第29話 映画

 ポップコーンが湿気っている。今朝、敦子姉さんが映画のチケットを一枚ずつ僕達に配った。チケットに書かれている映画の題名は、今流行りの大ヒット映画……ではなく、全く聞いた事も無い題名の映画。チケットが発券された映画館の名前も聞いた事が無い。地雷臭がプンプンしていたが、家に引き籠っているよりは退屈しなさそうだった。


 そうして現在、僕達は自分の席について、映画が上映されるのを待っている。一応は映画館のはずなのに、売り場には誰もいなかった。ポップコーンとコーラしかない自動販売機だけがポツンと設置されているだけ。とりあえず両方買ってみたが、ポップコーンは湿気っているし、コーラは炭酸が抜けていた。無駄金とはまさにこれだ。




「あれ? 水樹君、自販機から買っちゃったの?」




「これしかなかったからね……」




「ここは持参してもいいのよ? ほら」




 真後ろの席に座っていた敦子姉さんが、僕の頬に冷えた缶コーラを当ててくる。買う前に言ってほしかったよ。馬鹿真面目に買った僕が馬鹿みたいじゃないか。




「水樹! 映画館って怖いね!」




 隣の席に座っているリリーが、その言葉とは裏腹な嬉々とした表情で僕に伝えてきた。手には缶コーラが握られている。




「あ、あの! どうして私だけ離れた席なんですか!?」




 僕達から遠く離れた席に座っている花咲さんが声を荒げた。下の方に座っている為、手に持っている物がここからでもハッキリと分かる。ポップコーンとコーラ。馬鹿がもう一人いて安心した。




「スクリーンの真正面なら、迫力が凄いと思いますよ。良い席じゃありませんか」




「じゃあ佐久間君もこっちに来てくださいよ!」




「指定された席じゃない所に座るのはマナー違反ですよ」




「私達以外にお客さんはいないでしょ!? というか木島さん! 本当に映画が上映されるんですか!? ここまで人一人として目にしてませんが!?」




「もうすぐだから。静かに、ね」




「楽しみー!」




「ある意味楽しみ」




「もうこうなったら、今から私がそっちに―――」




 花咲さんが席を立とうとした瞬間、劇場の明かりが消え、スクリーンに映像が流れ始める。どうせ僕達以外に客はいないんだから、今からでもこっちに来ればいいのに、花咲さんは自分の席に座り直した。不憫な花咲さん。


 


 短い予告編が終わると、オープニングが始まり、映画のタイトルである【インビジブル】という文字が浮かび上がってきた。


 映画の内容は、ある日突然に誰からも認識されなくなった男の物語だ。初めの内は誰からも認識されない事を利用し、好き勝手していた男だったが、次第に孤独に苦しむようになる。


 独りで道を歩く男は、行き交う人々の中で、独り佇む盲目の少女と出会う。少女は男の存在を感じる事ができ、男は自分を認識してくれる少女に歓喜した。少女は男の存在を感じるだけであって、二人が触れ合う事はない。それでも、男は少女の傍にいた。少女も、常に男が傍にいる事を許容し、二人は奇妙な関係を築いていく。


 終盤になり、少女の目が治療出来る事になり、男は自分の事のように喜んだ。治療の日、男は手術を怖がっている少女の傍にずっと居続けた。手術は無事成功し、少女は目が見えるようになる。これまで長い間、自分の傍にいてくれた男の姿を見れる事を少女は楽しみにしていたが、男の姿を見る事は出来なかった。それどころか、存在すら感じられなくなっている。


 少女は泣いた。あれだけ長く自分の傍にいてくれて、どれだけ自分を孤独から救ってくれた恩人の存在を認識出来ない喪失感に。男はどうにかして少女を励まそうとするが、その時、少女の親や知人が病室に現れた。彼ら彼女らに励まされ、次第に涙が流れなくなっていく少女を見て、男は涙を流しながら笑顔を浮かべた。


 クライマックスのシーンでは、青い海に夕陽が沈んでいく様子を男が独り眺めている場面で、映画は終わった。




 劇場の明かりが点いても、誰も動こうとしなかった。敦子姉さんはとんでもない作品を見せてくれた。   序盤の時点ではギャグ映画かと思っていたが、いざ本筋が進み出すと、最後はやるせなさがこみ上げてくる。男がどうして認識されないのか、少女がどうして男を認識出来て、やがて認識出来なくなったかは語られていない。この映画には、ありとあらゆる事を説明をする場面が一切出てこなかった。謎が謎のまま終わってしまう。


 映画館を出て、僕達は昼食を食べるべく、ショッピングセンターにあるフードコートにやって来た。各々自分の昼食を頼んだが、一向に箸が進まない。全員、あの映画の事で頭が一杯になっているんだ。




「……私、あの映画が嫌いです。あんな結末、認められません」




「私、よく分かんなかった……でも、悲しい……」




「……佐久間君は、どうでした?」




 疲弊しきった顔で、花咲さんが僕に尋ねてきた。




「……良かったと思います」




「良かったって、あの結末が? でも、主人公の男の人は結局独りになってしまうんですよ?」




「それでも、救われたじゃありませんか。大切な存在である少女を。男が笑ったのも、少女が孤独にならなくて安心したからだと思います。孤独だった男は、本当の愛を知った。少女の幸せが、自分の幸せだと」




 自分で言っていて、なんだか恥ずかしくなる。でも、これが僕の正直な感想だ。それに、主人公の男が他人事とは思えなかった。経緯や状況は違うとはいえ、彼と僕は似ている。違うとすれば、彼と同じように、大切な人と別れた後に笑えるかどうかだ。


 頼んだコーヒーに手を伸ばすと、僕の手に敦子姉さんが手を重ねてきた。その手を辿って顔を見ると、敦子姉さんは僕をジッと見つめながら微笑んでいた。




「私も水樹君と同じ想いよ」




 敦子姉さんの瞳に僕の姿だけが映っている。映画の感想の事を言ってるのだろうけど、そうじゃない気もした。でも、それが何なのかは分からない。




「……まぁ、次は明るくなれる映画にしてくださいね? せっかく皆で出掛けたんですから」




「フフ。考えておくね」




「木島さん。佐久間君の向かい側にいる私の気持ちも考えてください」




「私、遊園地行ってみたい!」




「あら! じゃあ、行きましょうか! 電車とバスを使えば、夜には着くわよ!」




「僕は家に帰って、のんびりしたいですよ。さっきから感じてる周囲の目が嫌なんですよ……」




「あら、残念。リリーちゃん、今度絶対行こうね!」




「楽しみー!」




「あ、あの……私の事、見えてます、よね? 映画の主人公みたいに、認識されなくなった訳じゃありませんよね?」




「大丈夫大丈夫。ただ単に無視してるだけだから」




「え……」




 結局一口も食べれなかった僕達は、その後食品売り場で晩ご飯の材料を買い、家で敦子姉さんの料理を食べる事になった。


 食卓では、いつものように花咲さんが話題を出し、敦子姉さんが花咲さんをいじり、不貞腐れる花咲さんの姿にリリーが笑う。僕は三人の笑い声と笑った顔を眺めながら、晩ご飯を食べ続けた。

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