第27話 誠意

 ヤクザ者三人が去っていった影を残念そうに見送って、もも圭一郎けいいちろうに向き直った。ジト目で睨むその顔も可愛くてオツなものであった。


「ねえ!なんで伊達だて達が来てたの!?」


「さあな……さっぱり要領を得ない内に行ってしまったよ」


 その可愛さにニヤけないように細心の注意を払いながら、圭一郎はすっとぼけた。ポケットにしまった呼び出しのメモ書きは桃にはバレていないようだった。


「ウソ!あたしに用があっただろうに、追い返したんでしょ!可哀想に」


 まるで子猫でも慈しむかのような顔を桃はしている。あのおじさん三人を見てどうしてそんな態度が取れるのか、圭一郎には不思議だった。


「まあ、『お嬢は元気ですか』みたいなことは言っていたけど……」


 しょげている姿がいじらしいので、圭一郎は当たり障りなく言った。桃はずいと近寄って問いただす。


「他には!?お爺ちゃまのことは!?」


 おお、可愛い顔が自ら近づいてきた。圭一郎はまたニヤけそうになるのをぐっと堪えて冷静に答える。


「何も」


「そう……」


 肩を落とした桃に圭一郎が手を伸ばしかけたところで、早川はやかわ富澤とみざわを連れて戻ってきた。


「だ、旦那さまぁー!ご無事ですかー!?」


 タイムアップだ。圭一郎は早川に向けて平素な顔で言ってやった。


「問題ない。奴らは帰って行ったよ」


「ああ……さすが旦那様です!」


 ほっと安心した早川と違って、富澤の方は息を切らせたまま慌てていた。


「だだ、旦那様!そのヤクザ共はなんと言っていましたか!?」


「え?えーっと、別に何も……?」


 富澤の様子はいつになく焦っていた。圭一郎が危険に晒されたと思って狼狽えているのだろう。心配をかけたくはないし、桃の抱える事情を語るにはここは適していないと思った圭一郎はとりあえずしらばっくれた。


「そうですか。旦那様にお怪我がなくて何よりです」


「うん。おそらくどこかの会社がよこしたチンピラだろう。気にするな」


「……かしこまりました」


 富澤はそう引き下がったものの、この場に桃がいることに少し不審の目を向けているようだった。


「うん?メイドの君がどうしているんだ?」


 そこへ一番何も知らないであろう早川の間抜けな声が上がる。圭一郎はとっさに弁解じみた説明をした。


「ああ、彼女もな、松尾まつおから報告された時にいたんだ。それで心配して駆けつけてくれたんだよな?」


「あ、はい」


 桃は久しぶりに澄ました顔で抑揚なく圭一郎の言葉に頷いた。すると早川は少し顔を顰めて説教くさく桃に言う。


「ええ?女の君が来たところで余計危険でしょうが。こういう時は君が富澤さんに報告すればもっと早く事態を収拾できたのに」


「はあ……」


「あんまりない事とはいえ、そういう機転をきかさなくちゃいけないよ」


「申し訳ありません、軽率でした」


 桃が頭を下げたのを見て、早川は満足そうに頷いていた。「教育してやった」というご満悦の顔である。そういう空気に圭一郎はなんだか和んでしまった。


「ああ、いけない。出社の時間だな?」


 圭一郎が腕時計を確認しながら言うと、早川も弾かれたように慌てた。


「大変だ!すぐにお車の準備をいたします!」


 駆け出した早川の背中を見送ってから、圭一郎は桃に向き直る。


「桃。お前も部屋に戻りなさい」


「はあい……」


 早川の目がなくなった途端にまたいつもの調子に戻った桃は、少し落ち込んだ様子で帰っていった。

 おい、まだ富澤がいるだろう。本当に迂闊な子だ。

 だが丁度いい。圭一郎はここで富澤に桃のあらましを説明しておこうと思った。


「富澤」


「はい」


「桃を日中俺の部屋に閉じ込めている理由なんだが……」


 圭一郎はやっと富澤に説明できることに安堵を覚えていた。何しろ桃を部屋に置くことに今までろくな説明をしてこなかったからだ。


 婚約者であったとは言え、きっと富澤は不埒な想像をぐっと堪えて従ってくれていたはずだ。昨夜の失態であんなに怒ったのも、今までの鬱憤が溜まっていたに違いない。


 桃がヤクザの養女になっていること。産業スパイの真似事をしていることなどを圭一郎は富澤に簡潔に説明した。


「な、なな、なんですと!?」


 すると富澤はもちろん大きく驚いた。当然だな、と圭一郎は思った。まるでフィクションのような出来事ばかりだからだ。


「桃様の身の上にそんなことがおありになったとは……!」


 桃の母親が茨村しむら雪之助ゆきのすけの愛人になっていたことだけはどうしても言えなかった。もう故人になっているし、無闇に広めたくはない。そこだけは圭一郎が自分の胸にしまっておきたかった。


「しかし、何故茨村組は桃様になんの役にも立たないスパイなどさせるのでしょう?」


「うん。そこなんだが、今日わかるかもしれない」


「と、おっしゃいますと?」


 これを聞いたら富澤はひっくり返るだろうな。絶対止めるんだろうな。

 そんな気持ちで圭一郎の口調は自然と重くなる。


「実は、茨村組の若頭に呼び出された。さっきのチンピラはそれを言いに来たんだ」


「でえええっ!?ぼ、坊っちゃま!まさかお行きになりませんよね!?」


「いや、行く」


「なりません!!」


 ほら、やっぱり。

 圭一郎はどうやって富澤を説得しようか悩んだが、時間もないので真っ向から言うことにした。


「俺の調べでは、その若頭はかなり切れる男らしい。組長からの信頼も厚いそうだ。そんな人物なら危険はないと思う」


「何をおっしゃってるんですか、ヤクザには変わりないでしょう!?何をされるかわかりませんよ!」


 まあね。そうなるよね。

 富澤が「ついてくる」とか言い出す前に、圭一郎は渡されたメモ書きを見せながら言った。


「それでも桃のことなら、出向いて話し合いをしなければ。それに見てくれ、待ち合わせは昼間の二時、場所も中心街の喫茶店だ。あちらが歩み寄ってくれたのだからこちらも誠意を見せなければ」


 圭一郎が口にした「誠意」とは、圭一郎一人で赴くという意味だ。富澤にはそれで充分伝わる。


「むむむ……」


 富澤は苦悶の表情を浮かべながら何かを考えているようだった。


「わかりました。では、その喫茶店の向かいにある床屋に私はおりますので!」


「……わかった。よろしく頼む」


 まあ、そこら辺が妥協点だろう。圭一郎は溜息を吐きながら頷いた。


「じゃあ、とりあえず会社に行ってくる」


「わかりました。二時に床屋でお待ちしております!」


「はいはい……」


 いよいよあの男アスマと会いまみえる。圭一郎は自分に喝を入れようと、拳を強く握り締めた。








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