強要されておいでなのだわ……
首都の貴族街の中心部に、ひときわ大きな屋敷がある。カルネウス侯爵邸だ。
マデリエネは、自分の寝室で、手鏡を見ながらため息をついた。
陶器のような滑らかな肌に、薔薇色の頬、星のようにきらきら輝く黄金の髪をした可愛らしい美少女がそこに映っている。
——殿下はどうしてわたくしをお気に召さなかったのかしら……。
お気に召すべきなのに。マデリエネはそう思った。
「フェーリーン公爵令嬢とはいえ、お相手はわたくしや殿下の七つも年上だとおうかがいするわ……」
かたん、と手鏡をテーブルの上に置いた。
おかしい。何かがおかしい。アルヴィッドの妃はマデリエネだと言われていたはず。
ああ、そうだ、と思いつく。
「フェーリーン公爵に強要されておいでなのだわ。アルヴィッド様かわいそう……」
可憐な顔に、ひとすじ涙がこぼれた。そのあと、少女は顔を上げた。
「アルヴィッド様……、このマデリエネのほうが
この令嬢はカルネウス侯爵令嬢マデリエネ。名門であるカルネウス家の令嬢で、国王兄弟のいとこにあたる。王弟アルヴィッドと同い年だった。
◆
母の鋭い声が響く。
「もう話したくない!」
「ごめんなさい。申し訳ございません」
はあ、と母は額に手を当てた。
「国王じゃないなんて、ありえない」
「申し訳ございません!」
「何で軽率に縁談を受けるの。あなたに努力って概念はないの……? この間、陛下のご寵愛を受けたじゃない!」
ご寵愛、と心底震えながらイレイェンは答えた。
「でも、国王陛下は、ヴェイセル様は、先日、お妃様をお迎えになられましたわ」
「略奪なさいよ! あなたならできるでしょ!?」
母は爪を噛んだ。
イレイェンは身の置き所のない気分になって、縮こまって震えた。
夢だ、とイレイェンは気づく。イレイェンもさすがに王妃になることはあきらめて、縁談を受けたことがあった。素敵な男性だったから、縁談を進めようとした。うすうすイレイェンと実母の関係に疑いを持っていた父も賛成した。
だが、いまとなって見ればもう、母は、娘が王妃になることは不可能だという簡単な現実さえ見ることができなくなっていたのだと思う。
そのときのイレイェンは、恐怖に凝り固まり、母の言うことを絶対のものとして受け止めていた。
「か、かしこまり、ました。そういたし、ます」
略奪、しますから、許してください。
お腹を蹴られた。
『ぇさま』
「略奪しますから、許して!」
どんどん、とお腹の上で何かが飛び跳ねている。母がやはり殴っているのだろうか。
「ねえさま」
「本当に、ヴェイセル様を略奪してきますから!」
「ねえさま~~!!」
はっ、と目を覚ますと、自分のお腹の上に弟のテオドルが乗って大はしゃぎしているのを見た。
ひどく安心する。
周囲を見回すと、ここはフェーリーン公爵本邸、つまり実家の居間だった。ああそうだ、窓辺のソファに座って昼寝していたのだ、と思いだす。
ほっとため息をついた。
「人のお腹の上に乗っちゃダメじゃない」
弟を抱き上げてそっと下ろすと、たまたまそばにいたテオドルの乳母が言う。
「お嬢様こそ、略奪愛だのなんだのという寝言を言うのはやめてくださいまし」
顔を真っ赤にする。寝言を決められる人がいたら超人だ。
略奪愛も不倫も知らない弟が、イレイェンの袖を引く。
「ねえさま! あそぼ。海賊と騎士ごっこ。ねえさま海賊ね!」
「……はいはい」
体を起こして立ちあがると、弟からご丁寧にも海賊っぽい帽子を渡された。
弟はおもちゃの木の剣を持っている。だが、イレイェンは武器になるようなものを渡されなかった。
「素手で戦えってこと?」
「海賊は騎士とはちがうから武器ないもん」
「ぬぅ」
海賊をやっつける騎士・弟が真剣におもちゃの剣を構えている。こちらも拳骨を作る。
「この国をへなちょこにする海賊め! かくごぉぉぉ!」
弟はおもちゃの剣をおおきく振りかぶった。ここでやられる演技をしなければならない。
イレイェンは「ぐっ」、と膝をついた。
「ぐはっ」、と口から血が出るふりをする。
「何、何だとっ、何だこの騎士は! 七つの海を支配してきたこの私に、勝っただと……!?」
そして倒れる。弟は大満足の歓声を上げた。
こんこん、とノックの音が聞こえ、身体を起こす。
使用人が急いで入って来た。口をぱくぱくと動かしている。
不審に思いながら
「どうしたの?」
「で、でん、で、で、で」
「落ち着きなさい」
「殿下でございます!」
先日婚約を取り交わし、婚約内定となった相手、アルヴィッドが待合室で待っていた。
イレイェンはあっけにとられた。
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