二人は顔を合わせるなり丁々発止のやりとりを始めるが、じゃれ合いのようなもので、いつもこの調子である。

 互いに相手の行動を指摘はするが、それ以上無理強いはしないのが暗黙のルールである。二人とも頑固なところがあり、無理強いしたところで、折れることはないからで、いつの間にか言いたいことを言って互いにスルーする、言うなれば気の置けない関係となった。


 二人が真っ先に向かったのは、全国の駅弁が取り扱われているお店である。

 所狭しと並ぶ全国の駅弁は、色とりどりのパッケージで食欲をそそる。

 その中から、二人が選んだのは、戦後間もなく売り出されたという、ロングセラーの駅弁である。東京駅の定番と言っても良い駅弁だ。

 これから全国各地で駅弁を食べる機会も増えるので、ここは出発地である東京駅の定番をということになり、二人して結局同じ弁当にした。東京の名を冠した幕の内弁当も魅力的だったが、値も張るし、今回はスルーである。


 準備万端で新幹線ホームに上がる。

 自由席狙いで、一番前の1号車に向かう途中で、カップアイスの自販機を見つけた。

「これ、買っていこうぜ。有名なやつだろ。」

 駅夫がそう言ってワクワクした顔で自販機の列に並ぶ。

「そうだけど、弁当を食べてからだと溶けるぞ。」

 渋い顔をして羅針が窘める。

「弁当の前に食べちゃえば問題ないだろ。それにチョー固いらしいから多少は保つだろうし、車内販売はないんだし。」

 そう言われてしまっては折れるしかない。羅針も内心食べたいと思っていたので、仕方ないなという顔をしつつも、一緒に並ぶ。


 駅夫の順番になり、ピスタチオフレーバーを選択した。だが、いざ決済しようとして、戸惑っていた。ICカードを読み取ってくれないのだ。

 後ろから羅針が覗き込み、脇の説明書きを読んで、駅夫にやり方を教えてやる。どうやら決済用画面を表示させないと読み取らないようで、それで戸惑っていたのだ。

 駅夫が無事に決済を終えると、続けて羅針は抹茶フレーバーを購入した。

 こういう新しい機械に弱いのが駅夫だが、いつも羅針が教えてやっている。大抵駅夫が説明を読まずに使うので、代わりに羅針が説明書きを読んで、駅夫に教えてやる。パソコンやスマホはもちろん、家電全般についても、大抵駅夫は羅針に付きっきりで教えて貰っていた。


 始発まではまだ時間があったが、すでに三人が並んで列車を待っていた。二人もその後ろに並んで列車を待つ。

「いよいよだな。」

 駅夫が興奮気味に言う。

「ああ、これからどこへ行くことになるんだか、恐ろしい反面、楽しみだな。」

 羅針は諦め半分、楽しみ半分と言った表情で応える。

「だろう。絶対楽しい旅になるって。こんなにワクワクする旅行は、絶対ねぇよ。」

「だな。」


 やがて、構内アナウンスとともに列車が入ってきた。

 この旅最初の列車は〔のぞみ3号〕、車両は最新のN700Sである。二人とも高校の修学旅行以来に乗る新幹線である。テレビやネットでは見たことがあっても、実物を目の前にすると、あの頃とは随分様変わりした車両に、否が応でもテンションが上がる。


 ドアが開くと、順序よく乗り込んでいく。目指すはE席(いい席)である。

 E席とは進行方向右側の富士山側で、車窓から富士山が望める席である。もちろん反対側のA席も〔ええ席〕と言って、海が見えたり、一部富士山が見えたりもするが、やはり、富士山をしっかりと見たいならば、このE席である。


 丁度窓枠がかからない席が空いていて、迷わず二人はそこに陣取る。

 土曜日と言うこともあり、車内は家族連れなどの旅行客とビジネスパーソンで6割方埋まっていたが、無事お目当ての席を確保できた二人は、E席に駅夫が、D席に羅針が座り、発車を待つ。


 ホームには慌てて駆けてきて乗り込む人や、次の列車を待つために並ぶ人、電光掲示板とスマホを交互に見比べている人などがいて、様々な場所からここにかいした人々が、それぞれの目的に合わせて行動しているのが面白いと、まるで子供のように、駅夫は楽しそうに窓の外を眺めていた。


 何の前触れもなく、突然列車は静かに動き出した。まさに滑り出すようである。

 時計を見ると定刻通りで、ゆっくりと東京のビル群を掻き分けるように前進を始めた。

 車窓にはすぐに有楽町の駅が現れ、東京駅をほぼ同時に出発した外回りの山手線車両を置き去りにした。


 有楽町駅を過ぎたあたりで、最近変更になったという音楽が流れ、車内放送が始まった。

「この曲どうよ。」

「どうって、違和感はあるけど、良い曲だと思うよ。」

 駅夫の問いに、羅針は素直に応える。

「たしかに違和感あるよな。まあ、これから始まる俺たちの旅のファンファーレとしては、悪くないけどな。」

 駅夫はそう言って、先程買ったカップアイスを取り出す。

「溶けないうちに食べようぜ。」

「まったくどれだけ上から目線なんだか。」

 呆れたように言って、羅針もカップアイスを取りだし、蓋を開ける。


「おっ、やっぱり固いな。少し溶けちゃったけど、動画で見たとおりだ。」

 駅夫が先にカップアイスと格闘を始めた。

「確かに、これじゃ親の敵みたいにスプーンを叩きつけるのも分かるな。」

「あんなの絶対やらせだと思ってたけど、少し溶けてもこれだけ固いんだから、買ったばかりなら、さもありなんだな。」

 二人ともスプーンを入れるのに少し苦労しながらも、少しずつ食べ進めていく。

 駅夫が選んだピスタチオフレーバーは、濃厚なピスタチオペーストと香ばしいピスタチオナッツがとてもマッチしている。羅針が選んだ抹茶フレーバーは、ほんのり苦みのある抹茶が、甘さ冷え目のクリームと良く合い、口当たりも滑らかである。

 二人とも、それぞれの味を堪能し、ペロリと平らげた。


 品川駅を過ぎて加速を始めた新幹線は、二人がアイスを食べ終える頃には新横浜を過ぎていた。

 二人はカップアイスの余韻に浸り、駅夫は車窓を眺め、羅針は楽しそうにしている駅夫を横目にタブレットで小説を読んでいた。


 品川駅で乗り込んできた乗客で、ほぼ満席となっていた車内は、話し声はほぼ聞こえてこなかったが、小田原駅に近づく頃、どこからともなく子供の声で「富士山だ」と聞こえてきたのを皮切りに、車内はにわかにざわつき始めた。


 羅針がタブレットから視線を上げると、駅夫が富士山の場所を教えてくれる。

 駅夫が指し示す先には、山の稜線の向こうに、一際高く聳え立つまだ雪を湛えた富士山が奥の方に見えていた。頭をチラチラと見せて、その存在感をアピールしているようだった。

 早速車内からシャッター音が聞こえ始めたが、絶好の撮影スポットはもう少し先なので、駅夫もただ眺めているだけである。

 小田原、熱海と過ぎ、丹那トンネルの長い暗闇を抜けて、三島を通過し、蓬莱山の向こうに富士山が顔を見せてくれると、いよいよ絶景区間だ。駅夫はスマホを、羅針は一眼を構え、シャッターチャンスを待ち構える。


 いよいよ雄大な富士山の姿が見えてきた。

 すると車内放送でも右手に富士山が見える旨のアナウンスがあった。「短い時間ではありますが是非ご覧ください。」と言う。車内はにわかにざわつき始めた。

 雲は多少出ていたが、青空が広がり、裾野までその姿をしっかりと見せてくれていた富士山は、まさに雄大という一言に尽きる。

 車内にはシャッター音が響き渡り、さながら撮影会か記者会見の様相を呈していた。


 二人も負けじと富士山撮影会に参加する。

 時速280㎞に近い速度で滑走していく車内から撮影するのは、少しコツがいる。すぐに富士山が右の方に流れていくため、画角を常に右へ右へと少しずつ動かしていく必要がある。そのうえ、架線柱や上り列車が目の前を通過していくので、被らないようにするのも至難の業だ。

 通過列車があると、どこからともなく「あぁ~」とどよめきと溜め息が漏れていた。

 そんな賑やかな撮影会はあっという間に終わった。

 車内では、早速撮れた写真を見返しているのか、仲間内や家族で上手く撮れたことを褒め合っている声や、失敗した人を慰める声が、どこからともなく聞こえてきた。


 二人の写真はというと、互いに満足のいく出来映えだったようで、窓の反射光も、ブレもなく、露出も程よく、街並みの向こうに見える巨大な富士山の雄姿がバッチリと写っていた。二人にとって最初の記念すべき思い出の写真が撮れた。


 静岡を過ぎたあたりで、二人は今朝買った駅弁を広げた。

「やっぱり駅弁にはお茶だよな。」

 駅夫はそう言ってペットボトルのお茶を一口飲む。

「コップの付いたお茶って覚えてるか。」

 羅針もペットボトルのお茶を飲みながら、もう見かけることはなくなった、コップ付きの容器に入ったお茶について駅夫に聞いた。

「覚えてるよ、ポリ茶瓶だろ。修学旅行の時も買ったし、なんなら冷凍ミカンと一緒に食べるあのお茶は格別だった。みんなはジジ臭いとか言ってたけどさ。」

「あのうまさが理解できない連中は、お子ちゃまってことだよ。」

 二人して、半世紀近く前のクラスメートを、今更ながらに腐す。


 駅弁の包みを開けると、中から昔懐かしい匂いが漂い、否が応でも食欲が湧いてくる。

「こうやって車内で食べるっていうのも良いよな。」

 駅夫は、唐揚げを頬張りながら、そんなことを言う。

「駅弁は今じゃどこでも買えるし、家でも食べられるけど、やっぱり旅先で食べるのが一番。旅先っていう隠し味がないとな。」

 トマト風味のライスを頬張りながら、羅針が応えた。

 二人は、懐かしい味のする駅弁を堪能した。

 

 名古屋を出ると、京都まではすぐだ。

 車窓の奥に、キラキラした琵琶湖が見え隠れしたと思ったら、長いトンネルに入った。すると京都到着のアナウンスが流れた。


 暫くして、列車は減速を始めたので、二人は席を立つ。

「京都か。」

 降車する列に並びながら、感慨深そうに駅夫が呟く。

「そうだな。乗り換えは0番線ホームだから、間違えないようにな。17分あるから、慌てなくても充分間に合う。」

 羅針も修学旅行以来の京都に少し懐かしさが湧いたが、念のため駅夫に次の乗り換えを教えておく。ほっておくと綱を放された犬のように、どこに行ってしまうか分からないのだ。


 やがて、新幹線は滑り込むように京都駅に入線し、次々に降車する。

 二人が降り立ったのは13番線ホーム。ここから0番線ホームに向かう。標準乗り換え時間は4分とあるが、列車の発車まで17分もあるので、初老にかかる二人でも余裕で間に合う時間ではある。

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