三 愛しの小夜

  三日後の卯月(四月)六日。快晴の日の昼前。

 石田が吉原の吉田屋に現われて玄関の取り次ぎの正面にある帳場に挨拶した。

「私は石田と申します。主の幸右衛門殿に、先日の件、無事に解決したので、石田が金子を届けに参りました、とお伝え下さい」

 石田は、出てきた主の女房の美代と手代の富吉に挨拶した。

 美代は一目で、背丈が六尺近い少年の面影を残した好青年の石田を気に入った。

「ささ、お上がりくださいまし。お待ちしていましたよ」

 笑顔でそう言う美代の声を聞きつけ、奥座敷から主の幸右衛門と番頭の佐平も出てきて笑顔で石田を奥座敷へ招いた。石田が幸右衛門に導かれて奥座敷へ歩くと、廊下を拭き掃除している女も石田を見て笑顔で挨拶した。何処か見覚えある懐かしい面影の女に、妻を亡くして五年になる石田は何となく心暖まる思いがした。


 奥座敷に入ると、石田は美代が座布団を勧める間も与えず畳に正座し、

「これを届けに参りました。すぐ、お暇致します。

 礼金は頂きました故、取り立てた十六両です。お確かめ下さい。

 そしてお預かりした花代取り立て証文。

 御上が許可した、花代取り立て承諾証文です」

 と言って、目の前に座った幸右衛門に、十六両の紙包みと、幸右衛門が石田に渡した花代取り立て証文、そして、北町奉行所の与力の藤堂八郎がしたためて捺印した花代取り立て承諾証文を渡した。

「これらの証文があれば、後々揉める事はありませぬ。

 大切に保管なさって下さい」


 花代取り立ての行き届いた手筈に、幸右衛門と美代、そして番頭の佐平と手代の富吉は感服した。

「十六両、確かにいただきました。ふたつの証文もいただきました」

 幸右衛門は紙包みの金子と証文を確認してそう言った。

「では、これにてお暇致します」

「お茶も入れませんで、申し訳ありません」と幸右衛門。

「気にかけて頂き、忝く存じます。仕事ですので気遣いは御無用にお願いします」

 石田は主たちに深々と御辞儀してその場を立った。



「ところで、あの女御は御女中ですか」

 奥座敷を出た石田は、廊下を拭き掃除している女を見つめた。女は実に手際よく拭き掃除している。並みの女ではこのような無駄のない動きを行えぬ。尋常の女には思えぬ。ひょっとして武芸を嗜んだ武家の娘か。動きだけでなく姿と面影が佐代に似ている。石田は、今は亡き妻の佐代を思いだし、気づかぬうちに可愛い下女らしき女に一目惚れしていた。

「親の借金がかさみ、借金の形でここに奉公している下女です」

「いずれ花魁になるのですか」

 石田は、妻に似た女を花魁にしたくなかった。

「本人にその気があればそうしますが、今のところその気はありません。

 下女として奉公し、年期が明けたら上州の国元へ帰るとのことです」

「借金は幾らですか」

「利息も入れて二十両です。一年に返せるのが利息も入れた三両ほどですから、七年はかかります・・・」

 幸右衛門はそう言いながら、美代とともに目を伏せた。


「如何致しました」

 石田は、幸右衛門と女房の美代の態度が気になった。

「口入れ屋に下女を斡旋してもらいましたら、借金付きだと言われました。

 すぐさま口入れ屋に女の借金を払って、女を引き取りました。

 借金の形に売られたも同然でした・・・」


 幸右衛門殿たちは下女に好意的だ・・・。石田はそう思い、

「その借金、私が肩代りしたら、女を自由にして下さりますか」

 と己が思ってもみない事を口走っていた。

「もちろんです。しかし、会ったばかりの女に、なぜ、そこまでなさるのですか」

「人助けとお思い下され。実は・・・」

 石田は浪人となった経緯と、妻を病で亡くした事を語った。


「そうでしたか。亡くなった御内儀様に小夜が似ていたとは・・・・。

 それではいっそのこと借金を肩代りして、小夜を御内儀になさいませ。

 下女の名は小夜です。生娘です」

「そう言われても二十両はすぐには用立てできませぬ。しばし時がかかります」

 そう言ったが、石田は非常時に備えて十五両の蓄えがあった。これが無ければ、石田のみならず仲間四人は、請け負い仕事が無くなった折に暮してゆけなくなってしまう。

 石田は正直にその事を幸右衛門に話した。


「では、こうしましょう。その十五両を私がいただいて、残りの五両は、私どもの見世の花代取り立てでお稼ぎください。そして余裕が出た折に、残りの五両を私にくださいまし。

 石田様は、小夜の借金を全て肩代りにしたことにして、小夜を御内儀になさいませ。

 こちらに一部屋設けます。そこで寝泊まりして始末を請け負ってくださいませんか」

 我ながら良い考えを思いついた、と思う幸右衛門に、美代も納得して頷いている。


「幸右衛門殿のお言葉、私は大変うれしく思います。

 なれど、私には浪人となって以来、苦楽を共にしてきた仲間がいます。

 この者たちを見捨てる振る舞いはできませぬ。

 始末がありました折は、私どもに知らせて下さい。ただちにこちらに参ります。

 それと、小夜殿とは、夫婦になるか、まだ話おうてもおりませぬ。

 いきなり御内儀と言うても小夜殿は・・・」


「私は旦那様の御内儀になりますよっ。

 私、旦那様に一目惚れしましたっ」

 小夜は満面の笑顔で廊下の先から石田を見ている。小夜は廊下を拭き掃除しながら、石田と幸右衛門の話を聞いていた。小夜の耳は特別だった。

「小夜もああ言っています。急ではございますが、できることなら、今宵は石田様と小夜の祝言をしとう存じます。いかがでしょうか」

「小夜殿は如何様に思うておいでですかっ」

 石田は廊下の先にいる小夜に大声で尋ねた。幸右衛門殿は駆け引きしている。私をここに住わせ、私を石田屋の始末屋にしたいらしい。私が断れば今後の始末は他所へ頼むと言うやも知れぬ。始末は大きな稼ぎだ。仲間のためにも失いたくない仕事だ・・・。


「私は、旦那様がここに居てくれたらうれしいけれど、事情があるなら仕方ないです。

 通いでもいいから私の旦那様になって、私を御内儀にしてくださいっ。

 実は・・・」

 石田が石田屋に現れた時、すでに小夜は石田に一目惚れしていた。そして今、小夜は借金を肩代りする石田を旦那様と呼んで石田の女房を名乗り、そのまま石田屋に居座る気でいる。

「わかりました。小夜殿がそう言うなら、私が通って参りましょう。

 それでいいですね」

「はあい。旦那様っ」

 小夜が再び満面の笑顔になった。

 石田も悪い気はしなかった。むしろ可愛い小夜に好かれてうれしかった。

 石田は、武家の仕来りなどに拘らぬ小夜の好きなようにさせようと思った。亡くなった妻の佐代も、仕来りなどに拘らぬ、こうした自由気ままな暮らしを望んでいたのではあるまいか・・・。石田は、己が意地を通したばかりに名が災いして浪人になった事を、心の底から、今は亡き妻の佐代に詫びていた。


「では石田様はいったん隅田村にお戻りになり、祝言に列席するお仲間を連れてお戻りください。

 まもなく、昼四ツ半(午前十一時)です。皆様、こちらで昼餉をともにし、その後、祝言という段取りにいたしましょう」

「わかりました。そのように致します」

 妙な事になったと思いながら、石田は穏やかに幸右衛門を問いただした。


「しかしながら、幸右衛門殿は、どうしてそこまで私に良くして下さるのですか」

「石田様に私どもの専属の始末屋になって欲しいのです。そして、ゆくゆくはこの見世の警護もお願いしとう存じます」

「わかりました。こちらの今後の始末、全てを引き受けます。

 そして、日々の警護とは参りませぬが、警護の必要がある折は、是非とも我らが警護致します故、御安心下さい。

 では、隅田村に戻って仲間を連れて参ります」

 石田はそう言って石田屋を出た。

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