第17話 上官家の苦衷

 上官景砂はすっと息を呑んだ。上官双晶が菱家襲撃を目論んだことに対してではなく、その素振りを一切見せないことに。

「ですが、この件は私一人だけが画策したものではありません」

 と、上官双晶が相変わらず何事もなかったかのように続ける。その瞬間、上官景砂の脳内は再び思考を許せる状況ではなくなってしまった。

「まさか、上官当主の他にもそれを計画した者がいるのですか?」

「ええ。と言うより、菱家のことに関しては、私が首謀したのではありませんから」

「では、首謀者は誰なのですか?」

「もちろん、百里玄武げんぶですよ。百里家の当主であり、雲渓大陸での覇権を握っている人物です」

 百里玄武、の名を聞いた瞬間、上官景砂は聞き覚えがあるような気がした。だが、その思い出しそうになっている記憶が果たして定かなものなのかを考えるほどの余裕まではまるきり持ち合わせてはいなかった。

「その方はなぜ菱家を襲撃するよう画策したのですか?」

「それは当然、菱家が大事だいじを起こすのを防ぐためですよ」

「?」

「雲渓大陸の者ならほとんどが知っていますが、菱家は長年野心を抱えているのです。それが、菱家の勢力を少しでも大きくする程度ならまだいいのですが、彼らは雲渓大陸の全てを支配することを目論んでいます。そして、百里家と我々上官家は先導立ってそれを何とか食い止めようとしているのです」

 だが、上官景砂は相変わらず何も理解できていなかった。というより、そもそも状況理解の前提が何一つ理解できていなかったのだ。

「上官当主、申し訳ないのですが、私にはさっぱり……」

「ええ、構いませんよ。あなたは今記憶を失っているのですから。ですが、いつの日か記憶を取り戻した暁には、きっと私の言葉の意味が分かるはずです」

 上官双晶はそれだけ言ってから、上官景砂の部屋を出て行った。彼女には、ただ悶々とした陰鬱さだけが残されてしまった。それを追いだそうとするかのように、彼女もまた部屋を出た。

 部屋を出て少ししたころ、上官景砂は偶然にも菱珪玉の姿を見かけた。彼はただひたすらに遠く、おそらく菱家の方角を眺めているだけだった。

 彼に惹き込まれるように、その姿を眺めていると、突然彼女の視界に走って転んだ、紫紺の服を身に纏った男の子が現れた。

(上官家の中は走ってはいけないはずでは……?)

 上官景砂が不思議に思っていると、その男の子はゆらりゆらりと立ち上がって、彼女を見つける。それから、彼女を見つめたまま、小さな歩幅でその眼前にまで歩いてきた。

「あ、また会ったね。君は確か……百里家のお嬢様だったよね? 久しぶり」

 と、男の子は無邪気な声で問いかける。

 上官景砂は「この子は人違いをしているんだな」と思っていたのに、その首だけは彼女の意思とは異なり、はっきりと縦に振ったのだった。

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