3章 白衣の天使

第39話 天使

 左腕と左側の顔に酷い火傷を負った僕は、退屈な入院生活を送っていた。当初は回復不可能と言われていたが、若い事もあってか、皮膚が徐々に回復しているとの事。お医者さんは化け物を見るような目で僕を見ていたが、患者をそんな目で見ないでほしいと思った。


 入院生活のルーティンは、回診から始まり、朝食、昼食、花咲さんの見舞い、夕食、夜が明けると回診が始まる。リリーから貰ったドリームキャッチャーは今も首に下げてるが、残りの5回分の安眠を安易に使う訳にはいかない。花咲さんに買ってこさせた【止め時が無い物語】と謳う小説を読んで、長い夜を凌いでいる。




「おはようございます佐久間さん」




 本を読んでいると、看護師さんが病室に入ってきた。という事は、朝になったのか。言うだけあって、時間を忘れさせてくれる小説だ。花咲さんよりもよっぽど優秀。


 


「また徹夜したの? 本を読むのが楽しいのは分かるけど、ちゃんと寝なきゃ駄目よ?」




 そう言って、体温計の電源を入れた看護師さんは、もうすっかり見慣れた顔になってしまった。おそらく、彼女も同じ事を思っているだろう。看護師さんの名前は分からないが、美人な人だ。歳はおそらく20後半。屈託の無い笑顔と、艶のある肌から察するに、人生上手くいってるのだろう。


 


「はい、体温計。測り終わったら、朝食だからね」




 体温計を脇に差し、音が鳴るまでジッと待ち続ける。最近の体温計はすぐに測り終わるので、そこまで長い時間ではない。


 それでも、この無言の時間は苦痛だ。妙にソワソワして落ち着かない。花咲さんの所為で、何か話さないと落ち着けなくなっている。




「……他にはどんな患者さんがいるんですか?」




「え?」




「いや、この病室には僕しかいないので。なんとなく他が気になって」




「みんな何処かしら悪い所があって、寝たきりの人もいるわ」




「そういう事じゃなくて……もっと、細かい部分で。例えば、何号室の何々さんは、必ず朝ベッドから落ちているとか」




「う~ん……204号室に、柏木さんっておじいちゃんが入院してるの。その人、回診の時に、いつも看護師の体の一部を触るのよ。私達看護師の間で、柏木さんはブラックリストに入ってるわ」




「随分と元気な。もう退院出来るのでは?」




「確かにね! 早く退院してくれれば、私達看護師としても安心できるのよ! あ、今の話は内緒でね?」




「話す相手がここにはいませんよ」




「でも、ほら。いつも午後に来てくれる女の子がいるでしょ?」




「来ますけど……どうして知ってるんですか?」




「毎日来るもの。良い恋人だって噂されてるわよ?」




 花咲さんが恋人……無理だな。一緒にいて楽しいけど、恋人にはなれない。飼ってるペットに愛着が湧いても、異性として意識出来ないのと同じ事だ。この話は絶対に秘密にしておこう。万が一、花咲さんの耳に届けば、面倒な事になるのは明白だ。


 そう考えている間に、体温計の音が鳴った。相変わらずの平熱。酷い火傷を負っていても健康とは、おかしな話だ。


 体温計を看護師さんに手渡そうとした時、看護師さんはわざわざ両手で僕の手を包み込むようにして体温計を受け取った。変な感じがしたが、そういう受け取り方をする人なのだろう。


 最近、人を疑うのが当たり前になってきている。善良な人であっても、僅かに見える悪を探してしまうのは、もはや病気だ。ここは病院で、今は入院生活中。何も考えず、体の回復を待つ事に専念すべきだ。


 


「今日も平熱ね。気持ち悪かったり、腹痛がしたりする?」




「無いですね」




「じゃあ、不調な所は寝不足な所だけね。そういえば、その首飾り。いつも着けてるけど、大切な物なの?」




 看護師さんが指差したのは、僕の首から下げてるドリームキャッチャー。安眠する為に大事な物ではあるが、あの一件があってから、大事な物だと言い辛い。肌身離さず持っていたいのと、遠くに投げ飛ばしたい想いが交錯している。


 


「噂の彼女さんからの贈り物?」




「……別の女性からの贈り物です」




「もしかして、意外と浮気者?」




「ただ縁があるだけですよ」




「ふ~ん。じゃあ、お姉さんとも縁を作らない? 鷺宮峯。それがお姉さんの名前。君の名前は?」




「もう知ってますよね?」




「こういう時は、改めて名乗るものよ。さぁ、君の名前を聞かせて?」 




 少し……いや、大分面倒臭い人だ。今までも、こんな風に話しては、友人や恋人を作ってきたのだろう。俗世で言う陽キャという奴だ。




「……佐久間、水樹」




「佐久間水樹さん、これからもよろしくお願いします。これで、私も佐久間さんと縁がある女性陣の仲間入りが出来たわね」




「……そうですか」




 今までの経験上、知り合った女性にマトモな人はいなかった。引き籠りに、親殺し未遂の馬鹿に、成人済みの少女と、謎だらけの姉。果たしてこの人は、新しく名を連ねるか、あるいはマトモな人として新しくリスト入りするか。そもそも、鷺宮さんと深く知り合うつもりはないし、鷺宮さんも面白がってるだけだろう。


 回診が終わりると、鷺宮さんが朝食を運んできてくれた。少量のご飯と、豆腐とワカメの味噌汁に、焼いた魚とホウレン草のお浸し。全て薄味だが、僕の口には合う。特にホウレン草のお浸しは、ただ切っただけじゃないかと疑う程に青臭い。




「美味しい?」




「薄味」




「病院食だからね」




「……どうしてまだいるんですか?」




 回診を終えたというのに、鷺宮さんは僕の隣に置いてある椅子に座ったままだ。別に僕は食べるのが早いという訳じゃないし、どちらかというと遅い方。僕が食べ終わるまでいるというなら、仕事に支障をきたすだろう。




「……いつまでいるんですか?」




「誰に言ってるの? ちゃんと名前を言わないと」




「……鷺宮さんにです」




「よく出来ました。それでは答えてあげましょう! 佐久間さんが食べ終わるまで、私はここにいます。だから、ゆっくり食べてね?」




 そう言って、鷺宮さんは微笑んだ。この押しつけがましい言葉と笑顔は、身に覚えがあり過ぎる。幸先不安だ。頼むからマトモな人であってくれ。

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