第23話 月の誘惑
いったい、何度目になるのか。
焦燥と悔恨。
辺りを包む深い闇の中、汗ばんだ身体だけが、いみじくも抵抗した事を教えてくれてる。
夢を重ねることで変容したものなのか、それとも現実だったのか、今では判別が出来なくなっている。
それは呪いだ。
笑ってたその顔だけが、痼りとなり、膿んで、爛れ、蝕み、触れることさえ出来ないなにかになった。
「生きて」
視界がゆらぎ、背景が溶ける。
きっとこの先も彼女の声が耳から離れることはないだろう。
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物心つく頃にはジプシーの中で暮らしていた。
定住地がなく、幌馬車で各地を転々する者達のことを総称してそう呼んでいる。
男は鋳掛け、女は占いで生計を立てているものが多かった。
もともとは浮遊神殿にいたハイエルフの末裔と自分達は語っているが、各地を回る中で色々な血が混ざっているため、ハーフエルフの様な肌色をしている。
俺はその中でも一際黒く、彼らの民族とは違うのだと幼い頃から理解していた。
ただ皆優しかったし、貧しかったが食べれていなかった訳では無いから、ダークエルフの捨て子としては上々の境遇であったのだろう。
彼女は幼馴染で、先読みの才能が秀でていると言われ、一族の中でも神童として育てられた存在だった。
なぜか自分に懐いていたその幼馴染は、事あるごとにジプシーカードを持って俺に示唆をしたがる。
「ジャンゴ、獅子よ、これは悪い知らせ、きっと晩御飯は昨日の残りをスープにひたしたものよ」
なんの反応も示さない奴に、構いたがる変な奴だった。
いつもどこかで音楽が流れていた
差別的な扱いをされていた彼らだが、音楽は陽気だった。
いや、暗い歴史を持つからこそ、音楽だけでも陽気であろうとしたのだろう。
覚えてる一節がある。
誰かのために命を捧げる時、生まれてきた以上の者になれる、そういう歌詞だった。
ある日の事、北に停留していた我らの元に物売りがやってきた。
物売りは普通生活に関わる物を取り扱いする事が多い、塩とか胡椒とか石鹸とかそういう類のものだ。
その物売りは、それらの当たり前の物はなにも持っていなかった、娯楽を皆さんに提供したいと人懐っこい笑顔を我々に向けた。
それは花だった。
茎の頂に大輪の純白の花をつけていた。
物売りは言った。
「この花は、見た目が美しいだけでは無いんです」
花弁の落ちたのち熟果表皮に、浅い切り込みを入れると液が出てくる。
それを乾燥させるとアルコールよりもずっと多福感を得られると。
試しに少しだけ置いて行くんで、次来た時によかったら買ってくれないかと語った。
皆半信半疑だったが、無類の酒好きの集まりだ、それよりも凄いと、吹聴されて気にならないわけがない。
次第にテントを張った集落に、陽気な声が夜な夜な続いて行くことになる。
そうして次に物売りが来た時には、皆が花を花よと我先にと買った。
その日暮らしが常態化していた集団では、当然多くは買えない。
ある日物売りは言った。
「大変困った事になりました」
曰く、先の洪水で花を栽培をしていた畑が大変な被害になってしまったとの事だった。
今までの価格では皆さんにお売りする事が出来なくなってしまったと、申し訳無さそうに顔を向ける。
大人達の絶望感溢れる顔触れを一瞥し、物売りは言葉を繋ぐ。
「皆さんにご提案がございます」
無知と思考停止は、いつも搾取される側を生む。
そうして破滅への道筋はとても綺麗に、とても饒舌に出来上がっていった。
我々は花畑を管理、栽培する役割を受け入れた。
ある日彼女は言った。
「私達はもうダメだと思う」
放流者として歌を歌い、その日その日を感謝しながら生きる道。
それは一族が背負った、業という名のカルマ。
それを外れてしまっては、星周りが赦すはずないのだと。
「貴方だけでも今すぐここを出て欲しい」
愚かにも俺は、なぜ俺だけ除け者にするのだと彼女を問い詰めていた。
家族じゃなかったのか?
一緒に育っただけでは、本物にはなれないのか?
嗚呼、いじらしく、懇願するこいつの口を塞いでくれ
俯いてじっと耐えていた彼女は、意を決したかのように口を開いた
「王が生まれる時、汝、その配下となりてそれを手伝う、その者弱きを助ける英雄として立ち、世界を救う理想に殺される」
「家族が大勢死ぬだろう、それに囚われてはならない彼らの悲願を託されて生きるのだから」
「宿命に翻弄されようとも理想を下ろしてはならない、本懐を遂げるならば」
脈絡のない言葉の集積。
彼女ではない、なにかとしか思えなくて、口を挟めなかった。
月明かりに濡らされた白い花畑の周りを蝶が泳ぎ、風が彼女の髪を揺らす。
「生きてジャンゴ」
彼女は頬に涙を落として笑った。
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ある日を境に世界が変わる事がある。
昨日まで抱えていた友人への謝罪、思い通りにいかないと嘆いた感情。
それら全てを置き去りにする暴力的な変化が起きてしまう時、人として人たらしめる感覚を保つのはとても困難になる。
そして明日があるということは、とても贅沢であることに気づくのだ。
遠くで白煙が上がっている景色を認め、焦って駆け出すのがこの章の開幕だ。
嘘だ嘘だと呪文の様に繰り返し唱えている男は、手足の使い方を忘れた様に滑稽なほどまともに走れていない。
それは根切りだった、辺りには悲鳴も泣き声も、生命の痕跡すらすでに無い。
虐殺された後の景色は世界から尊厳や思想、色さえも根こそぎ奪う。
よろよろと歩き、声を発する事さえ諦めて家族だった者たちの重なりあった残骸を眺めるが、思考が追いつかない。
そして彼女がいた。
正確には彼女だったものだ。
これはなんだ?罰なのか?なぜこんな事が起きる?
彼女の身体は血で汚れ、どこまでも冷たくなっている、俺をからかって楽しんでいた彼女の原型はそこになかった。
男はその場で嘔吐し、喉が焼ける様な叫び声をあげる。
血が沸騰し、音のない慟哭が身体を支配する。
あらゆる罵倒の限りをつくし、天に神に呪いを向ける。
俺はあの日、白い花畑で見た蝶になったかのように俯瞰しながら自分だったそれを見ている。
そう、あの日からずっと自分が見ているのは現実なのか、夢なのかわからぬままでいる。
スラムに身をやつし、盗賊になった俺は数を頼りに、自分より弱い者達を食い物にしていった。
分け前を争って、その少人数がさらに分裂したり、後で殺し合ったりはざらだった。
スラムに居を移したのは、地下のタレ込み屋との接触が必要だったからだ。
情報には大量に金がいる。
だから、仲間とも思わない奴らを裏切る事になんの抵抗も無かった。
そしてついにタレ込み屋から欲しかった情報を手に入れた。
薄暗い部屋で手足を縛った元物売りの爪を剥ぎ、全ての指を落としても喘ぐ声からは、その背後は分からなかった。
彼もまた、我々の様にいつでも切り捨てられる存在だったのだ。
またタレ込み屋から新しい情報が与えられた。家族達を襲ったのは、辺境伯から命令を受けた兵隊であると分かった。
元々は国家の管理する花の不法栽培の取り締まりであったが、異民排斥思考が根切りにまで繋がっていた。
辺境伯と部隊長クラスは全て闇討ちした。
辺境伯のガードは流石に固かったが、妾との逢瀬を狙って腹を切り裂いた。
それをしたところで気持ちが晴れる事は微塵もなかった。
どこにいても、なにをしても現実感は無かった。
ある時、タレコミ屋の禿頭が(仲間からはアンソニーと呼ばれていた)花は加工されてフルギルという商品になる。その商品の管理を国で受け持っている貴族がいるということを教えてくれた。
その頃はそいつが家族を殺したやつらと関係あるかはもうどうでもよかった。
それが根本となる原因と、自分が相手を憎む方便が欲しかっただけだ。
歌劇場に来るというでっぷりと太ったそいつの首を切り、女に手を掛けようとしたところで、手練れが邪魔をした。人が多かったので確実性を高めるために、銃で無く、斧を獲物に選んだのが裏目に出た。機会をみてまたやるしかない。
タレ込み屋が言った。
「まもなくあの貴族がパトロンとなった勇者が帝都を出ます。あそこは護衛が強固です。敵を減らす機会を逃すべきではありませんな」
どう考えても出ていく奴をやるより、勇者が近くにいないターゲットに絞るべきだが、冷静な判断など当に持ち合わせていなかった。
辺境伯をやった時にその抱えていた勇者も殺していたから、所詮その程度だと、たかを括っていた。
駅へと向かう勇者を追いかけた。
どうやら首を切った貴族の偵察に向かう際に見かけた勇者らしい。
向かう途中で横道に逸れたので、機会だと思って認識阻害を発動させた。
見えなくなるのではない、相手から認識できないようになる。
後ろ向きになっている勇者の背後から斧を振り上げた刹那、身体が動かなくなった。
勇者の脇からラッパ銃が向けられていた。
やられた!そう思った。
その次には何かを吹きかけられて目を潰された。
思わず声をあげてしまい、大きな獣に身体を咥えられた。
「すごいな、ついさっきまでは殺気で気付いていたのに、急に認識出来ないようになるんだな」
どう足掻いても状況は覆そうにない。
嗚呼、これで全て終わるんだと思った。
やっと死に際がやってきたことに安堵していた。
「少尉!降ろしてくれ」
身体は解放されたが、目は開きそうになかった。
もう意味がないので認識阻害は解いていた。
「こいつ連れていこう」
「えっ!うそでしょう?言うこときくたまじゃないですよ」
変身を解いた獣人族の若者が答えた。
「死地に向かうのだ、こいつの能力はどうにも使える。まあ制御できなきゃ弾除けにでもするさ」
「なんですか?まだいじけているんですか?」
勇者はそれには無視して、こちらに振り向いて言った。
「おいっ!役割を与えてやる。無様な死にたがりに、死に場所を与えてやるよ」
これは福音なのか?それとも呪いのなのか?
彼女の言葉に今も縛られ、そして救われている。
気がついたら俯瞰していた世界から現実世界に戻って、顔を手で覆っていた。
「なんだよ?笑いながら泣いているぜこいつ、気持ちわりぃ」
家族達の音楽が聞こえた、彼女の笑った顔が見えた。
あの日から初めて、世界に色が戻った。
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