第34話 小心者

 目を覚ますと、美術館のような広い空間で僕は椅子に座らされていた。縦に長いテーブルの奥の席には、ドレス姿のリリーと、リリーの父親と、おそらくリリーの母親と思われる女性がが座っていた。周囲を見渡すと、三つの窓の前に一人ずつ黒服が立っており、出入り口の扉の横には二人の屈強な黒服が立っている。  


 


「目覚めたようでなにより。あの麻酔弾は少々効き目が良すぎてね、目覚めないかと心配したよ」




 リリーの父親は記者会見の時のような演技をしておらず、本性を露わにしていた。口では謝罪のような言葉を言ってるが、目を決して僕に向けようとしていない。一方で、母親の方は目を細めて僕の事をジッと眺めていた。リリーに関しては、俯いてばかりで表情を確認出来ない。


 とりあえず状況を整理しよう。あの注射器によって僕は眠らされ、この家に連れ込まれた。椅子の手すりと腕を手錠で繋がれてるのを見るに、歓迎されてるとは思えない。窓の前に立つ黒服の所為で外の様子は見えづらいが、外の音が全く入ってこない所から察するに、人気の無い場所にここは建てられてる。


 かなりマズイ状況だ。自分が今いる場所を把握出来ていないという事は、助けを呼べない事に等しい。そもそも、電話を掛ける隙があるかどうか。




「佐久間水樹君だったかな? 愚女の面倒を今まで見てくれたそうだね」




「……あんたは?」




「失礼なガキだな。礼儀がなっていない」




 リリーの父親が窓の前に立つ黒服に指で指示を送ると、指示を受けた黒服が僕に近付くなり、僕の顔を思いっきり殴った。成人男性のパンチは受けた事が無かったが、衝撃が強過ぎて、痛みよりも困惑が勝つ。




「私はリケ・アルバート。こっちのは私の妻であるリティシア」




「ごきげんよう」




「あぁ……どうも……それで、このもてなし方は?」




「愚女の世話をしてくれた礼だよ。我々家族が使う席に招待してあげたんだ。光栄に思え」




「そりゃどうも。で、いつ帰れますか?」




 再び強い衝撃が脳を揺らした。子供相手に容赦なくパンチしてくるとは、相当酷い奴だな。




「10日だ」




「……10日?」




「私は10日分の予定を君に狂わされた。君にはその償いをしてもらう。10日分だ」




「あいにく、僕はピアノは弾けませんよ?」




 リケは僕に殴りかかろうとした黒服を指で静止すると、元いた窓の方へ戻らせた。一瞬だけ目を窓の方へ向け、瞬間的に見た外の景色を脳内で思い返すと、この建物の外には木々が広がっているようだ。


 


「君のジョークはつまらないが、その根性は見上げたものだ」




「あんたの演技も見上げたものだったよ。父親という役を大袈裟に演じて、立派な大根役者だったよ」




「親から教育をされなかったのかな? それともそれが教育の賜物か?」




「あんたの娘さんは、あんたと違って大女優だったよ。良い反面教師だ」




「君の言葉と顔には呆れるよ。この場に相応しくないゴミクズが」




「勝手に招待したあんたの自業自得だよ。お馬鹿さん」




 こっちは二発殴られたんだ。これぐらい馬鹿にしなきゃ気が済まない。表情は余裕を保ててるが、指先のちょっとした動きを見るに、かなりイラついてる。隣の席に座っている奥さんも笑いをこらえているし、良い気分だ。


 だが、良い気分でいられるのも、もうじき終わる。こいつらは平気で子供相手に危害を加える連中だ。10日分の償いというのも、暴力によるものだろう。




「……ハァ。君のような礼儀知らずのガキは初めてだよ。私に対するリスペクトが全く感じられない」




「馬の耳に念仏ということわざをご存じで?」




「……もういい。地下に連れて行け……!」




「待ってください!」




 今まで口を閉ざしていたリリーが声を張り上げて立ち上がった。




「家出をした私が悪いんです。彼は私の事情に巻き込まれた被害者。彼には何の罪もありません」




「私を侮辱した」




「どうか寛大な心で」




「……では、今後一切! ピアニストとしての活動を止めないなら、彼を赦そう」




 リリーは今まで見た事が無い程の悲しい目で僕を見つめてくる。僕は首を横に振ったが、リリーは潤んだ瞳でぎこちない笑顔を浮かべた。




「……私は」




 駄目だ。




「……今後一切」




 言うな。




「……お父様から言われた事には―――」




「指を切れ!!!」




 僕の言葉に、この場にいた全ての人が困惑の表情を浮かべた。咄嗟に出た言葉だったが、リリーの言葉を遮る事は出来た。再びリリーが宣言をする前に、会話をもっと滅茶苦茶にしてリケを怒らせる。そうすれば、リリーはリケの奴隷にならずに済む。




「やりたくない事はやりたくないと言え! そんな見栄っ張りなジジイの人形になっていいのか!? 自分の力でピアニストにもなれなかった半端者だぞ!?」




「ガキが! お前に何が分かる!」




「分かりたくないね! あんたみたいな大人がガキみたいに駄々をこねる気持ちなんか! 無駄にプライドがデカいくせして、恥ずかし気もなく自分の娘の成績を我が物顔で語るなよ! 友達いた事あんのか!」




「ッ!? 一滴も残さず血を流させてやる……! もう二度と私を侮辱出来ないようにしてやるからな!」 




「やれよ! 小心者のあんたに出来るもんならやってみろよ!!!」




 想定通り、リケは自分の手で殴るのではなく、黒服達を使って僕を殴り続けさせた。サンドバック状態になっているにも関わらず、僕は痛みを感じなかった。痛みが入り込む余地も無い程に、余裕を失って必死なリケの姿に、愉悦を感じずにはいられない。


 でも、僕も人間だ。痛みを感じなくても、顔を何度も殴られれば、気を失ってしまう。意識を失う寸前、視界の端で捉えていたリリーが手で顔を覆いながら走り去っていった。

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