第27話 才能

 今日の晩ご飯はオムライスとコーンスープ。外人のリリーに合わせたものだ。敦子姉さんが作った料理なら、味は当然美味しいはず。オムライスの卵はフワフワで、コーンスープは甘味がスッと喉を通っていくのだろう。夢中になって食べているリリーを見れば、美味しいのが分かる。僕は……あんまり味が分からない。


 食事が終わり、女性陣が入浴している隙に、僕は果物ナイフで人差し指を切りつけた。人差し指に傷が開き、ドロッとした血が出てくる。痛みは無かった。味覚と痛覚に異常が起きている。睡眠をとっていない弊害だろうか? あるいは、他の……あの悪夢の仕業か? 夢が実生活に影響するなんて普通じゃないが、僕の悪夢は普通ではない。寂しさから作り続けた幻覚は、明確な意思を持ち、悪夢という想像の世界で生きている。いつの日か、実体を持つ僕を殺す時を待ちわびている。




「どうしたものか……ん?」




 誰かの指が、僕の頬を押してきた。振り向くと、いつの間にか僕の隣にリリーが立っていた。着ている服は敦子姉さんか花咲さんのだろうか、全然サイズが合っていない。僕が子供の頃に着ていた服は、両親の事を思い出しそうになってしまう為、もう捨ててしまっている。こうなる事を知っていれば、捨てずに済んだが、4月頃の僕が予想出来る未来じゃないか。


   


「どうしたの?」




 黙って僕の事を見ているリリーに尋ねると、リリーは手に持っていた櫛を僕の太ももの上に置いた。




「ミズキ、カミ」




「とかせって? 男の僕より、敦子姉さんか花咲さんにやってもらいな」




「イヤ」




「二人が嫌い?」




「スキ。デモ、ミズキ、ダイスキ」




 変に懐かれたもんだ。こんな僕の何処がいいんだか。まだ10代なのに白髪があるし、口も態度も悪いし、入浴は敦子姉さんの手伝いがなければ出来ない僕の何処が。大体、髪の毛をとかした事なんて無い。髪の毛は女性の命だと何処かで聞いた憶えがある。


 太ももの上に置かれた櫛をリリーに返そうとすると、途端にリリーは泣きそうな表情になり、地団駄を踏み始めた。しっかりした子供だと思ってたが、ある意味でしっかり子供だ。


 


「……分かったよ。じゃあ、ソファに座ってて」




「ッ! アリガト!」




 リリーは満面の笑みを浮かべながら、ソファへと走っていった。それとほぼ同じタイミングで、入浴を終えてきた花咲さんがリビングに入ってきた。丁度いい生贄がやってきたな。




「リリーの髪をといてやってください。じゃ、よろしく」




「え……?」




 花咲さんに櫛を手渡し、リリーに気付かれる前にリビングから出ていった。リビングから出ると、聞いた事も無い言語で怒り狂うリリーの声と、負けじと泣き言を叫ぶ花咲さんの声が廊下に響いてくる。仲良くなれたようでなによりだ。


 脱衣所に行くと、シャツとズボンの裾を上げた敦子姉さんが僕を待ち構えていた。服を脱ぎ、敦子姉さんの肩を借りて浴室に入り、バスチェアに座らされる。足が一つ動かせないだけで、自分で風呂にも入れなくなるなんて不便なものだ。




「今更言うのもあれだけど、水樹君は恥ずかしくないの?」




「別に」




「私としては、恥ずかしがってる可愛い所も見たかったなー」 




「卑しい事はしていないんですから、恥ずかしさなんかありませんよ」




「じゃあ、卑しい事する?」




「しません。早く終わらせましょうよ。流石に花咲さんが可哀そうなので」




「ここまで響いてきたわよ。随分リリーちゃんに気に入られてるみたいね、水樹君」




「目線が合うからでしょうかね? よく分かりませんが」




 敦子姉さんはシャワーのお湯で僕の髪を濡らすと、シャンプーを広げた手で髪を泡立たせていく。丁寧な手付きで、余すところなく。他人に髪を洗ってもらうのは、自分でやるよりも気持ちが良い。リラックス出来るからだろうか?


 


「あ、そうだ。リリーちゃんについて、少し分かった事があったわ」




「それで?」




「リリーちゃん、結構な有名人らしいの。まだ11歳なのに、コンサートを開催すればすぐに売り切れになっちゃうくらいの将来有望なピアニスト。可愛い容姿とは裏腹に、ピアノを弾く姿は魔王とまで呼ばれているみたい」




「将来有望、ね……」




 才能というものは、つくづく恐ろしいものだ。才能の無い者と才能がある者の差は、単純な努力だけでは縮まらない程に遠い。ピアノに限った話じゃない。他の音楽や、スポーツ、ありとあらゆる事に才能というものは存在する。才能が無い者の結末は、挫折か、妥協の二択。


 逆に、才能がある者の結末は、輝かしいスターの道、教科書に載る偉人など、華やかなものだ。だがその結末に辿り着けた者は、努力し続けた才能がある者だけ。才能は万能じゃない。努力を怠れば、才能を生かす方法を忘れてしまい、宝の持ち腐れになる。


 リリーはまだ11歳。11歳の彼女は、生まれ持った才能に邪魔をされ、自分の人生を歩けずにいる。逃げ出してきたのが良い証拠だ。年齢や逃げ出した理由なんか関係ない。逃げたという結果が重要だ。本気で打ち込んでいるのなら、どんな苦難や壁にぶつかっても、諦めずに立ち向かう。


 


「……敦子姉さん」




「ん?」




「例え良い結果に繋がるとはいえ、他人の人生に干渉するのは駄目でしょうか?」




「水樹君は善悪で物事を決めるの?」




「……ありがとうございます」




 入浴を終え、着替えを済ませた僕は、リビングに戻った。未だにソファでは、リリーと花咲さんが言い争っている。




「リリー」




 僕がリリーの名を呼ぶと、彼女は一瞬笑顔を浮かべたが、すぐに眉間にシワを寄せた。花咲さんを身代わりにして逃げたのを怒っているのか。当たり前の事だな。


 怒ってるリリーの顔を真っ直ぐと見つめながら、僕は自分の太ももを二度叩いた。リリーはしばらく考え込み、僕の意図に気付くと、花咲さんの手から櫛を奪い取って、僕の太ももの上に座り込んだ。




「前もって言っておくけど、僕は経験が無いから凄く下手だ。痛い思いや、髪の毛が何本か抜けるかもしれない。それでもいいか?」




「ダイジョブ!」




 リリーから手渡された櫛を握り、僕が思う髪のとかし方をする。ただ髪を櫛で流しているだけで、本当に出来ているかは分からないが、リリーは嬉しそうにしていた。ソファから僕達を睨んでいる花咲さんとは違い、幸せそうな顔をしている。




「リリー。君は僕の事を知らない。知っていけば、きっと嫌な思いをするだろう。それでも、僕は君と友達になれる事を願うよ。ようこそ、佐久間家へ」




 リリーに、ピアノを弾くだけが人生じゃないと思わせる。他人に決められた人生じゃなく、自分の人生を自分自身で決められるように。

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