最強爺さん、敢えて死して異郷の地にて武の極みを求む

けもさわこういち

第1話 プロローグ 老いたる者は後を濁さず

「儂も老いたの……」


 ……此処はとある武術の道場、

其処の中心で齢90を超える糸目の老人が、

正座をして何処ともない場所を見て、一言漏らした。

この老人、金田 連十郎は13の頃から、力を求め武術の道へと足を踏み入れ、

己が求める武の極みを目指し、ひたすら修業を積み、研鑽を重ね、あらゆる戦いに挑んだ。


そして、齢20を越える頃には、表のあらゆる武術において無敵不敗を誇り、

更に、齢30を越える頃には、負ければ死の裏闘技場でも負け無しの強者となった。


 しかし、それでも金田 連十郎は満足せず、

ある時は、人を八人食った巨大ヒグマ相手に単身で挑み、拳の一撃で勝利を掴み取り。

またある時は街を襲った巨大なアフリカゾウ相手に単身で挑み、僅か10秒の戦いの末に勝利を掴み取り。

更にある時は、とある街にはびこる巨大マフィア組織に対して一人で挑み、三日でその部下もボスも全員叩きのめした。

だが、それでも彼の求める武の極みに達する事は無かった。


 彼の求む武の極み。

それは拳にて、窮する者を救い、悪を誅し、残酷な運命と因果を打ち砕く力。

第二次大戦の最中、アメリカ軍の空襲で故郷が焼かれ、何もかも失った後、

もう二度と同じ事は繰り返すまいと、手にしようと心に誓った力。


「あれから数え切れぬ程に鍛錬をし、戦いを繰り返し続け、技を研鑽し続けたが、武の極みの一端も見えない……」


 着ている道着の懐から、煙草の箱を取り出し、その中の一本を取り出して口に咥え、火を付ける。

火の付いたたばこの先から燻る煙を眺め、連十郎は物思いにふける。


「武の極みも見えてないのに、まさか……儂とした事が、漏らしてしまうとはの……情けない……」


 それは数日前、何時もの通りの朝を迎え、

何時もの様に修行場に赴き、何時もの様に鍛錬をしようとした時。

ルーチンワークの如く、徒手空拳で鋼鉄製の人形を何体かを粉砕し、最後の一体に対して気合を入れたその瞬間だった。

――あろう事か、金田は漏らしてしまったのだ

それはほんの僅かな量であったが、金田にとっては凄まじく大きな衝撃だった。

全身をくまなく鍛えぬいたつもりであったのだが、まさか股間の括約筋が衰えていたとは……。


「儂の体は、もう老人の物になってしまったのか……我ながら嘆かわしい、全く以て嘆かわしい……」


 誰がどう見ても、金田 連十郎の肉体は若々しく、鍛錬を積んだ武人の体そのものであった。

しかしそれでも、金田にとっては自分がもう老人の仲間入りをしてしまった事の方がショックであった。

幾ら鍛錬を積んでも、幾ら己を鍛えても、自身が老いて行く事に、彼は耐えられなかった。


「……儂は、まだ未熟なのになぁ……時の流れとは、無情な物よ……」


 携帯用煙草入れの中で煙草の火を揉み消して、ゆっくりと、それでいて隙のない所作で立ち上がる。

そして、道場に置いてある金属鎧を付けた練習用の人形に、そっと掌を当てて、”何時もの通りに”軽く気合を込める。

――トン、そんな小さな音が響き、金田は人形から掌を離す、人形には、金田の掌の形の風穴が開いていた。

彼の長年の研鑽に末に身に着けた技の一つ『貫通掌』

その技は例え金属の鎧を着た人間だろうが、鱗と筋肉に覆われた巨体の動物だろうが容易く風穴を穿つ。


「儂が師事した100を超える弟子どもの中で、この技を習得できる者は、遂に一人もいなかった……それが心残りじゃのう」


 そう呟くと、金田は再び静かに正座をして、目を閉じる。

彼はもう分かっていた、自分に迫る寿命を。しかし彼は敢えて抗う事をせず、自分に迫る死を受け入れる事にした。

このまま無理やり抗ったとして、この老いた身体では持って十年前後。

その間に、武の極みに開眼できる可能性は、皆無に等しい……ならば無駄な事をせず、静かに世を去ろう。

それが長年にわたり凄絶な修行を続け、厳しい戦いにおいて傷つけ続けた、自分の身体に対するせめてもの贖罪。

金田は自分の身体に流れる気をコントロールし、自らの心臓の鼓動を弱めていく、

――いや、むしろ無理やり持たせていた心臓を年相応の能力まで引き下げ、

更に心臓を眠らせる様にその鼓動を静めさせていく。


それは傍から見れば自殺行為と言っていい所業だったが、金田はもう覚悟を決めていた。


……今まで良く持ってくれたな、我が肉体よ……。

もう、身を削る様な修行をする事も無い、誰かを傷つけ自分も傷つき戦う事も無い、静かに休んでくれ。

そう思いながら、金田は自らの意識を静かに闇の中へと沈ませていった。


――金田 連十郎、老衰による心不全により死去、享年97歳。

それが、この世界における、金田 連十郎の武人としての生涯であった。

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