明日と暗日。

真上誠生

第1話 加茂哲雄

『あす』を明るい日と書くなんて誰が決めたことなんだろうか。僕にはその文字を決めたやつが心底幸せなやつだったんだなと嘲笑を浮かべることしかできなかった。


 ただ生きるのに精一杯、それ以外の物に手を出す余裕なんてない。そんな日々が明るいだなんて到底思えなかった。世間の人々は、皆明るい日々を過ごしているのだろうか。


 お先が真っ暗な僕にとって、あすは暗日あすでしかない。なぜなら僕は本日、バイト先であるコンビニを解雇になってしまった。そんな僕に与えられたのは一ヶ月の有給休暇。その休みが終わるまでの間に次の職を探せという話だ。


 コンビニは僕に有給休暇を与える不利益よりも、居残る方が不利益になると判断したのだ。そして、それが正しいことを僕は理解している。今までどれだけコンビニに迷惑を掛けてきたことか両の手では数えきれない。


 遅刻は絶えず、客への対応もうまくできず、挙句の果てに発注ミスもした。店に300個のサンドイッチが来てしまった時は、店にいることがいたたまれなくなり辞めようと思った。それでも、生きる為には皆に蔑まれながらもすがりつくしかなかった。結局は辞めさせられたが、自分から辞めていれば有給休暇が出なかったと考えれば判断は間違ってなかったのだろう。自尊心は擦り減ったが、元々あってないような物だ。プライドなど、とうの前に捨てている。生きるのに一番無駄なものだ。


 後、何年こうやって過ごしていくのだろう。安月給で滑り込みの生活だ。自分の貯金と今の年齢を考えると口から大きな溜息が出た。


 溜息を目で追う。溜息を吐くと幸せが逃げるという。ならば、あれには幸せが詰まっているはずなのだ。だけど、それはどうしても幸せに見ることはできず、なにやってんだろという自虐からの失笑が部屋の中に響いた。

 現実逃避をしながら染みのある天井をぼんやりと眺める。また職探しか、と億劫な気持ちを抱えながら。 

 ふと、これで職を変えるのは何回目だろうと思い、右手の親指から順に指を折って数えると薬指を折ったところで止まった。


 まだ両手を使わなくて済んでいるという安堵と、次のバイト先を見つけなければいけないという焦燥感が同時に胸の中で渦をまき、どういう気持ちになればいいのかわからなくなってしまった。

 言えることはできるならもう働きたくないという気持ちが大きくなっているのを強く感じているということだけだった。


「……ちょっとだけ休もうかな」


 ぼぅっと天井を眺めながら、無意識に呟いていた。多少は貯金があるはずだ。それで仕事をせずに過ごそう。最悪、生活保護も視野に入れておくとしよう。実家の両親には勘当をされている。親を頼れないと市役所に説明すれば少しばかり受給の後押しになるはずだ。

 そこまで考えると、何もする気がなくなった。いざ暇になると、頭の中には色々なことが浮かび上ってくる。ただ、目の前のことだけを追うことだけしかできない僕にとって考える時間があるというのはつらかった。ついつい、思い出したくない過去のことまで思い出してしまう。

 煤で汚れた天井がぼやけ始め、鼻の奥でつんとした痛みを感じた。自分が泣いているのだと気付くのに時間がかかった。まさか、泣くだなんて自分でも思っていなかったからだ。

 脳裏に、過去の記憶が蘇った。


 最後に明るい未来があると信じたのはいつの頃だっただろうか。考えても思い出せないところを見るに、子供の頃にはそんな物なんて欠片も残っていなかったに違いない。

 子供の時から僕は失敗ばかりを積み重ねてきた。それで、僕は気付く。周りの皆と僕は違うのだと。皆の当たり前が僕の当たり前ではなかった。あまりにも勉強ができなくて、周りのみんなにバカにされてしまい癇癪を起こしたこともある。その時のことを思い出すと今でも気分が悪くなる。

 腫物に触るような皆の目、それが二十年経った今でも脳裏にこびりついてしまっている。僕のトラウマだった。

 それからも出来ないことは増え続けていった。頑張りが足りないと親や先生に言われたが、どう頑張ったらいいのか正解がわからないのに頑張りようもなく失敗は増え続けていった。

「頑張るって何?」

 僕は純粋な疑問を親や先生に投げかけた。だが、この人たちから返って来たのはできるようになるまでやることだという。できないのは頑張っていないからだと。

 必死で、食らい付こうともがいている。それを頑張るとは言わないのだろうか? 僕は自分と世間の皆との間にずれがあることに気付いた。そして、この世界が僕には向いていない世界だということにも。 

 子供の頃の僕は生きることがつらくて、その生きることという行為自体が自分にとっての矛盾だと感じていた。

 なんのために生きているんだろう。日々答えのでない問を自分に投げかける。

 未来に夢もない。──いや、夢はないが願いだけはあった。皆と同じ日常が欲しい。ただそれだけが僕の願いだった。

 だけど、残酷にも願いは叶うことはなかった。先生からは見放され、クラスメイトからも見放され、ついには親からも見放されてしまった。

 この世界に僕のいる場所なんてなかった。だから死んでもいいと思った。だけど、それもできなかった。

 生きる意味も見いだせないのに、死ぬことが怖かった。だから、自分が死ぬ意義を見つけられないからだと、誤魔化しながら生き続けている。

 結局その先二十年、生きる意味も死ぬ意義も見つけられずにのほほんと生きている。何もできない癖にやたらと健康な体が妙に憎らしい。


 どうして、僕は生まれてきたんだろう。なんのために生まれてきたんだろう。

 そんなことを考えながら僕はまぶたを閉じ、濡れている目の端を拭い続けた。

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