【自主企画】極上の不健全《エンタメ》を魅せてください

続セ廻(つづくせかい)

ご挨拶と、まえがきについて補足 あるいはあまりにも蛇足

僭越ながら自主企画「極上の不健全【エンタメ】を魅せて」

https://kakuyomu.jp/user_events/16818093078773543966

を開催いたしました。


早速エントリー頂いている作品がありまして、主催者として大変嬉しく、御礼申し上げます。

是非、書き手の方々が心血を注いで磨き上げた不健全なエンタメ・テクストを共有し、改めてテクストの中毒性を再認識できましたら幸いです。




さて、企画内で使用している「エンタメ・テクスト」という単語について、本項で私なりの解説(というには不勉強すぎて蛇足)をさせていただきます。


「作者の死」という概念があります。フランスの哲学者、ロラン・バルトが発表した論文です。「物語の構造分析」という著書に掲載されております。

原文は私のような素人には難解で、他の方の解説を拝読するなどして私なりに理解したのは「読書とはテクストと読者の対話である」ということです。


言葉とは生き物であり、時代、文化、背景によって変化し、更に読み手本人の今まで触れてきたものによってその質量は変化します。テクストを鑑賞しているとき、読み手は自分の中に蓄積された言葉の意味を絶え間なく引き出し、読み手自身の中で織り上げていくのではないか。

(注:「作者の死」の主題は、当時の批評の仕方というものが、批評家が作者を理解しているかのように振る舞うことへ、疑問を投げかける事にあるのですが)


さて、書き手である私には数多の欠点があります。一時期、それが及ぼす作品への影響、ひいては読み手の読書体験への品質の低下について悩んでおりました。

その悩みを一蹴してくれたのが「作者の死」という概念です。(私の悩みとその後の考え方についてはここでは割愛)


ロラン・バルト氏は著書の中で文章のことを「テクスト」と称します。

小説、詩、短歌、歌……。全て書き手によって織られた「テクスト」です。ですから、私はロラン・バルト氏に倣い「テクスト」という言葉を用いることにいたしました。




今回の企画では更にエンタメをテクストに冠しています。


怒り、悲しみ、恐怖、孤独、エロス、死、裏切り、暴力、病、虐待、失望、殺意……。


これらは健全でしょうか? いえ、どちらかというと不健全のグループでしょう。


しかし、これらを含んだエンタメは時につらくるしく、からにがく、読み手に生を実感させる力があるのではないでしょうか。

そんな不健全な味を含んだ、読み手の脳を焼くよう磨き上げられた《エンタメ・テクスト》との出会いを楽しみにしております。


長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。




続セ廻

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